第27話

 エレベーターで最上階に上がり、屋上に出た時、女性の声が聞こえた。耳慣れない発音に男性の声が重なる。リーシャンの声ではない。低音の、大人の男性の声だ。どこかで聞いたような。

爸爸おとうさん

 浩宇が放心したようにつぶやくのが聞こえた。

 中国語の会話が飛び交い、志乃は蚊帳かやの外に置かれた。浩宇の表情を見る限り、あまり良い状況ではなさそうだ。

 その時、浩宇の携帯が鳴った。

「はい。そうですか。……いえ、上がって来てもらってください。はい」

 そう言って電話を切った浩宇が、中年男性に向かって何か言った。志乃を促して非常階段に入る。四人はそのまま一階下に降り、8451室に入った。

 ペントハウスと比較にならないほど広く豪華なリビングは、けれど人が住む世界に違いなかった。レースのカーテンを通して秋の日差しが降り注ぐ。キャビネットには高そうな酒類。開け放された扉の向こうには、大型のディスプレイがたくさん並んでいるのが見えた。

「浩宇、このお嬢さんは?」

 志乃に向かって会釈えしゃくした後、女性が日本語でそう尋ねる。

莉静リージンの友達です」

 浩宇が答えると、女性は目を丸くした。驚いた顔が、何ともいえず嬉しそうな表情に変わる。

「そう。莉静の」

 優しい微笑に、気持ちが吸い込まれそうになる。テレビで見たよりもずっと綺麗だ。

「ありがとう」

 彼女はそう言うと、「浩宇と莉静の母です」と自己紹介した。同じく「父です」と言った隣の男性が志乃に握手を求めた。大きな、温かい手だった。

 インターホンが鳴り、来客の到着を知らせた。レコード会社の人はスーツを着た男性が一人と女性が一人。そしてもう一人、カメラを持った若い女性がいた。

「うちの広報です。契約の話と一緒に取材をさせていただこうと思いまして」

 スーツの男性が笑顔でそう言うのを聞いて、浩宇の表情が曇った。

「仕事の話の邪魔をしてはいけないから、私たちは先に行っているよ」

 博文がそう言って立ち上がった。カメラの女性が一瞬「おや?」という顔をしたのが見えたが、カードキーを取り出すのにかばんを探っていた浩宇は気付かなかったようだ。

「行きましょう、お嬢さん」

 翠蘭スイランが志乃に声を掛け、優雅に立ち上がる。少し気後れしながら志乃は後に続いた。

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