第8話

 梅雨が明け、せみの声がうるさい季節になった。前期試験の最終日、リュックを背負って正門を出た志乃は大きく伸びをした。出来栄えはまずまずだ。頑張ったご褒美ほうびにパフェでも食べに行こうか。そう思いながら信号待ちをしていた志乃の前に、黒光りする車が停止した。メルセデスベンツのエンブレムが付いているが、見慣れない車種だ。直樹が読んでいた雑誌に載っていた高級車に似ているなと思いながら眺めていた志乃は、運転席のドアから降り立った男性を見て身体を固くした。

「高橋志乃ゆきのさん」

 少年からハオユーと呼ばれていた男性が、志乃にそう声を掛けた。

「お話ししたいことがあります。乗ってください」

 冗談じゃない。志乃は眉をひそめて首を振った。そっと後ずさりしてきびすを返そうとした時、「待ってください」と呼び止められた。

「分かりました。車を停めてきますから、あの喫茶店にいてください。すぐに行きます」

 大学のすぐ隣にあるカフェを指さし、ハオユーは一方的にそう言って車に戻った。走り去る車を見送り、志乃は信号が再び赤になるまでその場に突っ立っていた。


 無視して帰っても良かったのだろうが性格上そうも出来ず、志乃は学生でにぎわう広いカフェの奥に座っていた。メニューを見る振りをしながら入り口を伺う。少ししてカウベルが音を立て、入り口の扉が開いた。学生たちの視線が集まる。改めて見るとハオユーは魅力的だった。端正な顔立ちにすらりとした長身。長い髪に似合う、ラフだけれど高級な服を身にまとった姿は、まさしく雑誌から抜け出たようだった。

「お待たせしました」

 皆の視線は志乃に移動し、いたたまれなくなった志乃はメニューで顔を隠した。ハオユーは気にした様子もなく、ウェイトレスにアイスコーヒーを頼み、志乃に「決まりましたか?」と声を掛ける。

「アイスティ」

小さくそう言ってメニューを見続ける志乃に、何を思ったかハオユーはパフェを追加注文した。

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