第7話

 駐車場の外からマンションを見上げ、志乃は大きく息をついた。何が起きたのだろう。『帰らないで』リーシャンの悲しそうな声が耳に残る。不思議だった。自分に向けられた好意。真っ直ぐな感情。信じられない思いだった。ほんの二か月前、志乃は要らないと言われたばかりだったから。

 講義で知り合った水野直樹と付き合い始めたのは去年の夏だった。ドライブに行こうと誘われたのが最初のデートで、履修りしゅう登録を詰め詰めにしている志乃に時間を合わせて、直樹は色々な所に連れて行ってくれた。少しばかり良い車に乗っているのが自慢で、カッコつけの癖に時々抜けているところに志乃は惹かれていった。

 将来を夢見始めた頃、唐突とうとつに志乃は失恋した。他に好きな女性が出来たのだという。

『しーちゃんは強いから一人でも大丈夫だろう。でも彼女は違うんだ』

 か弱くて、俺が守ってやらなきゃ駄目なんだ。どこかで聞いたようなセリフだった。新しい彼女、斎木さいきめぐみは確かに儚げで可愛くて、でも決して弱くはなかった。見た目に反して狡猾こうかつで計算高く、なかなか時間の取れない志乃のすきをついて直樹に近付いたのだと、後で友達が教えてくれた。

 私は強くなんかない。どうして決めつけるの? 言葉には出来なかった。ただ黙って身を引いた。怒ればよかったのだろうか。泣いて縋ればよかったのだろうか。きっと無駄だろう。どんな理由であれ、詰まるところ志乃は捨てられたのだ。

 夕暮れが近付いていた。志乃は停めてあった自転車にまたがり、勢いよくペダルをいだ。

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