第23話

 小児の生体腎移植です。すべて極秘のうちに計画は進められました。金を積んで、法の目の届かないアンダーグラウンドで手術をしてくれる医者を手配し、飛行機ではなく船舶で、ある国に向かいました。

 莉香と、何も知らない莉静を乗せて、家族は船に乗りました。凪いだ海でした。夜遅くに出航したので海面は真っ暗で、波頭はとうひとつ見えない。そんな海でした。

 何時ごろだったか、まだ深夜にはなっていなかったと思います。船内の廊下を歩いていた私は、船室から飛び出してくる莉静を見ました。真っ青な顔で私を見て、何も言わず階段を駆け上がっていきました。尋常じんじょうじゃない様子に急いで追いかけると、莉静は甲板から身を乗り出し、海面をのぞき込んでいました。

「莉静?」

 声を掛けた私を振り向いた莉静の眼から、涙がこぼれるのが見えました。

「……嫌だ」

 風があれば消えてしまったであろう程に小さな声でそう言って、莉静は柵を乗り越えようとしました。ちょうどその時でした。突然吹き付けた風に船が揺れ、莉静は海に落ちました。一瞬のことでした。小さな体が宙に舞い暗い、水面に吸い込まれるように消えるのを見ながら、私の身体は鉛のように重くて動くことすら出来ませんでした。

 あの子が飛び出してきた船室は、莉香の病室でした。何も知らされていない莉静と違って、莉香は自分の病気の事も、移植の事も知っていました。莉香はあの子に話したに違いありません。今から何が行われようとしているかという事を。

 何も知らずに自分に臓器を提供してくれる弟に真実を伝えておきたいと思ったのか、それとも、自分を差し置いて大人たちにチヤホヤされている莉静に嫉妬しっとしたのか、今となっては確かめるすべはありません。あの子は莉香から真実を聞かされた。起きたことは、それだけです。

 考えてみてください。今から自分の腹が割かれ、臓器が取り出されると聞かされて、七歳の子供が冷静でいられるでしょうか。恐怖にかられた莉静は逃げ出した。そして、海に落ちた。

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