第30話

 縁側には西日が差していた。

 見覚えのないリクライニングチェアの上で、志乃ゆきのは目を覚ました。実家の縁側。夢を見ていたのだろうか。夏の終わりに実家に帰って来て、それから……。身体を起こした志乃は、ふと違和感を覚えた。せみの声が聞こえない。皮膚に感じる空気も違う。庭に目をやると、つつじが咲いているのが見えた。季節が分からなくなり、志乃は混乱した。

 足音が聞こえ、エプロンを着けた美波みなみが姿を現した。エプロンの下には、長袖の白いブラウスを着ている。

「しーちゃん」

 優しい声で、ささやくように声を掛ける。どうしたんだろう?

「お姉ちゃん」

 そう言って顔を向けると、美波はぽかんと口を開けた。みるみる両目が赤くなり、涙が盛り上がる。

「お母さん、しーちゃんが喋った!」

 美波はそう叫ぶと、志乃に抱き着いて泣きじゃくった。


 半年が過ぎていた。

 両親と姉の話によると、志乃は強風にあおられてビルの屋上から落ちたのだそうだ。幸運なことにセーフティネットに引っ掛かり、辛うじて一命を取りとめたのだという。

「お医者様には記憶障害だって言われたの」

 志乃は半年もの間、口をきかず、ぼんやりしたまま過ごしたそうだ。

「どれだけ心配したか。あんた何でビルの屋上なんかに居たの」

 そう言って母に泣かれた。

 助けてくれた人は探しても見つからなかった。ビルのオーナーが責任を感じて治療費をすべて負担してくれたのだと聞いた。

「一緒に落ちた人は?」

 リーシャンがどうなったか心配で尋ねても、二人とも訳が分からないという顔をするだけだった。

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