第16話

「外に出てみない?」

 玄関を入ってすぐの志乃の言葉に、リーシャンは目を丸くした。

 この部屋には季節がない。完璧に調節された気温。蝉の声も、夕立の音すら聞こえない。かき氷も風鈴もない夏。そんな夏を、リーシャンは幾度過ごしてきたのだろう。

「今日はとてもいい天気よ」

 履物はきものが無いので、スリッパを拝借はいしゃくして足の前にそろえた。外の世界をリーシャンに見せてあげたかった。遠くに入道雲が見える爽やかな夏の空を。

「駄目だよ。外は」

 そう言って首を振り、リーシャンは自分の身体を抱いた。怖いのだろうか。 

「ユキノ」

 震える声で志乃を呼ぶ。そんなリーシャンに向かって志乃は手を差し出した。

「手を繋いでいれば怖くない?」

 志乃の手に、リーシャンが恐る恐る自分の手を重ねる。しっかり握って、志乃は玄関の扉を開けた。

 まばゆい陽光が降り注ぐ。熱気が肌を包む。夏そのものの空気がそこにあった。強い風が音を立てて吹き付け、二人の身体を揺らした。

 次の瞬間、リーシャンの悲鳴がすべてを掻き消した。志乃にしがみつき、ひきつけを起こしたようにガクガクと震える。痛々しい泣き声に志乃は驚き、途方に暮れた。

「リーシャン!」

 浩宇の声がした。玄関に押し戻され、扉が閉められる。志乃にしがみついた身体を引きはがし、浩宇はリーシャンを抱きしめた。

「大丈夫だ。大丈夫だから!」

 背中を撫でながら、そう繰り返す。泣き声が次第に弱々しくなっていく。

「ドゥイブチー」

 小さくそう言って、リーシャンは意識を失った。


「大丈夫ですよ」

 リーシャンを寝かしつけて戻って来た浩宇が、志乃を気遣うように声を掛けた。

「申し訳ありませんでした」

 床に座り込んだまま手をついて、志乃は詫びた。とんでもない事をしてしまった。リーシャンには何か持病があるのだ。外に連れ出したせいで発作を起こしてしまった。私は、何てことを。

「よく眠っていますから、心配ありません。君のせいじゃない。私がちゃんと話しておかなかったから」

 浩宇の言葉に、ますます罪悪感がつのる。

「君まで泣かないでください」

 言われて初めて、志乃は床に落ちた水滴に気が付いた。

「ごめんなさい」

 他に言葉は見つからなかった。

 リーシャンの病気については聞くことができないまま、志乃はマンションを出た。

 私はなんて無神経なんだろう。外の世界を見せてあげたいだなんて、おこがましい。何様のつもりだ。事情も何も知らず、好意に甘えていい気になっていた。リーシャン。ごめんなさい、リーシャン。

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