第10話

「何のつもりですか?」

 ベンツの助手席に座り、志乃は尋ねた。元彼の事も当然調べたのだろう。しかし何故あんなことを。自分が男として優位であることを見せつけるような態度だった。

「気に障ったのなら謝ります。あの手の女性は嫌いなもので」

 少し感情の入った言葉に、志乃は微笑んだ。

「いいえ」

 怒りもなければ爽快感も無い。もう直樹に未練はなかった。あの不可思議な青い世界を垣間かいま見、今からそこへ向かおうとしている志乃にとって、色せた現実は既に何の意味も持たなかった。


 驚いたことに駐車場の奥にもう一つ、最上階直通のエレベーターがあった。スムーズに四十五階に到着してエレベーターを降りると、磨き上げられた廊下が広がっており、少し進むと非常階段の入口があった。ここを右に折れると、先日志乃が乗ったエレベーターがある筈だ。非常階段を通って屋上に出る。強い風が吹いた。

「ペントハウスは後からてたから、どうしてもこの行き方になってしまって」

 言葉が風に消される。玄関にカードキーをかざして、浩宇はドアを開けた。玄関を抜けて部屋に入ると、ひんやりした空気が身体を包んだ。青い光が降り注ぐ、音のない世界。立ち止まってしまった志乃を置いて、浩宇は奥のドアをノックした。

「入らないで」

 中から声がした。鍵は掛かっていないらしく、浩宇がドアを開け中に入る。短い音で構成された言葉が飛び交うのがドア越しに聞こえた。ユキノという単語が混じった気がして奥の部屋に近付いた時、いきなり扉が開いた。

かないからね。浩宇の意地悪!」

 飛び出してきたリーシャンが志乃の前で立ちすくんだ。

「ユキノ?」

 大きく目を見開いて暫く固まった後、恥ずかし気に目を伏せる。

「連れて来てやったぞ。満足か?」

 後から出てきた浩宇が優しい声で言った。

謝謝シェイシェイ

 リーシャンは上目遣いに浩宇を見て、小さな声でそう言った。恐る恐るといった様子で志乃の顔を伺い、口角を上げる。浩宇がリーシャンの髪を掻きまわし、志乃に感謝の笑顔を向けた。

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