第28話

 強い風が吹き、風見鶏が音を立てる。妻と志乃を庇うように手を広げ、博文はペントハウスへと歩を進めた。カードキーをかざし、扉を開ける。

「浩宇?」

 リーシャンの声が聞こえた。途端に心臓が音を立てはじめ、足が震えるのを感じた。

莉香リーシャン

 翠蘭が、そう声を掛ける。莉静リージンではなく、莉香リーシャンと。

「マーマ」

 リーシャンが、そう言うのが聞こえた。

「久しぶりね。元気だった?」

 そう言ってリーシャンを抱き寄せる翠蘭の肩越しに志乃を見付けたリーシャンの表情が、先程の翠蘭と同じように動いた。目を丸くして、その後とても嬉しそうに笑う。

「ユキノ」

「こんにちは」

 そう言った後、せっかく買ったケーキも田舎のお土産も、下の部屋に置いてきてしまったのを思い出す。

「友達が出来たんだってね。良かったな、莉香」

 父親の言葉に照れたように頷くリーシャンを見て、志乃は何故か泣きそうになった。

 リーシャン、ただいま。もう何処へも行かないから。

「ユキノさんていうのね」

 翠蘭がそう言って笑う。優しい、いつくしむような笑顔だった。優しい両親にはさまれて、リーシャンは幸せそうに見えた。

『元に戻ることは、もう無いのかも知れない。けれど、リーシャンが一時でも笑顔でいられるのなら、私はそれで良いと思っています』

 浩宇の言葉が耳によみがえる。この部屋は家族にとっての牢獄ろうごくなのだ。辛い記憶を海に沈めて仮初かりそめの幸せを演じることで、この家族は形を保っているのかもしれない。

 玄関が開く音がして、人の声が聞こえた。

「レコード会社の人だ。CDを出すんだってな。おめでとう、莉香」

 博文が言う。不安げな表情のリーシャンに、大丈夫よと頷いて、志乃は入り口の扉を開けた。

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