第11話

 Happy Birthdayと書かれた小さな丸いケーキ。薫り高い紅茶の横には、先日食べ損ねたクリームパピロが添えてあった。

「やっと笑顔が戻ったな。この二か月は気になって仕事が手に付かなかった」

 浩宇がソファに身体を投げ出し、天井を仰いだ。らしくない様子に志乃は笑ってしまう。

「ドゥイブチー」

 リーシャンが小さく言った。

「謝らなくていい。誕生日おめでとう」

 ドゥイブチーはごめんなさいの意味だと浩宇が通訳してくれた。

「リーシャンは日本で生まれたから日本語の方が得意なんだが、私と話すときは中国語が混じるんだ」

 優し気な眼差しで歳の離れた弟を見る。最初の印象から随分ずいぶん変わってしまった。

「浩宇は音楽の仕事をしてるんだよ。趣味で株の取り引きもしてる」

 リーシャンが言う。

「逆だ。トレーディングの方が本業だ」

 言いながら紅茶にミルクを入れる。浩宇がさっきのカフェで、同じようにミルクを入れたコーヒーをかき混ぜるだけかき混ぜて結局飲まなかったのを思い出しながら、志乃も紅茶に口をつけた。気温の低いこの部屋では、熱い紅茶が美味しかった。

 仕事があるから後で、と言って浩宇が部屋を出て行ってしまうと、青い部屋にはリーシャンと志乃の二人だけが残った。

「あのカメラで見えてるんだよ」

 リーシャンが天井の隅を指さす。小型の監視カメラがこちらを向いていた。レンズに向かって笑いかけ、リーシャンは志乃に向き直った。

 改めてお互いに、簡単な自己紹介をした。リーシャンと浩宇の両親は仕事で世界中を飛び回っているらしく、兄弟二人だけがこのマンションに住んでいるのだという。浩宇の上にもう一人兄がいて、父親の仕事を手伝っているそうだ。

「楽器を弾くの?」

 グランドピアノも凄いが、ハープがあるのは珍しい。志乃が聞かせて欲しいと言うと、リーシャンは、はにかみながら頷いた。

「ハープは浩宇が弾くんだけど」

 そう言いながら弦を弾く。リーシャンの細い指が紡ぎ出す音は繊細で、和音が驚くほど美しく響いた。知っている曲が不思議なニュアンスを持って奏でられ、青い空間に色を添えていく。ハープを弾くリーシャンの横顔は美しく、より儚げに見えた。

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