蛇の病

「おぇぇぇぇぇぇッ!」


 チュンチュンと小鳥がさえずる音と共に、汚い嘔吐の音が響き渡る。

 朝日が眩しく照らす早朝、店の前でクックルは吐瀉をまき散らしていた。


「おいおい。ちゃんと掃除しとけよ」

「は、はいぃ…………」


 間抜けな声を漏らしながら背中を丸めるクックル。

 その様子を横目に見ながら、ヨルドは煙草の先端に火をつける。

 朝の日差しを浴びながらの一服。最高の一日の始まりだ。


「……よく、平気、ですね…………うえっ」


 クックルからしてみれば、あれだけしこたま飲まされて平然としているヨルドの方が信じられない。

 昨日のリターシャの傍若無人っぷりは目を疑う程であった。

 あれだけ酒に強い人間がいるとは。

 おまけに酔うと他人に酒を強制するというのだから、もう一緒に飲みたいとは思わない。


「あァ、俺は酔いたくても酔えないからな」

「酔え、ない…………?」


 ヨルドの発言に、クックルは疑問を問い返す。


「そういえば言ってなかったか。俺はな――――」

「そこから先は、僕が答えてしんぜよう!」


 突如、頭上から降ってきた第三者の声。

 聞き覚えのある声の主は、シュタッと地面に着地した。

 見事な身軽さを見せたその少年、貸し屋は相も変わらず奇妙な恰好で口を開く。


「よっ。昨日ぶり」

「か、貸し屋殿……」

「あー。お前も洗礼を受けたか……。アレほんとキツイよなぁ…………」


 遠い目をして思いをはせる貸し屋の姿からは、嫌な記憶から逃げようとする意志を感じた。

 あぁ、この人も被害者か。


「僕らが辛い思いをする中、一人だけ平然な顔をする男! この卑怯な男の正体は、謎の奇病に侵された患者だったのだー!」

「な、なんだってー!?」


 貸し屋のふざけたノリに巻き込まれるクックル。

 しかしクックルからすれば、真剣に心の底から驚いていた。

 そんな様子、今まで一度も感じられなかったというのに。


「おい。ふざけたこと抜かしてねェで、要件を話せ」

「ちぇっ、つれないなぁ。まぁいいや」


 ヨルドの苛ついた言葉に、貸し屋は仕方ないと肩をすくめる。


「諜報員の死体が発見された場所は、北地区の東寄り。つまるところ奴らは、東地区との境界線近くにいる可能性が高いね」

「相変わらず耳が早い奴だ。よくやった、褒めてやる」

「お前に褒められても嬉しくねぇっつーの!」


 ヨルドの子ども扱いに怒る貸し屋。

 二人の関係はこうしてみたらまるで兄弟の様であった。

 しかし、問題はそこでは無い。


「もう奴らの本拠地を見つけたんですか!?」

「あくまで推測だけどね。これだけ包囲網を敷いて見つからないとしたら、境界線の近くが怪しいと思っただけだよ」

「す、凄い……」


 諜報員や皆が必死になって探そうとしている情報を、この少年は一人で結論まで導き出したのだ。

 場所が違えば、文官として才覚を発揮していたに違いない。

 クックルは改めて、この街の人材の豊富さに感嘆した。


「さて。じゃあクックルはそこの掃除しとけよ。終わったら出かけんぞ」

「出かけるって、どこへ?」

「本拠地」

「え、もう行くんですか!?」


 クックルは驚きのあまり顔を上げた。

 朝日に照らされたその顔があまりにも血色悪いと思ったのか、ヨルドは何も言わず店の中へと入る。

 そして、水が入ったグラスを一杯手に持って戻ってきた。


「ほらよ」

「あ、ありがとうございます」


 差し出された水で口の中をゆすぎ、残った水で喉を潤していく。

 ようやく気分が少し良くなってきたところで、クックルは再び質問を口にする。


「もう本拠地に行くんですか? 酒王様や、アケロス殿は?」

「んなもん、こいつが行ってくれる」


 そう言ってヨルドが指を差したのは、ぼんやりと会話を眺めていた貸し屋であった。

 突然振られた言葉に、貸し屋は慌てて口を開く。


「え、僕!?」

「そうだ。お前がいけ」

「なんで!?」

「お前なら商売の都合上、酒王とも面識あるだろ」

「面識あるっていうか、何度かシマを荒らす泥棒猫だって言われたことが……」


 その言葉にクックルは驚くと同時に納得した。

 いくら貸し屋とはいえ、流石に自分の領土で商売をされたらたまったものでは無いだろう。

 それも話を聴く限り、無許可で。

 それは怒られるだろうなぁ、とクックルは一人頷いた。


「今は暗黙の了解で許されてんだろ」

「そりゃあお前みたいなのと関わってたら、嫌でも見て見ぬフリするだろ。それに酒王なんかは、他の王と違ってそこらの人間が飢え死にするのはあんま良く思ってないみたいだし……」

「つまり、問題ねェってことだ」


 ヨルドは一人頷き、勝手に話を完結させる。


「よし、じゃあ頼んだぞォ」


 そう言ってヨルドは店の中に戻っていってしまった。

 なんて横暴な人なのか。クックルは心の中で呆れる。

 思えばリターシャも同じような人種だった。

 やはり二人は、そういった面でも相性がいいのだろう。


「ほんと、姐さんといいアイツといい……。仕方ねえな~」


 貸し屋も同じことを思ったのか、ブツブツと小さく呟いている。

 もう慣れたものと諦める様子を見るに、自分もいつかこうなるのだろうか。

 クックルは心の中でため息をつきながら、そういえばと口を開く。


「貸し屋殿。さっきの病というのは?」

「あぁ、それね。いいよ。君はなんだかアイツに気に入られてるみたいだし、教えといた方がいいかもね」


 そう言うと貸し屋は店の外に置いてあったモップを手に取り、クックルへと差し出した。

 どうやら掃除しながら聞けという事らしい。

 クックルは諦めたようにモップを手に取ると、床の嘔吐物を処理し始める。


「アイツの戦い見たことあるだろ?」

「はい。私は一度だけ、アケロス殿との決闘を」

「げ、あいつらまた戦ったのか! まぁいいや。その時さ、アイツ笑ってただろ?」


 貸し屋の言葉に、クックルはあの時の様子を思い返す。

 確かに、ヨルドは特徴的な笑い声を上げながら戦っていた。

 その顔に映し出された、狂気的な笑み。

 あれこそが、獣と呼ばれる所以なのだろう。


「はい。確かにヨルド殿は、よく戦闘を楽しんでおられます」

「だろ? いわゆる戦闘狂って奴だ。だけどさ、アイツの場合少し異常なんだよ」

「異常?」


 クックルは首を傾げ、疑問の声を漏らす。


「戦いの衝動を、高揚感を自分で押さえることが出来ない。理性のタガが外れて、本能だけで人を殺し快楽を得る。歪んでるんだよ」

「……そういう人間も中にはいるのでは?」

「それは否定できないね。とはいえ、それも精神病の一つだ。それだけなら治療法はある」


 貸し屋は一拍置き、再び口を開く。


「問題はそこじゃない。身体構造そのものにあるんだ」

「というのは?」

「お前も見ただろ? あの痩せっぽちの体で、あれだけの剛腕を振るうのはどう考えてもあり得ない」


 その言葉に、クックルは脳裏にアケロスとの戦闘を思い出す。

 アケロスの体格は他の人間と比較してもかなり鍛えられた肉体をしている。

 そんな身体から繰り出される槍の嵐を、ヨルドは平然と受け止め、押し返していた。

 確かに、よく考えれば不自然だ。


「アイツの肉体は、感情の昂ぶりによって強度を増していく。恐らくだけど、感覚もだろうね。洗練されていく感覚と身体のキレ。その躍動はまさしく、ヒトではなく獣と言ってもいい」

「……確かに」


 貸し屋の言葉に、クックルはただ頷くことしか出来なかった。

 これだけの例を挙げられれば、言い返す余地も無い。

 それどころか、どんどんヨルドの存在の不自然さが浮き彫りになっていく。


「そして酒の件だけど。アイツは酔えないって言ってたけど、正確には違う。アイツの身体は、

「…………なんだって?」

「だから酒を飲んでも酔えないどころか、アルコールを何も感じないんだ。そういう風にできてる」

「それはなんというか。あまりにも…………」


 人智を超えすぎている。

 その言葉をクックルは呑み込んだ。


 今まで、ヨルドは様々な異名で呼ばれているということを知ってきた。

 絶対不可侵、黒蝮、そして魔獣。

 そのどれもは、あくまでヨルドを形容しているだけで、比喩に過ぎなかった。

 しかし、今の話を聴く限りではそうは思えない。


 本当に、人間なのか。

 そう疑ってしまうのは、悪いことだろうか。


「アイツは自分を、人間じゃないって言ったことがある」

「ヨルド殿が?」

「僕に初めて相談事を持ちかけてきた時、アイツは自らの身体を病に侵されていると話した。だから僕は必死になって、その改善策を探した」


 貸し屋は懐に手を突っ込み、小さな袋を取り出した。


「僕はこの薬を、抗欲剤こうよくざいと名付けた。その名の通り、欲望を強制的に抑え込む薬だ」


 そう言って貸し屋が袋から取り出したのは、赤い錠剤のようなもの。

 見たことないその謎の物質に、クックルは怪訝な表情を浮かべる。

 しかし、続けて貸し屋は驚きの言葉を放った。


「だけどね。僕はアイツの話、半分はだと思ってる」

「な、なぜですか? 実際、ヨルド殿の身体は病に侵されていると……」

「そこだよ」


 ビシッと、貸し屋はクックルに向かって指を差す。


「そんな病、

「……………………は?」


 貸し屋が放った言葉に、クックルは間抜けな声を漏らす。

 その言葉の意味が、理解できない。

 今までの話は、ヨルドは病を患っているという事の説明だったではないか。

 それが、嘘?


「僕はこの薬を作るために、あらゆるコネを辿って情報を集めた。その中にはもちろん、この街で最も危険であり、薬に詳しい南地区にも足を踏み入れたさ」


 貸し屋はため息をつき、小さく肩をすくめた。


「結果、情報ゼロ。そんな病に関することは、何一つ成果を得られなかった」

「ちょ、ちょっと待ってください! それだけで噓だと決めつけるのは……」

「僕の仕事を舐めないで欲しいね。今まで受けてきた仕事で、成果ゼロはこの一件だけさ。そりゃあプライドを深く傷つけられたよ」


 クックルの脳内はパニック状態に陥っていた。

 まだこの街に来て日が浅い自分では理解が及ばないが、その事実は貸し屋にとって異常事態なのだろう。

 つまりそれは、ヨルドが嘘をついているという証明になってしまう。


「じゃ、じゃあそれは? その薬は一体なんなのですか!?」

「そこだよ! 今回の話の最も面白い部分」


 貸し屋は再び、クックルへと指を突きつけた。


「この薬の材料はね、とある人間の死体が持っていたモノから作ったんだ」

「とある、人間?」

「白衣を着た、謎の人物。しかもそいつは、この街に来た時点で死体だったらしい」


 まるでワクワクするように瞳を輝かせ、興奮で身体を震わせる貸し屋。

 その姿はまるで、新たな大発見をした子供の様であった。


「わかるか!? 裏送りは必ず、生きた人間がやって来るんだ。死体がこの街にやって来ることなんて無い。つまり、その人間は何らかの理由で、んだ!」

「そんな、ことが」


 クックルの脳裏には、自分が裏送りされる直前の記憶が蘇っていた。

 あの新国王でさえ、クックルを生きたまま送ってやると保証した。

 そして実際に、自分は生きたままこの街にやって来た。

 その理由が何故かは分からないが、きっとそういう決まりなのだろう。


 そして。その白衣の男は、それらの法則から外れた例外、ということになる。


「ま、要するにさ」


 貸し屋は静かにクックルの元へ近づき、肩を軽く叩いた。


「あんまりさ、ヨルドのこと信用しちゃダメだよ。アイツは悪い奴じゃないけど、良い奴でもない。僕らに隠している秘密があるはずだ」


 その言葉に、クックルは何も言えずに固まっていた。

 貸し屋はそんな様子のクックルを置いて、静かに距離を取る。


「じゃ、僕はこれからアイツに頼まれた仕事してこなくちゃ。じゃあね!」


 貸し屋は軽快な仕草で、何処かへと走り去っていった。

 素早い動きで壁をよじ登った貸し屋は、屋根裏へと消えていく。

 そんな後ろ姿を最後まで見つめながら、クックルは身動き一つ取ることができなかった。


 ヨルドが隠している秘密。

 それはきっと、ヨルドがまだ話していない過去に答えがあるはずだ。

 しかし、ヨルドはこれまでも答えをはぐらかし、その追求から逃げている。

 まるで、後ろめたい何かがあるかのように。


「信用しちゃダメ、か」


 クックルは小さく呟いた。

 自分はまだ何も、ヨルドのことを知らない。

 いや、ヨルドだけじゃない。

 この街、この世界のことを、自分はまだ何も知らないのだ。

 だから、今はただ、信じる事しか出来ない。


「信じて、いいんですよね?」




 不安そうに呟いたその言葉は、風に吹かれて消えていった。

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