掃き溜めに座す四人の王

「き、きもちわるい……………………」

「ケハハ! ざまァみやがれ」


 薄暗い路地を歩きながら、男は腹を抑えながら顔を青ざめさせる。

 そんな様を横で見たヨルドは、ご機嫌そうに笑みを浮かべていた。


「もう、お嫁にいけませぬ……」

「良かったじゃねえか! むしろ可能性が広がってよォ」


 その発言に、男は憎々し気にヨルドを睨みつける。


「悪魔…………」

「まーまー、これでチャラだろ? なァ、


 ヨルドは軽いノリで、男の肩に手を乗せる。

 男は一瞬ビクッと肩を震わせるものの、すぐさま冷静に口を開く。


「えっと、そのクックルとは一体……?」

「お前の名前」


 悪戯な笑みを浮かべながら、ヨルドは理由を述べていく。


「お前の役割は伝書鳩でんしょばと。ほんでもって笑い声がクックック。鳩もクルッポ―って鳴くだろ? だからクックル」

「そんな適当な!」


 男は頭を抱え、高らかに声を上げる。

 その姿を眺め、ヨルドは再び楽し気に笑う。


「ま、これもう決定な。俺の前ではクックルだから」

「そんなぁ……」


 肩を落とし、嘆き悲しむクックル。

 元はプライドの塊のような男だったが、その誇りは一瞬で地に落とされた。

 今男に残されたのは、惨めさとクックルというダサい名前だけである。


「にしても相変わらず、ここらの通りは比較的治安がいいな」


 ヨルドが小さく呟いた言葉に、クックルは驚きと共に顔を上げる。


「え、これでですか?」

「ああ。十分いい方だろ」

「いやいや……、しかしこれは…………」


 そう言ってクックルが視線を向けた先。

 そこには、通路脇に倒れ込んだ人々が、死体の様に積み重なっている。

 否、もはやあれは死にかけも同然。

 顔をパンパンに膨らませ、口からゲロをまき散らしながら失神している。

 あのままでは、いつ死んでもおかしくない。


「一人で勝手に死んでるならマシだ。血も流れてねぇしな。他の地区ならこうはいかねぇ」

「他の地区と言うと、やはり?」


 ヨルドは顔を歪め、心の底から嫌そうに呟いた。



「残りの



 その言葉に、クックルは慌てふためく。


「ちょっ! そんなことを言っては殺されてしまいます!」

「馬鹿。俺はいいんだよ」


 特に気にする様子も無く平然としたヨルド。

 そこでようやくクックルは思い出す。

 横で歩いている男は、ただの命知らずではない。


 王も手出しが出来ない、不可侵の権化。

 それが、黒蝮と呼ばれる存在なのだという事を。


「実際、間違った事は言ってねぇだろ? こんな掃きだめで王を名乗って、玩具いじくりまわして楽しんでるだけの外道。俺たちと何にも変わらねぇよ」


 ヨルドは至って冷静に言葉を紡ぐ。


「お前、新人なんだろ? ここに来てどんくらいだ?」

「は、はぁ。およそ二ヶ月程かと」

「二ヶ月!?」


 クックルの言葉に、今度はヨルドが驚きに声を上げる。


「めちゃくちゃ最近じゃねえか! よくそれで信頼を勝ち取れたなァ」

「ああ、それはですね」


 クックルは頭を掻きながら、少し恥ずかしそうに口を開く。


「当時の自分は調子に乗っておりまして……」

「知っとるわ」

「…………チンピラ集団に襲われ時に、返り討ちに合わせてやったのですよ」


 フンと鼻を鳴らし、少し傲慢さを取り戻すクックル。


「そしたらスカウトされまして、あれよあれよと今の地位に行きついたという訳です」

「ほーん、凄ぇなそりゃ。ここに来る前は何をしてたんだ」


 ヨルドは何気なしに口を開き、尋ねた。

 その時、一瞬クックルの動きが止まり、しばらくしてゆっくりと口を開き始めた。


「………………大したことはしてませぬ」

「あっそ」


 興味を無くしたように、軽く流すヨルド。


「じゃあお前、この街の事情詳しくねぇだろ?」

「はい、ほとんど知らないと言っても過言ではないかと」

「しっかたねぇなあ」


 クックルのその言葉に、ヨルドは待ってましたと言わんばかりに口を開く。


「黒蝮のドキワク授業! 覚えられなきゃ絞め殺す☆講座、開幕~」


 物騒なことを口走りながら、パチパチと手を鳴らすヨルド。

 あまりにも危険な香りに、クックルは口角を震えさせる。


「え、っと~。ヨルド殿?」

「冗談冗談! そう固くなんなって! ただ色々教えてやるだけだよ」


 そうは言われても、油断できないのがこの男。

 先程痛い目を見たクックルは、少しも安心できない。


「今俺たちが歩いている場所は、北地区の中央路だ。こんくらいは知ってるだろ?」

「それはもちろん」


 クックルは当然だと言わんばかりに頷く。


「では、北地区の支配者は?」

「我が主、酒王しゅおう様です」

「その通り」


 肯定するように頷きながら、ヨルドは拳を突き出す。


「この街には、王と呼ばれる存在が四人いる」


 吐き捨てる様に呟きながら、ゆっくりと指を立てていく。


「【酒王しゅおう】【煙王えんおう】【女王にょおう】【薬王やくおう】」


 ヨルドは四つの指を眺め、今度は指をゆっくりと折り畳み始める。


「奴らはそれぞれ北、東、西、南の地区を支配している。それらの地域ではあるモノを扱ってるんだが、何かわかるか?」


 いきなり問い掛けられた質問に、クックルは慌てながら答えていく。


「えっと、名前の通りですよね。造酒、煙草、娼婦、薬物です」

「ケハハ、正解。まァ簡単すぎたな」


 にやりと笑うその姿は、まるで蛇のようであった。


「そういうのを使って、野郎どもはガッポリ稼いでるわけだ。地区の奴らに売りさばき、依存させて搾取する。クソッたれな永久機関の完成だァ」

「……確かにそうですね。ですが」


 クックルは静かに口を開く、肯定する。

 確かに、その行動は間違いなく外道そのもの。それは否定しようもない真実であり

 しかし、本当にそれだけだろうか。


「この街の住人はそれを受け入れているようにも見えます」


 それは、短いながらもこの場所で暮らして感じたことである。

 クックルにとって、道端に転がった人間は赤の他人。

 気が付けば死んでいるような、儚い命だ。 

 しかし、住人はそれを良しとしているようにも思えた。

 クックルの真剣の眼差しに毒気を抜かれてしまったヨルドは、ポリポリと頭を掻く。


「……ま、それは否定できねぇな。光の届かない底において、何か光の代わりとなる何か。それが奴らにとって、そういったモノになんだろうなァ」


 その言葉を聞き、クックルは静かに納得した。

 だからこそ、儚い一瞬を楽しむためにヒトは何かに依存する。

 この街では、それしか逃げ道が無いのだ。

 クックルには理解の及ばないものであるが、少なくとも理解はできる。


「実際俺も依存しまくりだ。酒に煙草に、薬。女はそこまでじゃねえが、人生のスパイスになってるのは間違いねェ」


 ヨルドはため息と共に、小さく呟いた。


「だからこそ、勿体ねェ」


 ヨルドは静かに首を振り、静かに口を開く。

 その言葉が、クックルの耳に届くことは無い。


「……ヨルド殿?」

「何でもねーよ。まぁともかく、これがこの街……の解説だ。楽しんでもらえたか?」

「あ、お待ちください」


 ドキワク授業が閉幕しかけたその時、クックルが手を挙げる。


「ヨルド殿とリターシャ殿が暮らしている、あの場所は?」

「あー…………、そこか」


 ふと投げかけられた質問に、ヨルドはなんとも言えない表情を浮かべる。


「一応なんて呼ばれちゃいるが、特にこれといった決まりはねェよ」

「ですが、風の噂では絶対不可侵であると聞いたことがありますが?」

「誰が言い出したか知らねェが、そんなもんは無い」


 ヨルドはあっけからんと言い放つ。


「し、しかし! “凄惨なる”黒蝮と聞けば、誰もが恐れる忌名であると……」

「嗚呼、そいつぁ簡単だ」


 その時、ヨルドが浮かべた表情は形容し難いものであった。

 蛇か、悪魔か。

 口元を三日月に歪め、狂気に満ちた笑みが姿を現す。



「邪魔な奴は全員、この手でぶっ殺してきたからなァ」



 背筋が凍りつき、全身の冷や汗が止まらない。

 何かされたわけでは無い。

 それなのに、気がつけば恐怖で足がすくむ。

 クックルは、この短い期間の中で感じ取っていた。


 この人は、雑草を刈取るように。

 平気で人を殺す。


「ケハハ。だから気がつけば、俺の周りにいるのはリターシャしかいなくなっちまった」

「…………特別、なのですね」


 かろうじて、その言葉だけが喉から溢れ落ちる。


「まァな。なんだかんだ言っても、あそこは俺の居場所だからな」

「あの、酒場ですか?」

「あぁ。お前が寂れてるって言ったあの酒場が、だ」


 ビクリ

 怯えるように、クックルは肩を震わせる。


「ケハハ! まぁ実際、あそこは全然人来ねぇからな!」

「あ、はははは…………」


 それは絶対、あんたのせいだろ。

 クックルは喉に出かけた言葉を飲み込んだ。

 こんなことを言えば、本当に殺されかねん。


「まぁ今回みたいに、荒らさねぇなら誰でも歓迎。どうぞお越しください。我らのオアシス、【ニルヴァーナ】へ」

「ニル、ヴァーナ……」


 ヨルドは恭しく、腹に手を添え一礼する。

 ニルヴァーナ。

 その単語を、クックルは静かに反芻した。


「おっ。こんな話をしてりゃあっという間だな」

「え?」


 ヨルドの言葉に、クックルは慌てて前方に視線を向ける。

 その先には、見慣れた景色。

 酒王の邸宅がそびえ立っていた。


「さっさと終わらせんぞ。こんな場所、長居したくはねェ」


 ズンズンと進んでいくヨルドの背中を見つめる。


 ここまでの道中、誰一人として道を妨げるものはいなかった。

 その事実が、本来ならばありえない。

 道を歩けばスリに遭い、背中を見せれば襲われる。

 そんな危険が付き纏う道を、この男は悠々と歩くのだ。

 クックルは改めて思う。


 絶対不可侵。

 その噂は、偽りでは無い。

 厳然とした事実として、目の前に存在している。

 頭の中に、あってはならない想像が浮かぶ。

 彼ならば、もしかしたら。


 この世界の、五人目の王になれるのではないか。


「お、相も変わらず館の周辺は栄えてやがる」


 ヨルドが呟いた言葉に、クックルは慌てて視線を前方へ向ける。

 そこは、喧騒に満ちた広大な空間。

 今までの静寂と死に絶えた空気はそこに無く、辺りは人の活気に満ち溢れていた。


「北地区唯一の交流の場ですからね。大体の住人はここに集まるのでは?」

「あァ。に来た時も、こんな空気だったのをよく覚えてる」


 クックルの言葉に頷き、懐かしいと余韻に浸るヨルド。

 しかし、クックルの意識は別の所に向かっていた。

 ヨルドが口にした、3年前という言葉。

 それはまるで、その時に何かあったかのような雰囲気を醸し出していた。


「それは一体、どういう――――――――」


 どういう意味ですか。

 そう尋ねようとしたクックルの言葉を。



「く、黒蝮が来たぞォォォォォッ!?」




 焦燥に満ちた男の声が、遮った。

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