“凄惨なる”黒蝮
「で、あんたはその男も殺しちまったと」
カウンター越し、冷たい口調と共に言葉が降り注ぐ。
「しっかたねえだろ? どうせ遅かれ早かれ死ぬんだから変わんねェよ」
男は酒を片手に、ぽつりと呟いた。
カウンターに足を乗せながらグラスを傾けるその態度に、店主の女性は眉間に皺を寄せる。
「…………ハァ。どうせ言っても聞きはしないんでしょ?」
「お、よく分かってるじゃねェか」
「どれだけの付き合いだと思ってんの。舐めんじゃないわよ」
「ケハハ、そりゃそうだ」
男は軽快に笑い飛ばし、ポケットから取り出した煙草に火をつける。
それを見た女性は、無言で灰皿を差し出す。
「で、その殺した奴らの後始末は?」
「知らん」
「あんったねぇ! せめて片づけはしなさいよ! 肉片と血が染み込んだ地面なんて歩きたくないわ!」
その言葉に対し、男は煙を吹きながら口を開く。
「別に構わねえだろ? だって、ほれ」
男が指を差したのは、酒場の一角。
木製の床と壁が、赤黒く変色している。
それは間違いなく、染み込んだ大量の血液を表していた。
「あれもあんたがやったんでしょうが! いっつも荒事持ち込みやがって!」
「ハァ!? 誰のおかげで安全に店を開けてると思ってんだ!?」
「誰のせいで人が寄り付かなくなったと思ってんの!? このイカレジャンキーが!」
グルルルル
獣のように睨み合いながら、一歩も互いに譲らない二人。
もしも誰かがそこに居合わせたものなら、そそくさと逃げようとしただろう。
しかし世界には一定数、そういった空気の読めない人間が存在する。
「失礼。
突如割って入ってきた第三者に、二人は視線を入口へと向ける。
界隈の中では比較的、身なりの良い服を着た男。
いかにも傲慢そうな顔つきの男は、店の中をぐるりと見渡した。
そして、鼻で笑い出す。
「フン、こんなちんけな店に出入りするとは。噂の黒蝮も大したものでは無いな」
「お客さん、どこのもんだい?」
男の言葉に表情一つ変えることなく、店主の女は身元を尋ねる。
「おお、貴様がリターシャか。噂にたがわぬ美貌であるな。その額の傷がなおさら残念だ」
「ハッ、そいつは悪かったね」
リターシャと呼ばれた女は、特に気にしていないと言わんばかりに鼻を鳴らす。
その額には、確かに生々しい傷跡が残されていた。
「おい、気を付けろよ。見た目に油断してたら噛み殺されるぞ」
「今この場で噛み殺してやろうか?」
ぐるりと首を回し、凶悪な目つきで睨みつけるリターシャ。
その姿に、カウンターに座る男は快活に笑う。
「ん? 腰に付けた二本の曲剣に、背中の長剣……。貴様、まさか……」
入口に立った男がぶつぶつと呟き、そして肩を震わせ始める。
「クックック……! その三つの剣、いや牙。貴殿が噂の凄惨なる黒蝮、ヨルド本人で相違ないか?」
「あ? あー、確かにそう呼ばれてはいるが」
「クックック、やはりそうか! いやはや貴様がねぇ……?」
男はニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべながら口を開く。
「そんな
男の表情にあるのは、侮蔑のみ。
明らかに見下しているその態度に、ヨルドは一切何も気にせず口を開く。
「んで、どうした? 俺になんか用かァ?」
表情を変えないヨルドに対し、男はつまらなそうに笑いを止める。
「…………酒王の遣いである。主がお呼びだ。今すぐ謁見に参られよ」
「はァ? 小太りジジイが俺に何の用だよ」
心の底から嫌そうに、ヨルドは表情を歪める。
そのあまりに無礼な態度に、男は目を丸く見開いた。
「小太り……………………?」
「ちょっと、一応うちのお得意さんなんだからね。ていうか、あんたが呼ばれる理由なんて、あれじゃないの……?」
男は信じられないと言わんばかりに呆然と呟く。
リターシャは呆れたようにため息をつきながら、ゆっくり口を開く。
「昨日の。鼠のおじいちゃん殺した件でしょ?」
「あー、それかァ?」
「は!?」
リターシャの言葉に、男は激しく反応する。
「鼠一家を殺したのが、貴様だと!? 腕利きの強盗集団を、貴様のような痩せっぽちが!?」
「あー、ちょっと。それ以上は止めといた方が…………」
男の言葉を止めようと、リターシャが口を挟む。
しかし、時は既に遅かった。
「ケハハ。お前、おもしれェなァ」
ヨルドはカウンターから足を下ろし、椅子からゆっくりと立ち上がる。
その姿を眺めていた男の表情が、みるみると変化する。
怪訝な表情から、驚愕へと。
影が大きく被さっていく。
細身の体からは予想も出来ない程、その体格は大きかった。
痩躯であるからこそ、その異様さが際立っている。
その姿はまるで、巨大な蛇のように見えた。
「お前さ、新人だろォ?」
「そ、それがなんだ。私は今回、この大役を仰せつかった――――」
「ケハハ。いいことを一つ教えてやる」
ヨルドは優しく微笑みながら、男の肩に手を乗せる。
「俺はなァ、楽しいことを邪魔された時と、期待を裏切られた時。それと――――」
言葉を紡ぎながら、ポンポンと肩を叩くヨルド。
そして。
「体格のことを言われるのが、死ぬほど嫌いなんだよォォォッ!」
「ぐべらあァァァァァッ!?」
強烈なフックが、男の頬を真横から貫いた。
男は奇声をあげながら横へ吹き飛び、赤黒く変色した壁に叩きつけられる。
「おーい、絶対汚すんじゃないよ」
「わーってる。可愛い新人君に、少し教育してやるだけさァ」
ヨルドは優しい笑みを浮かべながら、男に向かってゆっくり歩み始める。
「うっ………! き、貴様ァ! もう許せん、この場で叩き斬ってやるッ!」
男は衝撃に揺らめきながら、怒りを叫び散らす。
腰に差した剣を抜き、真正面で構える。
その姿は、ヨルドの思った以上に様になっていた。
「ほう?」
「死ねェ!」
男は素早く剣を振り上げる。
殺気に満ちた刃が、ヨルドの頭部を斬り裂こうとゆっくり落ちてくる。
その様子を、ヨルドは笑いながら見つめる。
「ほい」
「なっ………!?」
ヨルドは軽く身を捻り、剣を避ける。
その差は僅か。
至近距離で避けられた男は驚愕の表情を浮かべながら、続けざまに剣を振るう。
「このッ、死ねッ、おらッ!」
「よっ、はっ、ほっ」
縦、横、斜め。
縦横無尽の連撃を、いともたやすく避けるヨルド。
その姿に、男の背中に冷や汗が流れる。
自分が対峙している男との差は、もはや歴然。
格が、違う。
「昨日ヤッたジジイ共より、才能あるよ。お前」
ヨルドが放った言葉に、男はハッと顔を上げる。
「ま、それはそれとして――――」
その姿が、一瞬で消える。
男は慌てた様子で辺りを見渡した。
そして、次の瞬間。
「――――――――か――――はっ」
「今のお前は三流以下だ」
ヨルドの腕が首に絡まり、気道が閉まる。
いつの間にか、ヨルドは男の背中越しに立っていた。
その細腕からは想像できない程の力によって、ギリギリと首が絞められていく。
それはまるで、蛇に絡みつかれているかのような。
薄れゆく意識の中で、男は思った。
「――――――こ、れ………が」
これが、黒蝮か。
「……………………ハッ!?」
「お、目が覚めた」
意識が暗闇から浮上し、男は慌てて起き上がる。
「これは…………」
身体に掛けられた薄布を眺め、男は茫然と呟いた。
「悪ぃな。遊びのつもりが、やりすぎちまった」
「まったく、死んでたらどうするのよ」
「そんくらい調節できるわボケ」
「ハン、どうだか」
軽口をたたき合う二人を、男は静かに見つめていた。
そして突然、頭を床に伏せる。
「申し訳ございません! お二人への非礼、謹んでお詫び申し上げる!」
男は謝罪を述べ、再び顔を上げる。
「ヨルド殿。貴殿の力はまさに本物。私、非常に感銘を受けました!」
「お、おぉ………………」
男のまくしたてるような熱弁に、ヨルドは静かに引く。
「無手でこの技量……、牙を剥かれていたらどうなっていたのやら。想像もつきませぬ」
「あー、まぁ、なんだ。お前も筋は悪くねェ」
「ありがたき光栄!」
男は深々と頭を下げる。
その姿を眺め、ヨルドは諦めたようにため息をついた。
「仕方ねえ、リターシャ。ちょっと出てくる」
「はいよ」
「来てくださるのですか!?」
驚きと共に、男は口を開く。
「まぁ退屈しのぎに、ジジイの顔を拝みに行くのも悪くねえ」
「ありがとうございます……っ!」
嬉しさで飛び跳ねる気持ちで、男はゆっくりと立ち上がる。
そして、入口へと足を踏み出そうとする。
「さあ、それではご案内いたします!」
「あ、ちょっと待て」
それが普通であれば、何の問題も無く行けていたかもしれない。
「お前、パンツ脱げ」
「…………………………………………………は?」
世の中には、常軌を逸した行動をする人間もいる。
そのことを、男はまだ知らなかったのだ。
「リターシャ、ウォッカ」
「あいよ~」
「ちょ、ちょっとお待ちください!? なんですかこれは!?」
訳が分からないと、男は叫びながら抵抗しようとする。
それは本能かもしれない。
命では無く、別の大事な何かが失われようとしていた。
「俺の分は終わったからよォ。次はリターシャの番だぜェ」
「はい!?」
抵抗虚しく、下半身を丸出しにされた男はうつ伏せにさせられる。
そこに、ウォッカを片手にリターシャがやって来る。
その時、男は気が付いてしまった。
これから行われる、地獄を悟ってしまったのだ。
「い、嫌だァァァァァァァァァッ!」
「あ、ちょい。大人しくしろって」
ヨルドが身体を抑え、リターシャが酒瓶の栓を抜く。
二人の表情は、心の底から嗤っていた。
「私ねぇ、これでも一応乙女だから。ちゃんと傷つくのよ? だ・か・ら。たっぷり大サービスしてあげるわ」
「サー、ビス?」
「おう!」
快活に、そして楽しそうにヨルドは口を開いた。
「今からてめえの●●●にウォッカ注いで、●●パーティーで●●●●してやるよォ」
「遠慮しなくていいのよ? たーんと召し上がれ♡」
「ケハハハハハハハハハハ!」
「フフフフフフフフフフフ!」
二人の悪魔が、嗤いながら忍び寄る。
「い、いやだァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」
その日、店から謎の動物の鳴き声が轟いたという。
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