不可侵の侵攻

 男の叫びを聞いた瞬間、喧騒が一瞬にして静まり返る。

 そして次の瞬間、辺りに悲鳴が伝播していく。


「あぁッ!? 出たァァァァァッ!」

「お助け、お助けをォッ!」

「どうか怒りをお沈めくださいぃ! 私にはまだ生まれたばかりの赤ん坊が……」


 阿鼻叫喚。

 神か悪魔に縋りつくように、泣き喚き、許しを請うその姿。逃げ惑う者、ひれ伏す者、放心する者。

 彼らは皆、一人の男に視線を向けていた。


 クックルの隣に立つ、ヨルドに対して。


「一体なにが…………」


 あまりにも突然の状況に、クックルは困惑の表情を浮かべる。

 先程まで活気に満ちていた空間は、絶望の支配する地獄絵図に様変わりした。


「へっ、何が黒蝮だよ。ジジババ連中が大げさにビビりやがって」


 そんな中で、ひときわ余裕に満ちた声にクックルは視線を向ける。

 そこに立っていたのは、勝気な表情を浮かべる若い青年。

 青年は周りの人々を見下しながら、煽るように口を開く。


「こんな奴に、一体何を怖がってんだ? どうせ噂に尾ひれがついただけのチンピラだろ? 俺はビビんねえぞ」


 その言葉には隠しようもない自信が溢れ出ていた。

 青年の姿に、クックルは寒気を覚える。

 何故なら彼は、数刻前の自分の姿と瓜二つなのだから。


「き、きみ? あまりそれ以上は……」

「あ? てめぇは誰だよ? 引っ込んでろ。なぁ黒蝮さんよぉ?」


 クックルの制止を気にも留めず、青年はヨルドへと話しかける。


「俺はこの街に来たばっかだからよ、お前のハッタリは通じねーぞ? どうせ噂だけで、大したこと――――――――」


 青年が仰々しく手を広げ、ヨルドを挑発するように口を開く。

 その様子にクックルは、どうやってこの馬鹿を止めようと頭を悩ませていた。

 そしてクックルがふと視線を向けた先、青年の背面から。



 木の棒を振り上げた男性が立っていた。



「がッ……………………」


 鈍い打撲音が辺りに響く。

 青年の後頭部を、強い衝撃が襲う。

 男性が棒を振り下ろし、思いっきり青年の頭に叩きつけたのだ。

 そのまま青年は白目を剥き、前方へと倒れ込む。


「申し訳ございませんッ! どうか怒りをお沈めください! この馬鹿は、わたくし共で、処分いたしますのでッ!」


 そう言って男性は、倒れた青年に向かって追い打ちをかける。

 木の棒に、鮮血が滲みだす。


「ちょっと! やりすぎで――――」


 慌てた様子でクックルが口を開こうとした、その時。

 それまで跪いていた住人たちが、フラフラと立ち上がる。

 そして。


「この罰当たりめがッ!」

「二度とを繰り返させるなッ!」

「殺せッ! 徹底的に殺せッ!」


 住人たちは一斉に青年を蹴り飛ばし、棒を振り下ろし、石を投げつける。

 辺りに少しずつ、流血が弾けていく。

 青年の身体はしばらく痙攣した後、やがて身動き一つ取ることはなくなった。


 死んだのだ。


「――――なんと」


 クックルが口元を抑える。

 あまりにも惨たらしい出来事に、動揺を隠し切れない。

 これが、人間のやることか。

 自らの保身のために、一人の人間を躊躇なくなぶり殺す。

 その住人たちの狂気、そしてそれを行わせたヨルドの恐怖。

 全てが、異常だ。



「おやおや、騒がしいと思って来てみれば」



 その時、辺りに第三者の声が響き渡る。

 恐怖に満ちた声色とも、自信に満ちた声色とも違う。

 どこか上品な雰囲気をまとった言葉に、クックルは視線を向ける。


「これはこれは、ヨルド様。お久しぶりですね」


 そこには、一人の老人が佇んでいた。

 気品に満ちた、紳士的な男性。

 優し気な表情には、微笑みが浮かべられている。

 白髪を靡かせるその男に、クックルは見覚えがあった。


「し、執政官殿!?」

「おや、伝達係の。無事にヨルド様をお連れできたようですね。素晴らしい」


 クックルが執政官と呼んだその男は、クックルを見つめ優しく笑いかけた。

 何故この人がこんなところに。

 そう尋ねるよりも早く、ヨルドが口を開く。


「お前、ヴィムじゃねぇか!」

「どうもご無沙汰しております」

「おいおい、随分老けたなァ!」

「ははは。3年の間に、色々ございましたから」


 親し気に会話を繰り広げる姿に、クックルは驚きに目を見開いた。

 まさかこの二人に交流があったとは。

 呆然とその様子を見つめるクックルを置いて、ヴィムは辺りを見渡した。

 そして、ゆっくりと口を開く。


「なるほど。衛兵」

「ハッ!」

「そこの死体を片付けておいてください」

「承知いたしました!」

「ありがとうございます。ヨルド様も、よろしいですか?」

「別に俺はハナから興味ねェよ」


 手をひらひらと振り、まるで気にしていない様子のヨルド。

 その姿に目を細め、ヴィムは静かに微笑んだ。


「それでは参りましょう。主がお待ちです」

「あぁ、クックルも行くぞ」

「え、私もですか!?」


 クックルは予想外の言葉に面を喰らう。

 自分の役割はここまで連れてくること。

 それ以降は想定していなかったのだ。


「ふむ、よろしいでしょう。そこの伝達係も一緒に来なさい」

「しょ、承知いたしました……………」


 そう言われてしまっては他にどうしようもない。

 クックルは諦めたように、二人の背中を追いかけていった。






「相変わらず、趣味の悪ぃ所だな」


 そう言い放ったヨルドの視線の先。

 ゴテゴテに装飾された廊下に、床に敷かれた赤い絨毯じゅうたん

 その両脇に飾られたいやらしい肖像画を眺め、ヨルドは嫌そうに表情を歪める。


「ははは、自己顕示欲の塊のようなお方ですから」

「相変わらず変わらねぇな、あの親父」

「そうですねぇ。それに対しヨルド殿は、随分と変わられましたな」


 穏やかに微笑みながらヴィムはゆっくりと口を開く。


「以前の貴方であれば、あの場にいた方々は既に生きていないでしょう」

「そうかァ?」

「ええ。の貴方は、まさに野生の獣でしたから」


 ヴィムのその言葉に、ヨルドは困ったように頭を掻いた。

 その姿を眺め、ヴィムは再び目を細める。


「良いことだと思います。丸くなるということは、それだけ安らかに過ごされているという証拠ですよ」

「まぁ、な」


 ヨルドはむず痒そうに表情を歪める。


 二人の様子を眺め、クックルは驚きを隠せずにいた。

 あの黒蝮が、ヴィムの前ではまるで普通の人間である。

 それがどれだけ珍しいことか、この短時間で理解しているつもりだ。

 だからこそ、この二人はどんな関係なのか気になって仕方ない。


「気になりますか?」

「えっ?」


 ふと気が付けば、ヴィムが振り返りこちらを見つめている。


「私たちがどうしてこんなに親しげなのか、気になっているご様子でしたので」


 まるで心を読まれたかのような発言に、ドキリと胸を震わせる。

 動揺を隠せず、思わず驚愕の表情を浮かべるクックル。

 その姿にヴィムは静かに笑う。


「ははは、そう緊張なさらず。正直でよろしいのですよ」

「も、申し訳ございません……。つい気になってしまいまして」

「無理もありません。黒蝮と呼ばれた男が、どうして老人と親しげに話しているのか。気になって当然ですよね?」

「俺の方を向くんじゃねえよ」


 ヴィムの視線を受け、ヨルドはふいと顔を逸らす。

 その姿はやはり普通の人間のようで。

 いや。

 その関係はまるで、親子のような――――


「ヨルド様がこの街に来られたのは、随分前のこと。あれは7年ほど前でしょうか?」

「まぁ、そんなもんか」

「長い付き合いになりますなぁ」


 二人の会話は、昔を懐かしんでいるようで。

 クックルは思わず、気になっていたことを尋ねる。


「あの。先程からお話されいる、3年前というのは?」

「おや、ご存じないのですか?」


 ヴィムは驚いた表情を浮かべ、その後納得したように口を開く。


「あぁ、君はここに来て間もないのでしたね。簡単な話ですよ」


 ふと、ヴィムの歩みが止まる。

 その様子に眼前へと視線を向ける。その先には、荘厳な扉が佇んでいた。

 ヴィムはその扉に手を伸ばしながら、静かに微笑んだ。



「3年前。ヨルド様が、絶対不可侵と呼ばれるようになった瞬間です」



 その言葉と共に、扉が開け放たれた。

 まばゆい光と共に、眼前に広大な空間が広がる。

 視線の先、その空間の中央にはいた。


 ふくよかな肉体に、隠しようもない傲慢な表情。

 まるで貴族のような服装に、金が散りばめられた装飾品。

 まさに、自らが王であると誇示しているようなその姿。


 クックルが直接お目にかかるのは、これで二回目である。

 彼こそが、この街における四人の王が一人。


「よく来たな、黒蝮ィ。相変わらず、貧相な身なりで何よりだ」


 酒王は、その表情を憎々し気に歪めながら口を開く。


「よォ、クソ親父! その腹の子は何人目だァ?」

「減らず口も変わらんな……。年月が経とうが、貴様はクソガキのままか」

「はっ。てめぇこそ相変わらず王様の真似事か? いい加減、おままごとは卒業しろよォ?」


 売り言葉に買い言葉。

 互いに罵り合う二人の視線は、親しい間柄の者に向けるそれでは無い。

 鋭い目つきで睨みつける酒王に対し、笑顔で受け流すヨルド。

 しかし、その瞳はどこまでも暗く濁っていた。


「はい、お二人ともそこまでです」


 そろそろ止めるべきと思ったのか、ヴィムが二人の口論に口を挟む。


「一体いつまでそのような不毛なやり取りを続けられるのか……。お二人とも成長されませんなぁ」

「ヴィムゥ…………。こいつの肩を持つのか?」

「そうではございません」


 顔を歪ませながら瞳で訴える酒王に対し、ヴィムは冷静に言葉を紡ぐ。


「今、我々にそのようなことをしている余裕はありません。それは主様も分かっておいででしょう?」

「ぬ、ぬぅ………………」

「何のためにヨルド殿をお呼びしたのか。それを先にお話されませんと、いつまで経っても現状は改善されませんよ」

「ぐぬぬぅ…………ッ!」


 ヴィムの冷たく丁寧な言葉に論破され、歯を食いしばりながら顔を赤くする酒王。

 そこまで嫌なのか。

 そんな風にクックルが思いながら、今のやり取りから改めて感じ取る。

 二人を手玉に取る、このヴィムという男は何者なんだ?


「さあ」

「わ、わかった」


 観念したのか、ついにため息と共に酒王が口を開く。


「ヨルド。貴様を呼んだのは他でもない、3年前のについてだ」

「あ?」


 酒王の口から発せられた言葉に、意表を突かれたヨルド。

 今から何を話し始めるのかと、眉をひそめながら続きを待つ。


「単刀直入に言おう」


 そう言って酒王は、今までの傲慢さが噓のように頭を下げた。

 その姿に、クックルもヨルドも驚きに目を見開く。




「どうか、儂らに手を貸してくれ」

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