“荘厳なる”一角獣
「…………どういうことだァ?」
ヨルドの言葉の節々には、困惑の感情が込められていた。
「言葉通りだ。不可侵条約を破棄し、こちら側に
そう言い放った酒王の表情は、まさに真剣そのものであった。
冗談で言っている訳では無い。
本気で、心の底から望んでいるのだと、傍から見ているクックルにもそれが感じ取れる。
「ケハハ、寝ぼけてんのか?」
しかし、ヨルドは無情に言葉を返す。
「俺が何のために、てめぇらとしたくもねぇ約束をしたと思ってんだ。俺は、お前らのクソみたいな事情には関わらない。だからお前らも、俺たちには関わらない。そういう契約の筈だろうが?」
「それを承知で、頼みたいと言っているのだ」
「おい。おいおいおい。それは本気で言ってんのか?」
ヨルドの顔には、満面の笑みが浮かんでいる。しかし、その瞳は全く笑ってなどいない。
嘲笑交じりの表情の、奥底に映しだされた感情。
それは、見る者を恐怖に突き落とす、憤怒の激情であった。
「3年前、俺たちにしたことを忘れたみてェだな。ケハハッ、いいぜぇ?」
ヨルドは腰の剣に手を伸ばし、冷え切った声で低く呟いた。
「以前と同じく、お前の大切な奴らをこの手で斬り裂いてやるよ」
それはまさに、宣戦布告と同義である。
場の空気が凍り付き、一斉に緊張が走る。
先程まで困ったように微笑んでいたヴィムも、今は真顔で成り行きを見守っていた。
「………………それでも、儂は――――」
「主よ。もういい」
酒王が言葉を振り絞り、放とうとしたその時。
玉座の裏の天幕から、一人の男が姿を現す。
スラッと伸びた長身に、鍛え抜かれた肉体。
肩まで伸びた金髪は一つに結ばれ、その端正な顔立ちがはっきりと視認できる。
何よりも印象深いのは、左目から少し逸れた形で刻まれた、おぞましい裂傷であろうか。
生真面目そうな表情からは、静かに迸る怒りのようなものが放たれていた。
「貴様はやはり、害獣だ。今度こそ俺の手で葬ってやろう」
「よォ、
男の底冷えするような声に対し、ヨルドは嬉々として相手を煽る。
共に互いの手には、相手を殺すための得物が握られていた。
「アケロス……、貴様」
「主よ、お下がりください」
アケロスと呼ばれた男は、ヨルドと酒王の間を阻むように歩みだす。
その名前を、クックルはどこかで聞いたことがあるような気がしていた。
「アケロスって、まさか?」
その名前は、この街に馴染み始めた頃に風の噂で聞いたことがある。
王の側近にして、北地区最強の守護者。
主に仇名す敵を殲滅し、美しく相手を葬っていくその様を、配下の者たちはこう呼んでいたはずだ。
“荘厳なる”一角獣、と。
「下がりましょう。あの二人が刃を交わせば、ただでは済まない」
ヴィムに投げかけられた言葉に、クックルは慌てて我に返った。
対峙する二匹の獣。
その姿から漂う殺意の香りにやられ、一歩二歩と退いてしまう。
それほどまでに、眼前の二人は格が違った。
「ヴィムよ、感謝する」
アケロスはそう呟くと、ゆっくりと手に握られた得物を持ち上げていく。
それは一角獣の名を表す、巨大な長槍であった。
黄金色に装飾されたその槍は、人の頭蓋骨を消し飛ばせてしまう程の太さをしていた。
その槍を軽々と振り回し、アケロスは腰を回転させながら上段に構える。
「背中の剣を抜け、毒蛇。万全の貴様を討ち滅ぼす」
「ハッ! 舐めんな」
ヨルドは二振りの剣を腰から抜くと、感触を確かめる様に軽く振る。
異常なほど湾曲したその剣からは、死に神が首を刈るかのごとく風切り音が鳴り響く。
その二振りの曲剣を握りしめ、ヨルドは独特な構えを取った。
「こいつらが、てめぇの首を噛み千切る」
胸の前で腕を交差し、二枚の刃が環を描く。
その姿は、どこか見る者を不気味な気持ちにさせる。
濁り切ったった黒い殺意が、ヨルドの全身から溢れ出す。
「双剣、ウロボロス」
ヨルドの姿からただならぬ気配を感じ取ったアケロスは、即座に意識を引き締める。
緊張が一気に高まり、爆発しそうな空気感が場を支配する。
クックルは息を押し殺し、その瞬間を待った。
そして。
「――――――――シィッ!」
紫電一閃。
短い呼吸音と共に槍が轟く。
それはもはや常人では捉えきれない速度で音を斬り裂き、穂先がヨルドの首に迫りくる。
「ハハァ!」
その攻撃に対し、ヨルドは嗤う。
首を僅かに逸らし紙一重で槍を避けると、凄まじい加速で一気にアケロスの懐に潜り込んだ。
「オラァッ!」
「……ふんっ!」
双剣の刃が首に届きかけた瞬間、アケロスは伸びた槍を勢い良く引き戻す。
そして刃の間に槍を挟み込み、衝撃を抑え込む。
鍔迫り合う二人の表情は対極であった。
ヨルドは笑みを浮かべ、アケロスは無表情に槍を握りしめる。
「ケハハ、自慢の槍も当たらなきゃどうってことねェなァ」
「抜かせ。貴様の刃も俺には届かぬ」
「へェ? そいつはどうだか――――なァッ!」
均衡が傾く。
ヨルドが握りしめていた双剣の力が緩まり、アケロスの体勢が僅かに崩れる。
その隙を見逃さず、ヨルドは相手の身体を軸に後ろに回り込む。
クックルは、その動作に覚えがあった。
目の前から一瞬で姿を消し、後ろから頸動脈を絞められた瞬間。
あの時は対面して視認する事すらできなかったが、今ならばわかる。
洗練された動き、その流麗さを。
「舐めるな」
しかし、それはクックルが相手だった場合の話。
今対峙している相手は、並の戦士では無い。
北地区最強の名を冠する、紛れもない強者なのだ。
「おろ?」
ヨルドの眼前から、アケロスの姿が消える。
否、消えたように見せかけた。
槍を地面に叩きつけ、衝撃で身体を上方へ吹き飛ばしたのだ。
その高度な身体能力。
アケロスは空中で身体を捻ると、槍を引き絞り再び解き放つ。
ヨルドの頭に、槍の雨が降り注ぐ。
「あっ…………!?」
危ない。
クックルがそう叫ぼうとした、その時だった。
「舐めてねェよ」
雨の中を、まるで舞うように避けている。
そして、ガキンという鈍い金属音と共に火花が散る。
気が付けば、ヨルドの双剣は槍を受け止めていた。
「舐めてたらなァ、こんなに興奮してねェんだよォォォォッ!」
その痩躯のどこから、そんな力が湧くのだろうか。
空中にいたアケロスの身体ごと、槍を弾いて吹き飛ばす。
そして相手が着地する前に素早く距離を縮めると、双剣を振りかぶり豪快に斬りかかる。
「ちぃ……ッ!」
初めてアケロスの表情が変わる。
無理やり体勢を立て直し、刃の猛攻を耐え凌ぐ。
しかし。
「ケハハハハハハハァァァアアアアッ!」
一度、喰らいついた牙が離れることは無い。
双剣の嵐が猛威を振るい、アケロスの槍を吹き飛ばさんと連撃を繰り返す。
ヨルドは狂ったように高らかに嗤い、そして刃を振るう。
ここで何よりも凄いのは、その攻撃を辛うじて食い止めるアケロスの方であろうか?
苦しい表情を浮かべながら、それでも槍の精密さが衰えることは無い。
刃を正確に打ち払い、叩き落とし、弾き返す。
この状況でそれだけのことが出来る人間が、他の何処にいるのだろうか。
クックルは改めて、この戦いの技量の高さを再確認する。
しかし。
「ガ嗚呼ああァァァァァアアアアアアアッ!」
ヨルドの口から、咆哮が轟いた。
その瞬間、さらに双剣の嵐が勢いを増していく。
そしてついに均衡は崩壊し、アケロスの肩に刃が突き刺さる。
「グァ……ッ!」
苦悶の声を漏らしながら、アケロスはゆっくりと後退する。
「………………勝負あったなァ」
少し呆然と呟いたヨルド。
その表情には、どこか寂しさのようなものが浮かんでいた。
「まぁ、そこそこに楽しめたぜ。また次も…………ってそうか。もう次は無ェんだよな」
そう言ってヨルドは、静かにアケロスの元へ足を踏み出す。
その右手には、鮮血に汚れた曲剣が握りしめられていた。
嫌な予感が脳裏によぎり、クックルが慌てて口を開く。
「まって――――」
その時だった。
「弱くなったな」
アケロスの口から、衝撃の言葉が零れる。
「…………どういうことだァ?」
「言葉通りの意味だ。貴様は弱くなっている。確実にな」
「ケハハッ! 何言ってんだ、そんな状態で何をほざいてやがる」
「いいや、事実だ」
そう言ってアケロスが、ゆっくりと装備を脱ぎ捨てる。
肩の流血も気にすることなく、上半身を露呈させる。
そして。
「この傷を負った俺を、秒殺できない時点でな」
そこにあったのは、真っ赤に血塗られた包帯。
上半身を取り囲むように覆われた包帯は、そのほとんどが鮮血に濡れていた。
それは傍から見ているクックルでさえ、ハッキリと理解する。
この傷で、あれだけの動きをしたのだ。
肩から流れる流血よりも、その光景は悲惨であった。
「断言しよう。人外の獣から人の身に落ち、貴様は以前の強さを失った。変わってしまったんだ」
アケロスは一瞬、酒王の方角を向く。
そして視線を戻し、ヨルドに向かって言い放った。
「3年前。俺たち四獣将を圧倒した、あの時とはな」
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