強きを捨て、人の道を選ぶか

「…………俺が、弱くなっただと?」

「その通りだ」


呆然と呟くヨルドに対し、アケロスは静かに言葉を紡ぐ。


「これだけの剣戟を続けてなお、俺の身体に傷を一つしか付けられなかった。それが何よりの証拠だ」

「お、お待ちくださいっ!」


 二人の会話に割って入り、クックルが口を開く。


「誰だ、貴様は?」

「わ、私は……」


 低い声と共に、アケロスが振り返る。

 冷たく研ぎ澄まされた眼光に、クックルは躊躇い言葉を詰まらせてしまう。


「この方は先月、新たに着任された伝達役ですよ」


 クックルの様子を見かねたヴィムが、横から助け舟を出す。


「ほう? 貴様、名は何と?」

「は、はっ! 私の名前は、ダ――――――」

「クックルだ」

「はい!?」


 自らの名前を名乗ろうと、クックルが口を開いたその時。

 言葉を遮るようにヨルドが例のあだ名を口に出す。

 まさかここでもその名前で呼ばれると思っていなかったクックルは、驚きに目を見開き間抜けな声をあげる。


「そうか、クックルか」

「え、ちょ」

「クックル殿でしたか。良いお名前ですね」

「は、ま、え?」


 何やら納得されてしまい、上ずった鳴き声を上げる事しか出来ないクックル。

 今ここで正式に、クックルはクックルに命名された。


「それでクックルとやら。何か?」

「あー、えっと。そうですね……」


 もはや否定する気力も失せてしまったクックルは、諦めたように本題に戻る。


「つまり……、アケロス様はそのお身体で戦いを挑まれていたと?」

「そうだ」

「いったいどうして!?」


 それは心からの本音であった。

 もしもヨルドを殺したいのならば、万全の状態で挑むべきだ。

 それをひた隠し最後まで抵抗して見せた、その意図が分からない。


「ああ、それは――――」

「よい。ここからは儂が話そう」


 アケロスの言葉を遮り、先程まで黙っていた酒王が口を開く。


「クックルと言ったか。貴様が知りたいのは、何故この状態で奴と戦ったのか。そういう事であろう?」

「は、はい」


 クックルの発言に、酒王は納得したように頷いた。


「当然の質問だな。殺されるかもしれないと知っておきながら、命を捨てる行いをした。その訳は至って簡単だ」


 酒王は再び玉座に腰を掛け、頬杖をついて語り出す。


「先程話したように、我々は助けを欲している。それも生半可な戦力では無い。一人で戦況を覆す、圧倒的なの力だ。」

「それが……」

「唯一、どの勢力にも属していない男。黒蝮を儂は選んだ」


 そう言って酒王は静かに、ヨルドへと視線を向ける。

 その視線を受け、ヨルドは嫌そうに表情を歪めた。


「しかし、ここで一つの疑念が浮かび上がった」


 人差し指を天に掲げ、酒王は問う。



「黒蝮とは、今もなお噂通りの男なのか?」



 その言葉に誰よりも反応したのは、当事者本人であった。


「おいおいおい。何をふざけたことを抜かしてやがんだァ?」

「貴様は気付いておらんのだろうが、そういった風潮は今に始まったことでは無い」


 酒王はそう言い放ち、ちらりとヴィムに視線を向ける。

 ヴィムはその意思を受け取り、ゆっくりと頷いた。


「ヨルド様。今日出会った者たちを見て、思うところはありませんか?」

「あ?」


 投げ掛けられた問いを受け止め、ヨルドはその意味を咀嚼していく。

 ヴィムが口にした、今日出会った者たち、という言葉。

 それはつまり、今まで一度も会ったことの無い人間ということ。

 そしてヨルドの脳裏に、一つの結論が導き出される。


「なるほどなァ」


 ヨルドが視線を向けた先にいた者。

 そこには。


「へ?」


 間抜けな顔をして突っ立っているクックルの姿があった。


「気付いたようだな」


 酒王は背もたれから僅かに体を起こし、同じようにクックルに視線を向ける。

 周りから訳も分からず注目され、クックルの脳内は軽いパニック状態に陥っていた。

 しかし、次の言葉でその意味を理解する。


「そこの伝達役しかり。昨今の情勢で、随分と新入りが増えてきた」

「あっ!」


 酒王の言葉を聴き、クックルもようやく理解する。

 自分、そして先程の青年。

 二人の共通点は、ヨルドに生意気な口を利いたことだけでは無い。


 それは、この街に来たばかりだということ。


「故に必然的に、が徐々に拡大してきたのだ」

「なるほどねェ。今日は随分絡まれると思ったら、そういうことかァ」


 ヨルドは納得したように頷きつつ、静かに嗤う。


「楽しい時代になってきたじゃねえか! なァ?」

「ふん。それだけであれば良かったものを」


 その言葉に反論の意を示したのは、会話を聴きながら一人静かに治療していたアケロスであった。


「いいか? 毒蛇。黒蝮の脅威を知らないということは、四獣将よんじゅうしょうの威光も衰えているに等しい」


 アケロスは続けて言葉を放つ。


「故に、反乱の兆しも見える」

「反乱ン?」

「3年前を知らぬ世代を率いた、革命軍のような存在のことだ」


 そう言ってアケロスは、身体に巻かれた包帯を指でなぞる。


「この傷は、に付けられた」

「ある男ってのは?」

「奴らを束ねる、主導者のような男だ」


 拳を固く握りしめ、悔しさに覇を強く嚙み締めるアケロス。

 その身体から、怒りの奔流が吹き上がる。


「奴らは屋敷に攻勢をしかけ、多くの人間を殺し尽くした。男は単身でこの玉座の間に踏み入り、主を狙ったのだ。当然俺は撃退するべく、槍を握りしめた」


 その後に続いた言葉は、到底信じられないものであった。


「完敗だった」

「…………何?」


 アケロスが放った言葉に、思わずヨルドは困惑を口に出す。

 その表情に、笑顔は無い。


「奴はこの世のものとは思えぬ強さで、俺を一方的に蹂躙した。ハッ! 北地区最強の名が泣けてくるだろ」

「アケロス、それは違う!」


 自虐的に笑うアケロスに対し、酒王は慌てた様子で口を挟む。


「あの時は儂を逃がそうと庇いながら戦っていた! 本来のお前ならば苦戦する相手では無い!」

「…………主よ、感謝する」


 アケロスが頭を下げる姿を横目に見ながら、クックルは静かに思考する。

 これほどの人間が苦戦する相手。

 そんな人間がこの街に存在するなんて、一度も聞いたことが無かった。


「どうして、そんな重要な話を誰も知らないんですか?」

「信用に関わるからだ」


 クックルの疑問に、酒王は当然のように答える。


「この地区には、儂やアケロスを信じてついてくる者も多い。そんな状況で負けたと報じれば、他の地区に出奔されかねん」

「では、他の者や私などに伝えなかったのは?」

「裏切りを防ぐためだ」


 その言葉に、クックルは驚きに目を見開く。


「そ、そこまでするのですか」

「無論、脅威が消えたわけでは無い。今も奴らの行動を追跡させているが、まぁ帰ってくるのは死体だけであろうな」


 そこまでの会話を聴き、ヨルドが苛ついた様子で口を開く。


「つまり今の戦いは、俺がそいつへの対抗策になり得るか試してたわけだ?」

「そうだ」

「で? 一方的に弱くなったとか煽られた挙句、結果は不合格ってかァ?」

「その点はどうなんだ? アケロス」


 酒王の問いかけに、アケロスは毅然とした態度で言い放った。


「今の状態では、奴の対抗策には成り得ません」

「おいコラ、随分と好き勝手言って――――」

「しかし」


 アケロスは続けて言葉を紡いでいく。


「3年前のコイツであれば、奴など足元にも及ばないでしょう」


 その言葉と表情には、確かな自信が込められていた。


と二人で過ごすうちに、牙を抜かれたか? 今のお前は、ただの狂った人間だ。獣では無い」

「…………何が言いてェ」

「強きを捨て、人の道を選ぶか。人の道を捨て、強きを得るか」


 その時放ったアケロスの発言に、ヨルドの表情が変わる。



「オイ、殺すぞ?」



 それは脅しでは無い。

 明確に、殺意の波動がヨルドの全身から溢れ出す。

 比にならない重圧が、その場の空気を支配する。


「待てッ! 黒蝮ッ!」


 その様子に慌てたのは、酒王であった。


「3年前の事件を繰り返すつもりはない! 我々に敵意は無いッ!」


 酒王の発言には、今まで以上の焦りが感じられた。

 クックルはふと、アケロスの表情に視線を向ける。

 そこには、今まで以上に額に汗を浮かべるアケロスの姿があった。


 二人がこれ程までに焦りを表すなど、尋常ではない。


「――――――――――――嗚呼、そうかよ」


 長い沈黙の後、ヨルドは静かに呟いた。

 緊張が解かれ、重い空気が落ち着き始めた瞬間。

 クックルは今が好機と思ったのか、手を上げ口を開く。


「あの~」


 周りの視線が一斉にクックルに向く。


「ずっと先程から話してる3年前って、いったい何があったんですか?」

「おや、そういえばお話できておりませんでしたね」


 クックルの質問に答えたのは、ヨルドでもアケロスでも、酒王でもない。

 微笑みながら場を静観していた、ヴィムであった。


「もしや、四獣将よんじゅうしょうもご存じないのでは?」

「はい……。もう何が何やら……」

「ああ、それは申し訳ございません」


 そう言ってヴィムが、パンッと手を叩く。


「では少しリラックスタイムとして、昔話をいたしませんか?」


 優しく皆に問いかけるヴィムに対し。


「俺は帰る」


 一人異を示したのは、表情から笑みを失ったヨルドであった。


「つまんねェ。俺がここに来たのは、また難癖付けて俺のことを殺しに来ると思ってたからだ。昨日の消化不良を癒してくれると思ってよォ」


 ぎょろりと、ヨルドの瞳が大きく開かれる。

 瞳孔は縦に、それはまるで獣の眼光のようだった。


「それがなんだ? 勝手に品定めされて、挙句死に体の奴に煽られる? 冗談じゃねェ」


 ヨルドはそう言って踵を返し、扉へと歩みを進める。


「ヨルド殿! 私は――――」


 その背中にクックルが声をかけようとしたその時。

 横から手を伸ばし、ヴィムがその行動を遮った。


「ヨルド様。非礼をお詫びします。また後日、お会いしましょう」

「…………ケッ」


 優雅にお辞儀するヴィムの姿に、ヨルドは悪態をつきながら扉を開ける。

 やがて背中は扉によって隠され、部屋の中には一瞬の静寂だけが広がった。

 そして、その静寂を破る者もまた、ヴィムその人であった。


「さて、クックル殿」

「は、はい!」


 元気よく返事をするクックルに対し、ヴィムは優しく微笑みながら口を開く。


「ではここからは、クックル殿に昔話をいたしましょう」


 ヴィムの口から語られるは、3年前の物語。

 当時を知る者が、神話のように語り継いできた歴史。

 四人の王とその配下の獣による、一際大きな争いとして記録された日。


 そして。


「その事件は、獣魔統一戦争と呼ばれております」




 この世界に初めて、不可侵の存在が誕生した日である。

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