這い寄る影と打ち払う闇

「ふわぁ~」

「随分と眠そうじゃないの」


 大きなあくびを轟かせ、ヨルドが酒場の扉を押しのけ入店する。

 その様子に、リターシャは呆れ顔を浮かべた。


「まぁ俺くらいにもなると、人生退屈でなァ」

「ハイハイ。今日も朝ごはんはパンしかないけどいい?」


 そう言ってリターシャはカゴいっぱいに入ったパンをカウンターに乗せる。

 甘く香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。

 間違いなく、焼きたてだ。


「かまやしねェよ」

「あらそ。まぁあんたが何言おうが、パン以外のものなんて無いんだけどね」


 リターシャが放ったその言葉に、ヨルドは眉間に皺を寄せる。


「小麦しか育ててねェからだろ? 牛とか豚とか飼えよなァ」

「うちのどこにそんな余裕があんのよ……! それに、最近はどこのも品薄だって言ってたわよ」


 貸し屋。

 それは生活に必要な様々な品を貸し出し、それによって対価を貰い生活している者たちの総称である。

 食品や調味料、家畜などを主に扱っており、地区のあらゆる場所で点々と隠れながら暮らすらしい。

 らしいというのは、ヨルドはこの話をある人物から聞いたからだ。

 その人物というのが――――


「あー、包帯チビ?」


 ヨルドの歯に衣着せぬ物言いに、リターシャは慣れたように言葉を返す。


「そうよー。なんてったってうちのお得意様だからね」

「ふーん。あのガキがねェ」

「ちょっと、次会った時にまた泣かせないでよ」

「別に泣かせるつもりねェよ。勝手にあいつが喚くんだよ」


 もはや何を言ってもこの男には響かない。

 リターシャは諦めてため息をつき、グラスに水を注いでカウンターに置く。

 ヨルドはその水を一気に喉に流し込み、パンを掴んでかじり付いた。

 しっとりふわふわの食感が口の中に広がる。


「んん~、相変わらず美味ェなあ」

「普通に焼いてるだけよ」

「いんや、この前食った牛肉の煮込みみたいなやつもクソ美味かったわ」


 牛肉を赤ワインで柔らかくなるまで煮込む。

 その肉に思いっきりかぶりついて、肉汁が口の中一杯に広がるあの感覚。

 ヨルドの口内によだれが溢れていく。


「あら。じゃあそんなに褒めてくれるなら、おつかい頼まれてくれる?」

「あん? おつかい?」


 リターシャからの突然の申し出に、ヨルドはもぐもぐと口を動かしながら首を傾げる。


「ちょうど話題に出たことだし、ちょっとあの子の様子見てきてよ」

「はァ!? なんで俺が……」

「最近顔を見せないから心配なのよ。もしかしたら何かあったのかもしれないし」

「けどよォ」

「行ってくれないなら、しばらく酒も煙草も抜きね」


 優しく微笑みながら静かに告げるリターシャ。

 何て腹黒い女なのか。

 断れないと分かっていながら、あくまでおつかいとして頼む。

 この女狐が。


「何考えてるかお見通しだからね」


 リターシャの視線が鋭く突き刺さる。

 こいつの嗅覚どうなってんだマジで。

 ヨルドはしばらく悩んだ後、諦めたように口を開いた。


「…………チッ。わーったよ。行けばいいんだろ」

「あらー、助かるわ♡」

「可愛い子ぶんな」

「あ゛?」


 パンの最後のひとかけらを口に放り込み、ヨルドは席から立ち上がる。

 そして後ろからギャーギャーとやかましい声を無視し、店の外へと出ていった。

 どうせ帰ってきたら忘れてるんだろうと、そんなことを考えながら。




 この世界の町並みは、歪の一言で言い表すことなどできない。

 元からあった地図の上に、別の地図を重ねたかのように。

 日当たりや歩きやすさなんて考えられちゃいない。

 違法建築なんて言葉、とんだ笑い話だ。

 何故ならこの世界は、全てが違法なのだから。


「クソが。こんな分かりにくいところで暮らしやがってよォ」


 恐らく北地区の端の方。

 一際区画整理の行われていないその場所で、ヨルドは愚痴を呟きながら歩き進んでいく。

 段差を上がったかと思えばまた下がり、再び上がる。


「人工の獣道だな、こりゃァ」


 壁ごとぶち抜いてやりたいが、そうすると周りが瓦解していく可能性もある。

 地道に道を進んでいくしかないのだ。

 イライラが限界に達しようとするその直前、眼前の視界が急速に広がっていく。


 そこは家に囲まれた、円形の広場であった。


「おいコラ、チビ! いんだろォ?」


 ヨルドは広場全体に響き渡るように声をあげる。

 木霊こだまするその声は少しの間反響した後、残響すらもかき消えていった。

 返事は、無い。


「なんだ、いねェのか?」


 頭を掻きながらヨルドは首を傾げる。

 いつもならドタバタと騒がしい音と共に、うるさい声で言い返してくるのだが。

 ヨルドがどうしたもんかと頭を悩ましていた、その時。


「お、お前」


 物陰から震えた声が聞こえてきた。


「あ?」


 声の方角へ視線を向けるヨルド。

 そして声の主が姿を現した。


 みすぼらしい服に、生気の宿らない瞳。

 何かの禁断症状か、身体は常に震えている。

 そして、手には錆びたナイフが握りしめられていた。


「お、お前。く、黒蝮か……?」

「だったらどうした?」

「こ、こんな場所に何の用だ?」

「てめェには関係ねぇだろ。引っ込め」


 乱暴な物言いのヨルドに対し、男は真っすぐにナイフを向ける。


「おい、何してんだ?」

「お、お前を殺す」


 底冷えするようなヨルドの声に、男が一瞬怯む。

 しかし、男は震えながらも脅しの言葉を吐いた。

 その行動にヨルドは心の底から驚く。


「は? お前マジで言ってんの?」

「ほ、本気だ」


 目を丸くして尋ねるヨルドに対し、男は震えながら答える。


「悪いことは言わねェ。やめとけ」

「だ、駄目だ。や、やらなきゃ、俺が


 男の言葉に、ヨルドの表情が変わる。

 それはつまり。


「誰かに命令されてんのか?」

「お、お前には関係ない」


 先程ヨルドが放った言葉と同じことを口にし、男はナイフを強く握りしめる。

 どうやらこの男は本気らしい。

 ヨルドは呆れた顔を浮かべ、苦笑いと共に口を開く。


「度胸は認めるけどよォ……」

「し、死ねぇっ!」


 男が叫び声と共に突進する。

 自分の身ごとナイフで刺そうとするその姿は確かに勇敢かもしれない。

 だが。


「馬鹿が」


 轟音、響く。

 ヨルドは剣の柄に手を伸ばすことなく、そのまま脚を蹴り抜いた。

 つま先は男の内臓を突き破り、腹から大量の血液が流れ出す。


「が……ぼぇ…………」

「流石に雑魚過ぎんだろ」


 男は口から大量に吐血し、ヨルドの足が鮮血に染まっていく。

 そんなことを気にする様子も無く、ヨルドは男の身体から引き抜くように振り払う。

 勢い良く吹っ飛んだ男はゴロゴロと転がっていき、壁に当たって止まった。


「なんなんだマジで……」


 特に驚かされることも無く、単調な動きで進んで来るだけ。

 刺激ある戦いを望むヨルドにとって、意義のかけらも無い時間。

 これでは不完全燃焼である。


 しかし、この騒動によって得るものはあった。

 ヨルドの頭上から、聞き覚えのある声が降り注ぐ。


「さっすが~、やっぱ強いねぇ。ヨッ、強さだけの男!」

「殺すぞチビ」


 ヨルドが頭上を睨みつけると、声の主は素早い動きで床へと移動する。


「そうカッカすんなって! てかチビって言うんじゃねぇ!」


 シュタッと綺麗に床に着地したその人物は、何やら奇怪な恰好をしていた。

 全身包帯ぐるぐる巻きの姿に、驚くほど低い身長。

 それもそのはず。何故ならこいつは。


「子供じゃねェか。チビって言って何が悪いんだよ」

「これからデカくなる予定なんだよ!」


 プンプンとまさしく子供のように怒る目の前の人物こそ、今回のおつかいの目的。

 貸し屋本人である。


「元気なことも確認できたし、俺は帰る」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」


 任務を達成したヨルドはきびすを返し帰路に就こうとする。

 そんなヨルドの背中を掴み、貸し屋は悲痛な声をあげる。


「なんだよ」

「頼みたい事があるんだ!」

「はァ~?」


 今日はどうしてこうも頼まれることが多いんだ。

 ヨルドは自らの不幸を恨みながら、諦めたように振り返る。

 そして貸し屋の額に指を突きつけ、口を開く。


「言っとくが、くだらねェことだったら殺すぞ」

「僕を殺したらあねさんが困る癖に」

「やっぱ帰るわ」

「ごめんごめん嘘冗談!」


 まるで兄弟のようなやり取りを交わす二人。

 リターシャが見ていたら一体何と言うだろうか。


「実はね、さっきの男もそうだったんだけど……」


 貸し屋が口を開き、相談事を話そうとした。

 その時。


「あれ~? 貸し屋のガキ発見~!」

「マジかよ! ラッキー!」

「てか隣に誰かいねぇ?」


 広場から何本か続く通路の一つ、そこからゾロゾロと集団が歩いてくる。

 下品な笑みを浮かべながら、こちらを指さし何かを話している様子。


「あいつらだ……」

「あん?」


 貸し屋がヨルドの背中に隠れ、ポツリと呟く。

 その様子に怪訝な声を漏らし、ヨルドは集団に視線を向ける。


「よーう、貸し屋くん! そろそろ仲間になってくれる気になった?」


 集団の先頭に立つ、一際陽気な男が口を開く。


「お、お前たちの仲間になんてならない!」

「それは困るんだよねぇ。俺らも仕事としてここに来てるわけだからさぁ」


 断固として拒否を示す貸し屋に、男は軽薄そうな笑みを浮かべる。

 そして、その男の隣にいた男がヨルドを見て口を開く。


「おい、こいつって噂の黒蝮って奴じゃね?」

「え? うわ、マジじゃん! あれが話に聞く、三つの牙ってやつ?」

「やば、超幸運だわ」


 ヨルドを黒蝮だと認識した男たちが何やら盛り上がっている。

 自分を見世物にされている感覚。

 ヨルドは微かな不快感を覚え、静かに口を開く。


「誰だてめェら」

「どうも初めまして! お噂はかねがねぇ!」


 男はヘラヘラとした様子で頭を下げる。


「いやー。僕たち、そこの子に用があったんですよぉ」

「そいつぁ悪ィな。こいつはしばらく借りるぜ」


 ヨルドも顔に笑みを浮かべ、毅然と言葉を放つ。

 そこには明確に、お前らは邪魔だという意味が込められていた。

 そんな様子のヨルドに対し、男はひらひらと手を振る。


「いえいえ、全然お気になさらず! むしろこちらとしても、丁度いいんで」


 男がそう言い放った瞬間、男達がヨルドの周りを取り囲む。

 そして一斉に剣を抜き、思い思いに構える。


「実は黒蝮さんにも用事がありましてぇ。死んでもらいたいんすよ」


 取り囲む男達の影が、ヨルドに這い寄る。

 背中の貸し屋が小さく震えているのを感じ、ヨルドは小さくため息をついた。

 そして手を伸ばし、貸し屋の頭を軽く叩く。


「嗚呼、それはむしろ助かるなァ」

「……は?」


 ヨルドの発言を理解できず、男は間抜けな声を漏らす。

 

「ちょうど俺も、殺し足りねェと思ってたところでよォ」


 そう言ってヨルドは、腰から二本の曲剣を抜き取る。

 瞬間、殺意が奔る。

 辺りの空気は一気に圧力を増し、凍える程の重苦しい空気が世界を支配する。


「ケハハ。さァ、殺し合おうぜェ?」


 這い寄る影は、その勢いを弱めていく。

 たった一人の男が放つ、殺意の奔流に呑まれてしまう。

 ヨルドの全身から、闇が溢れ出す。




 もう、後戻りはできない。

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