一方通行の愛
「今の、話?」
訳が分からない。
重大な話を、そんな話と流されて。
結果、するのが今の話?
そんなもの、必要ない。
「俺の負けた話でも振り返ろうってか? いい趣味してるぜ」
「違うわよ。私たちの話よ」
ヨルドの発言は、またもや簡単に否定される。
リターシャの言葉に、今度こそ意味が分からないと首を傾げた。
「……なんだ? 遂にお別れを言いに来たか?」
「あんた、らしくないわね。そんなに卑屈になっちゃって。よっぽど今回の負けが効いてるみたいね?」
フンと鼻を鳴らし、挑発するように言葉を放つリターシャ。
「そんな弱気だから、負けちゃったんじゃないの?」
「……ッ! てめェは何が言いてェんだッ!?」
ヨルドは髪を逆立て、怒りを露わにする。
その全身から放たれる威圧感は、並の人間であれば立っている事すら許されない。
しかし、リターシャは違う。
平然と佇み、涼しげな表情を浮かべている。
何故ならヨルドの言葉には、殺意を感じないから。
「私は今まで、あんたと向き合ってこなかった」
リターシャの放つ言葉に込められていたのは、深い後悔。
「あんたが一人で抱え込んでいる事を知っていながら、私は何も出来なかった。話し合う事もせず、ただあんたが出かける背中を見る事しか出来なかった」
そして、リターシャは静かに頭を下げた。
その姿にヨルドは驚き、一歩後退する。
「ごめん」
「…………なに、言ってんだよ」
リターシャの謝罪。
それに対し、ヨルドは震える声で言葉を漏らす。
その謝罪の、意味が分からない。
「謝る必要なんて、ねェだろうが。俺が勝手にやってるだけで――――」
「そこよ」
ヨルドの言葉を遮り、リターシャは指を差す。
「あんたのそういうところに、私は文句を言いに来たの」
「は?」
「いつも勝手に行動して、事後報告して。先日なんて、勝手に怪我して帰ってきて…………」
怒りとも、悲しみとも捉えられる言葉。
震える体を抑えつけるように自分の身体を抱きしめ、リターシャは口を開く。
「心配させないで」
「な、にを」
ヨルドからしてみれば、その言葉は動揺を誘うに十分なものであった。
今までずっと、そんな風に考えているなんて、思ってもみなかった。
リターシャはいつだって馬鹿みたいに笑って、明るく振る舞って。
そんな素振り、一度でも見せたこと無かったじゃないか。
「もっと信じて欲しいの。頼って欲しいの。私は役に立たない、だらしない女かもしれないけど、あんたの帰ってくる場所くらいは作っててやれるから!」
小さな雫が、頬を伝う。
リターシャの身体の震えは、涙をこらえるためのものであった。
それが遂に、限界に達する。
「な…………」
リターシャの泣く姿を、随分と久しぶりに見た。
この街に来てから、一度だって流したことが無かったのに。
ヨルドの全身が、微かに震える。
「お、お前は。恨んでないのか?」
「…………何を?」
「いや、何をって…………」
リターシャの純粋な疑問に、ヨルドは思わず毒気を抜かれてしまう。
「お前には、恨まれる事しかしてないだろ」
「例えば?」
「7年前と、3年前…………」
「あぁ。お姉ちゃんを殺した時と、私の額に傷をつけた時?」
そう言ってリターシャが指を差した箇所。
そこには、額に奔る裂傷があった。
ヨルドの心に、痛みが走る。
そうだ。
リターシャの額の傷は、他ならぬ自分が付けたものなのだから。
「俺を恨むには、十分だろ」
「馬鹿ね」
しかし、リターシャはヨルドの葛藤を一笑に付す。
「あんたを恨むには、あまりにも長く一緒にいすぎた。今さら何とも思ってないわよ」
「…………何を、言って」
「それに、全部あんたのせいじゃないでしょ。言ってしまえば、事故よ。事故」
そんな風に軽く流せるほど、簡単な話では無かったはずだ。
今もなお、ヨルドの心に深く刻まれた、消えない罪の意識。
この罪を償うことは、一生出来ないというのに。
「……ずっと、気にしてたのね」
リターシャは優しく口を開き、儚げに笑う。
「馬鹿ね。私はそんなことくらいで、あんたを恨んだり、嫌いになったりしないわよ」
その言葉を聞いた瞬間、ヨルドの中で何かが弾けた。
枷が壊れたように、言葉が喉をついて溢れ出す。
「……俺は、お前を傷つけた」
「そうね」
ヨルドの独白に、リターシャは静かに頷いた。
罪の意識はきっと消えることは無い。
それでも、誰かに受け止めてもらうことが大事だから。
「もう二度と傷ついて欲しくなかった。だから遠ざけたのに。3年前、また傷つけた」
「そう、かな」
「だからもう二度と、俺の問題に巻き込まないように。一人で生きていくと決めた」
「うん」
「俺は生まれながらに獣だから。一緒にいればまたお前を傷つける」
「そんな事無い」
淡々と紡がれるヨルドの言葉を、リターシャは優しく受け止めた。
もっと早くから、こうしておけば良かったのに。
こんなに時間がかかってしまったのは、それだけ根深い問題だったからだろうか。
だからこそリターシャは、この時間を愛しく思った。
「俺は、人を殺すことに快楽を覚える、醜い獣だ。人として生きていくのは、無理かもしれない」
「……それで?」
「お前はそれでも、傍にいると言うのか?」
ヨルドが本当に言いたかったことはそれであった。
今回の一件で気づかされた。
自分は本当は、平穏な人間の暮らしを求めていたこと。
そして、自分にはそれが出来ないという事も。
少なくとも、この世界では。
その言葉に対し、リターシャは。
「馬鹿ね」
再び、笑った。
「当たり前でしょ? 獣とか人とか、関係ない。あんたはあんた。嫌と言われようが傍にいてやるわよ」
リターシャは、当然のように言い放つ。
美しく咲き誇る花のように、その姿は部屋の中でも明るく見えた。
朗らかに笑みを浮かべるその表情に、ヨルドの胸のつかえが流れ落ちていく。
「ていうか、あんたが守ってくれないと私生きていけないしね」
「…………あぁ、そうだな」
冗談交じりに呟いたリターシャの言葉に、ヨルドは静かに答える。
そして。
「キャッ!?」
リターシャの身体を、強く抱き寄せる。
「守ってやるよ。どんなに醜くても。お前だけは、必ず」
「……うん」
部屋の中は薄暗く、胸に抱き寄せられたリターシャの表情は見えはしない。
それでよかったと、リターシャは心の中で強く思った。
もし見られていたら、一体どんな顔をしていただろう。
紅く火照った顔を隠すように、リターシャはヨルドの胸元に顔をうずめる。
「お前は――――」
だが。
「アイツの、最後の忘れ形見だからな」
その言葉に、急速に感情が冷えていく。
嗚呼、分かっていた。
自分は結局のところ、あの人の代わりでしかないという事を。
リターシャは動揺を隠すように、ヨルドの胸を突き放す。
「うおッ!」
「まぁつまりそういう事だから。とにかく! これからは何かあったらすぐに私を頼ること! いい?」
「わ、わーってるよ」
ヨルドは突き飛ばされた胸を摩りながら、ぶっきらぼうに言葉を返す。
その様子にリターシャは僅かな苛立ちを覚え、慌てて感情を抑え込む。
これはきっと、悟られてはいけない。
「それと、クックル君もね」
「なんでアイツの名前が出てくんだよ」
「ここに来れたのは、あの子が背中を押してくれたからなのよ」
「マジか」
二人はいつも通りの口調で会話を交わす。
その間に、もう不和は無い。
場の空気も落ち着きを取り戻し、静寂が流れ始める。
「俺が前回戦った奴。アイツは恐らく、俺と同じ院出身だ」
「院って、孤児院のこと?」
「あァ」
リターシャの言葉に、ヨルドは肯定するように頷いた。
「龍の落とし子っつーくだらねェ名目で、大陸中の孤児を集める養成機関。ローダリア王家直轄の運営組織にして、その実態は薄汚い研究所だ。奴らの狙いはただ一つ。完全な龍を生み出すこと」
強く拳を握りしめ、ヨルドは憎らし気に言葉を紡いでいく。
因縁なんて、そんな些細なものじゃない。
これは宿業。
切っても切り離せぬ強い円環の中に、自分は立っている。
その事実に、吐き気を
「あの男はきっと、そこの実験台として利用され、そして捨てられた。だからローダリアに強い恨みを持ってる」
「…………どうするの?」
心配そうに呟くリターシャに対し、ヨルドはその頭を軽く叩く。
「アイツと俺は同類だ。龍の落とし子として生を受け、その身に宿業を背負った哀れな男。だったら先輩として、引導を渡してやらねェとな」
「仲良くはなれないの?」
「あァ」
リターシャの問いかけに、ヨルドは淡々と言葉を返す。
男の右腕に刻まれた龍の刻印。そしてあの時、最後に見た光景。
脈動する心臓のような、流れる血潮のようなあの息吹。
そして、苦痛に歪む男の声。
あれは恐らく、もう。
「俺しかできねェ。やらなきゃなんねェんだ。それをきっと、アイツも望んでる」
「……わかったわよ。どうせ言っても聞きはしないんでしょ?」
「お、よく分かってるじゃねェか」
「どれだけの付き合いだと思ってんの。舐めんじゃないわよ」
「ケハハ、そりゃそうだ」
二人は気付いていた。
底に堕ちてから、長い年月が経った。
あらゆる出会いと、事件が起こり、再び日常を取り戻した。
だが、もう逃げることは出来ない。
ローダリアの闇が、すぐそこまで迫っている。
これから始まるのは、長い激動の時代。
幾度の戦いと、数多の思惑が入り混じる、戦乱の幕開け。
もう、後戻りは出来ない。
「やるからには、負けんじゃないわよ」
「あァ? 誰にモノ言ってんだ」
「一回負けた奴がなんかいってら」
「あ?」
「お?」
睨み合う二人。
そして、リターシャは顔をほころばせた。
「じゃあ、今日はゆっくり休みな。私は帰るから」
「あァ。………………リターシャ」
「なぁに?」
ヨルドの呼びかけに振り返り、リターシャは首を傾げる。
「……ありがとな」
「……いいってことよ!」
親指を立て、リターシャは快活に笑い飛ばす。
そして背を向けて、ゆっくり家から立ち去ろうとする。
壊れた扉に、見て見ぬフリをしながら。
「おい」
「あら、何かしら?」
「扉」
「ちょっと何を言っているのか分からないわね。元から扉なんて無かったんじゃないの?」
「ざけんじゃねェぞイカレ女! 弁償しやがれ!」
「ケチ臭いわね! 返事しなかったあんたが悪いんでしょ!」
「はァ!?」
「何よ!?」
陽も沈み、夜も更ける頃合い。
二人の喧騒は、しばらく周辺一帯に響き渡ったという。
翌日、リターシャは姿を消した。
荒らされた椅子と、割れたウイスキーの瓶を残して。
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