信じる

 目の前の光景に、脳の理解が追い付かない。

 昨日のリターシャの笑顔が脳裏にちらつく。


 乱暴に外された扉。

 床に転がり、大破した机や椅子。

 そして、カウンターの下で割れたウイスキーの瓶。


 その光景は全て、異常性を物語っていた。


「――――――――」


 声が出ない。

 昨日の会話が、走馬灯のように流れていく。

 ヨルドがこれ程取り乱しているのは、ただリターシャが居ないことが理由だけではない。

 この荒れ果てた光景に、静まり返った店内。


 思い出す。

 3年前の、あの日の光景を。


「ぐ…………ゥァアアアアアア亞亞亞ッ」


 爪を立て、胸を抉るように掻き毟る。

 守ると誓ったはずなのに。

 彼女の笑顔を抱きしめ、受け止めたこの胸が。

 熱く灼ける。


「また俺から、全てを奪うのか……ッ!?」


 これだけ近くにいたのに。

 自分はいつも取りこぼす。

 大切なものは、全てが己の愚かさによって失われていく。

 何度目だ。

 俺は何回、罪を犯せば済むのだろうか。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」


 意味をなさない叫びが喉を貫く。

 気が付けば、ヨルドは外へと駆けだしていた。

 どこに居るかもわからない。見つけ出せるかもわからない。

 それでもヨルドは、走り続けた。


 大地を踏みしめ、歪んだ街を駆け巡る。

 中立区域を抜ければ、そこは他者の領域。

 血相を変えたヨルドを目にした者は、慌てて影に身を隠す。

 その様に、胸の内に苛立ちが沸き立つ。

 嗚呼、全員殺してしまいたい。

 この場の人間を殺し尽くし、その鮮血を浴びすすりたい。

 目を閉じ、耳を塞ぎ、今すぐこの苛立ちから解放されたい。


 快楽で思考を埋め尽くせば、この不快な現実から逃避できる。

 だが。


 リターシャは、どんな姿になっても傍にいると誓ってくれた。

 それが醜い獣だとしても。

 ならば俺は、誇れる姿でいなければならない。

 彼女の隣に立ち、共に笑い続けられるように。


 その為には。


「ヨルド殿!?」


 一体、俺はどうしたらいい。




 ☨  ☨  ☨




 その姿を見たクックルは、動揺を隠さずにはいられなかった。

 憔悴しきった瞳、蒼白な顔色。

 今まで自信に満ち溢れていたヨルドの姿が、今は弱り切った小動物のようにその身体を震わせている。


「ヨルド、殿? どうされたのですか……?」

「………………リター、シャが」


 クックルの問いかけに、ヨルドは喉を詰まらせながらも言葉を紡ぐ。


「リターシャが、消えた。恐らく、さらわれた」

「攫われた!? ど、どういうことですか!?」

「店は、荒らされ、暴れた形跡が、あった」


 ヨルドは衰弱しきった様子で、それでも懸命に言葉を紡いでいく。

 その言葉を聞いたクックルは驚きに目を見開く。

 リターシャが攫われた。

 それも、恐らく何者かによって。


「探しに、行かなきゃ……」


 フラフラと身体を揺らしながら、小さく呟くヨルド。

 その姿はどう見ても普通じゃない。

 このまま行かせてしまったら、二度と帰ってこなくなりそうな。

 そんな、危うさを感じる。


「待ってくださいッ!」


 クックルは慌ててヨルドの肩を掴み、制止しようと口を開く。


「どう考えてもこれは罠です! ヨルド殿を動けなくさせ、あの男が優位な状況に立つための――――」

「どうして、そんなことが分かる?」


 冷たい声がクックルの言葉を遮る。

 ギョロリと、ヨルドの暗く濁った瞳がうごめく。

 その様子に一瞬たじろぎながらも、クックルは真正面から視線を合わせた。


「ヨルド殿が負けてから数日。その間に、奴らはどんどん勢力を広げております。あれ以来、北地区では離反者が相次ぎ、暴動も起きている。そんな状況でヨルド殿がいなくなれば、間違いなく北地区は滅びます!」

「それを、奴は狙っていると?」

「そう考えた方が自然かと。…………それに」


 いったん言葉を途切れさせ、クックルは不安げな表情を浮かべる。


「今朝から、アケロス殿の姿が見えないのです」

「…………何?」


 震える声で、ヨルドは言葉を漏らす。

 このタイミングで、アケロスが消える。

 それは、まるで。


「アケロス殿が攫われたとは考えにくいですが、リターシャ殿と同じく何らかの事件に巻き込まれた可能性も……」

「同じタイミングで、二人」

「私もアケロス殿を捜索しているところで、たった今ヨルド殿にお会いしたのです」


 クックルの言葉を耳に入れながら、ヨルドは朦朧もうろうとした頭を必死に稼働させる。

 推測通り、リターシャを攫った理由がヨルドを引き離すためだとしたら。

 そして、アケロスの捜索に人員が割かれている状況。


「不味い」


 ヨルドの脳裏に、嫌な予感が浮かび上がる。


「ヨルド殿?」

「酒王は、誰が守っている」

「現状は、ヴィム殿が身辺警護を担当されていますが……」


 その言葉を聞いた瞬間、最悪の事態が頭をよぎる。

 ヨルドの背中を冷や汗が伝う。


「いまだ………………」

「はい?」

「今、このタイミングを奴は狙ってやがった……ッ!」


 急速に浮上していくヨルドの意識。

 蒼白だった顔色は、怒りによって赤く染めあがる。


「なッ!? まさか」

「今にでも、奴は館を襲撃するぞ。手薄になった警備を容易くぶち抜いてなァ……ッ!」


 ヨルドの身体が怒りに震える。

 自分とまともにやり合える人間を二人、酒王の周りから引き離す。それがあの男の狙い。

 だとすれば、リターシャを攫ったのは間違いなく奴の差し金。

 その事実に気づき、ヨルドは唇を強く嚙み締める。

 皮膚が切れ、唇から溢れた血が顎を伝う。

 悔しさに顔を歪ませるヨルドの脳裏には、二つの選択肢が浮かんでいた。


 ヨルドからしてみれば、酒王がどうなろうと知ったことでは無い。

 あんな小太りジジイなど、死んでしまった方がマシだとさえ思っている。

 だが、ヴィムは違う。


 リターシャと、ヴィム。どちらかしか救えない。


 その事実に愕然とし、ヨルドの意識が徐々に動きを鈍らせる。

 であれば、あの男といい勝負をするだろう。

 しかし今は違う。

 今のヴィムがあの男とやり合えば、勝敗は見えている。

 故に、残された選択肢は二つ。


 心の安寧リターシャか。

 恩人ヴィムか。


「俺は――――――――」


 ヨルドは思考を巡らせる。

 正直に言うならば、大切なのはリターシャだ。

 誰よりも長い付き合いであり、アイツのいない日常は考えられない。

 だが。




『おや、そんなに怯えた眼をして。私はあなたに危害を加えるつもりはありませんよ』



『誰も信じない? いやはや、悲しいことを言いなさる。よっぽど傷つき、裏切られたのですね』



『申し遅れました。私の名はヴィム。王の名に誓って、私は絶対に――――――あなたを裏切りません』




 懐かしい記憶が、脳裏に蘇る。

 この街に来てから、幾度救われたことだろうか。

 初めて出会った人間がヴィムじゃなければ、今もきっと絶望の淵に立たされたままだった。

 リターシャと二人、平穏を享受することが出来たのはヴィムのお陰と言ってもいいのだ。

 故に。


「……………………………………選べねェ」


 小さく、ヨルドは呟いた。


「俺はまた、全てを失うのか…………ッ!? 一体俺は何のために、ここまで強くなってきたッ!? いつも俺は、肝心なところで選択を間違える……ッ!」


 悲痛な叫びは、ヨルドの喉を貫いた。

 枯れ果て、ひび割れた声色は、自らを呪う忌まわしい怨嗟の言葉。

 その言葉の意味を、クックルはまだ知らない。

 ただ漠然と、その苦しみをなんとなく知った気になることしか出来ない。


 それでも。


「ヨルド殿」


 自分はここで、言葉をかけなければならない。


「昨日は、リターシャ殿とお話しできましたか?」

「………………………………………………は?」


 クックルの突然の質問に、ヨルドは間抜けな言葉を漏らす。

 このタイミングで謎の問いかけ。

 それに何の意味があるのか、ヨルドには見当もつかない。


「なにを、いって」

「今までの様子を察するに、無事に仲直りできたようですね。でしたら、私も気兼ねなく伝えることが出来ます」


 クックルは満足げに頷いた後、深く息を吸う。

 そして。



「もっと、私を頼ってくださいッ!」



 強く言い放った。


「ヨルド殿はいつも、一人で全てを解決しようとしますけどねぇ! この際だから言わせていただきます! 自惚れるな!」

「………………は?」


 突然の罵倒に、思考が追い付かないヨルド。

 もはや茫然と声を漏らすことしか出来ない。

 そんな様子のヨルドを置いて、クックルは話し続ける。


「ヨルド殿はそりゃあお強いですよ! 私の知る限りでも一位二位を争う程の、紛れもない強者です。だけど、完璧なわけじゃない! 横暴で、口が悪くて、すぐに手が出る。化け物じみた――――――――」


 そう言ってクックルは、小さく笑いかける。


「普通の人間です」


 ドクン

 心臓の鼓動が、大きく鳴り響く。


「お、れは」

「普通の人間は、困った時には誰かに助けを求めるものです」

「俺、は…………」


 クックルの優しげな声色から放たれる言葉に対し、ヨルドは。



「俺は、誰にも縋らねェ」



 怨嗟の言葉を吐き出した。


「今までもそうやって生きてきた。この街で、俺はそうして大切なものを守ってきた! 今回だって、俺一人で何とかして見せるッ! 偽りの優しさで、俺の心に触れるなァァァッ!」


 狂気の獣は牙を剥く。

 ヨルドを縛り付けるもの。それは記憶、過去の呪い。

 裏切られ、傷つけられてきた経験は、そう簡単に心を開かせない。

 強き獣は、常に孤高。

 弱者の言葉は耳に届かない。


 ならば。


「分かっています。私はまだ、ヨルド殿のことを何も知らない。この言葉も、偽善者の戯言と言われても仕方ないと思います」


 故に、男は剣を抜く。

 自らの想いを知ってもらうために。


「信じることは、怖いことですから。誰かに自分を信じてもらうためには、自分も傷つく覚悟で挑まなくては」

「……本気か?」

「本気です」


 クックルの行動を信じられないとばかりに、ヨルドは目を大きく見開いた。

 正気を問う言葉に、クックルは真正面から応える。

 自分の覚悟を、想いを、刃に乗せて。


 クックルは剣を正中線に構え、静かに口を開く。




「偽善者と罵られても。私は、私の信念を信じます」

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