その想いは刃と共に

「その行動に、何の意味があるッ!?」


 ヨルドの鋭い声が、辺り一帯に響き渡る。

 全身から立ち込める怒りの波動は、目の前に立つクックルの背筋を凍らせた。

 だが、ここで諦めては意味が無い。


「やってみれば、わかりますッ!」


 クックルはそう言って、上段から剣を振り下ろす。

 その行動にヨルドも慌てて双剣を腰から抜き、その刃を受け止める。

 剣にかかる重圧に、ヨルドは苛立った。

 あまりにも、軽すぎる。


「お前の覚悟は、こんなものなのかァッ!?」

「く……ッ!」


 弾き飛ばされるクックルの刃。

 手に伝わる衝撃に振り落とされないように、クックルは強く剣を握りしめる。


「まだ、まだッ!」


 諦めず、懸命に刃を振るう。

 しかし、その全ては尽く打ち落とされる。

 クックルとヨルドでは、そもそもの地力に大きな差があった。

 それでも。


「こなくそッ!」


 クックルは歯を食いしばり、ひたすらに剣を振るい続ける。

 その行動に、ヨルドは再び苛立ちを覚えた。


「お前の剣は、軽いんだよォッ!」


 ヨルドは双剣でクックルの刃を弾き、その腹に蹴りを入れる。


「かはッ!?」


 風穴を空けられたような感覚。

 実際には、穴など空けられていない。

 しかし、腹から伝わる衝撃はそう錯覚させるには十分なもので。

 胃液が逆流しそうになるのを、クックルは必死に押さえ込んだ。


「……さ、流石ですね」


 痛みを堪えながら、クックルは静かに笑う。

 その行動が、ヨルドの癪に障る。


「いい加減諦めろッ! お前の弱さじゃァ何も成せねェ! 弱い奴は、自分の意志を通せねェんだよ!」


 額に血管を浮かべながら、ヨルドは強く叫んだ。

 怒りに滲む言葉には、微かな焦りが感じられる。

 それをヨルド自身も自覚していた。

 焦り。

 一体自分は何に焦っているのか。


「ヨルド殿は……そうやって強くなってきたのですね」


 クックルは苦痛に歪んだ表情で静かに呟いた。

 同じように、クックルもまたヨルドの焦りを感じていた。

 何に焦っているかは分からない。

 だが、ヨルドの言葉に込められている想いは、確かに届いた。


「自分の意志を貫くために、その刃で相手をねじ伏せる。確かに合理的で、強者にしか許されない特権です。でも、それは――――」


それはまるで、同情しているかのような。

悲しげな瞳を、クックルは浮かべた。


「少し、寂しい」


ドクン

まただ。

心臓が強く鼓動する。


ヨルドの脳裏に、再び古い記憶が蘇る。




『公爵家当主の顔に泥を塗るとは、打首に処す! と言いたいところだが、流石に強いな。お前の剣は思わず見とれてしまう程、賞賛に値する。だが――――』


バドリック。



『ここまで強い方を、私は初めて拝見しました。あなたの刃には、力強い信念が込められている。その研鑽、弛まぬ努力が私の手にも伝わってきます。ですが――――』


ヴィム。




「寂しい、だと?」


 その言葉に、ヨルドは激しく動揺する。

 同じような言葉を、以前にも言われたことがあった。

 かつて刃を交わした者たちと同じ言葉を、クックルも口にする。

 それが、忌々しい。

 ヨルドは苛立ちを隠す様子もなく、激しく吠える。


「俺のどこが寂しいんだァ!? 事実として、お前は手も足も出ていないッ! 並び立つことが出来ない己の弱さを、寂しいなんて言葉で誤魔化してんじゃねェッ!」

「それは違うッ!」


 ヨルドの言葉を否定するように、クックルは力強く言葉を放つ。

 震える手で、それでも剣を握りしめる。

 自分が弱いことも、手も足も出せないことも。

 よくわかっている。


「剣じゃない。寂しいのは、あなたの在り方だ」

「俺の、在り方?」


 戸惑うヨルドを前に、クックルは静かに口を開く。


「強ければ、何でもできる。一人でも。否、一人で出来ないと、他ならぬあなた自身が決めつけている」


 クックルは剣先を突きつけながら、ヨルドへと語り掛けている。

 その刃が示す先は、ヨルドの心臓。

 心の奥を射抜くように。クックルの剣は、瞳は、真っ直ぐにヨルドを貫く。


「きっとそれは、今までだれにも頼らず、自分の手で道を切り開いてきたから。私にはそれが無い。生まれた時から公爵家の人間で、恵まれた人生を送ってきた。だからあなたのように何かを成そうとする意志が、私の剣には無いのでしょう」


 瞳を伏せ、クックルは小さく呟いた。


「だから、剣が軽い」


 その様子に、ヨルドは激しい苛立ちを覚える。

 分かっているなら。

 自分で自覚しているなら、何故。


「あァ、そうだ。お前の剣からは重さを感じねェ。その刃に込められた意志が、羽のように軽――――」

「だからッ!」


 ヨルドの言葉を遮り、クックルは鋭く吠える。

 堂々と、気丈に佇むクックルの身体から。

 微かに。


 闘志が溢れ出す。


「私はこれからッ、人生をかけて己の剣を磨き上げるッ! あなたが私の剣を軽いと言うのなら、重くなるまで、何度でもッ!」


 渦を巻くように、溢れた想いが形を成す。

 今はまだ、おぼろげな片鱗だけだとしても。

 クックルの纏う圧は、間違いなく変化している。

 重く、増していく圧力。

 軽薄さと重厚さを併せ持つ、クックルだけの剣の形。

 クックルだけの、牙。


「私は、いつか必ず、あなたの隣に並び立つ! 一人でいいなんて、私が言わせないッ!」

「……この、野郎」


 伝播する、猛き想い。

 触発されそうになる心の扉を抑え込み、ヨルドは牙を剥き出しにする。

 初めて向ける、クックルへの殺意。


「傲慢も大概にしろォッ! 俺に期待させるなッ! 俺は端から、誰にも期待しちゃいねェんだよォォォッ!」

「期待してください!」


 ヨルドの身体から溢れ出す殺意の波動。

 ソレに真正面から対立し、クックルも自らの牙を剥く。


「私のこの想いは、嘘じゃないッ!」


 先手を打ち、クックルが駆けだした。

 その動きは、大して早いモノでは無い。

 ヨルドの眼には余裕を持って捉えられる程、緩慢な動作。

 だから、お前の剣は軽いんだ。

 そう思ったヨルドの視線の先、クックルの刃が。


 音も無く加速する。


「なッ!?」


 気が付けばその刃はヨルドの首元に伸びていた。

 上体を捻り、余裕をもって回避は出来た。

 だが、あと一手遅ければ、身体に傷を付けられていただろう。

 油断していたからか。

 否、違う。

 少しずつ、確かにクックルの剣は、変化している。


「この、野郎がァッ!」


 認めない。

 動揺を振り払うように、ヨルドは剣を振るう。

 今までの価値観を守るために。

 ここで揺れれば、自分の過去を否定することになる。

 誰にも縋らないという、自分自身の誓い。

 こちらにも、譲れぬ信念がある。


「認めさせてみろ、この俺にッ! 出来るもんならなァッ!」

「はいッ!」


 ヨルドの叫びに呼応する形で、クックルも高らかに声を上げる。

 その表情には、笑みが溢れていた。


「いきますッ!」


 再びクックルは剣を振るう。

 その斬撃は、先程よりも少し早い。

 見る度に加速する刃。

 いや、真に目を見張るべきはべきは、クックルの成長速度か。


「ハッ!」


 双剣で受け止める度に、剣の重みは微かに増していく。

 まだまだ軽い。

 しかし、確実に一歩ずつ。

 その想いは、刃に浸透する。


「ケハッ!」


 空気を切り裂き、うねりを上げる。

 徐々に速度を増していく、ヨルドの刃。

 相手の剣を、真正面から捻じ伏せる。

 手のひらに感じる手応えに、その衝撃に。

 まだだ。まだ、足りない。

 もっと。

 もっと。


「クッ!」


 圧倒的な剣の圧力に対し、クックルは。


「――――クックック!」


 強張った表情を崩し、破顔した。


「………………何、笑ってやがる」

「え? なんでって、それはもちろん楽しいからですよ」


 戸惑った様子のヨルドに、クックルはさも当然のように口を開く。


「ヨルド殿も、そうでしょう?」

「は? 何を言って………………」


 微笑みながら問い返すクックル。

 その言葉に、ヨルドは意味が分からないと言葉を紡ぎ。

 そして、顔に手を振れる。

 ヨルドの口角は、確かに上を向いていた。


「あァ」


 また、快楽に身を委ねていたのか。

 所詮は獣。殺しにしか愉悦を感じない人もどき。

 醜い性根が、透けて見える。

 ヨルドが瞳を伏せかけた、その時。


「別にいいじゃないですか」


 クックルの言葉が、静かに鼓膜を震わせる。


「楽しかったら笑ってもいいんです。実際、私はめちゃくちゃ楽しいですよ。剣を交わす度に、ヨルド殿の想いが、刃と共に直接伝わってきました。それが私は、とても嬉しい」

「…………キメェな」

「えっ!? なんでですか!?」


 まるでいつものやり取りのように、ふざけた表情を浮かべるクックル。

 その姿に、ヨルドは目を細める。

 裏表もなく、馬鹿みたいに真正面から刃を交わす。

 怖くないはずがない。

 それでも、クックルは自分の我を通すために剣を握った。

 それは、決して強い姿では無いけれど。


「寂しい、か」


 ヨルドは改めて、先程言われた言葉を反芻させる。


「お、怒ってるんですか……?」

「違ェよ。てか、今さらビビってんじゃねェよ」


 クックルの姿に呆れた表情を浮かべ、ヨルドは静かに思い返す。

 かつて、友に言われてきた言葉。

 その意味を、自分は長いこと理解することが出来なかった。

 だが、今ならほんの少し。

 自分の心に湧き上がる、確かな何かが感じられる。


「強さに執着してきた俺が、弱ェ奴の言葉に揺さぶられる。…………ケハハ。とんだ笑い話だなァ」


 天を仰ぎ、ヨルドは静かに呟いた。

 笑っている暇などありはしない。

 早くリターシャを見つけ出さなければ、手遅れになる可能性だってあるのだ。

 分かっている。

 それでも、今はただ。


「あァ、クソッたれ。悔しいのに、清々しい気分にさせやがってよォ」


 この快楽に、身を委ねていたい。


「良かった。分かってくれたんですね」

「勘違いすんな。俺はただ、お前の意見を受け入れただけだ。お前の意志も、覚悟も、まだ足りねェよ」


 ホッと胸をなでおろすクックルに、ヨルドは冷たい言葉を浴びせる。

 双剣を握る手は、まだ緩められちゃいない。


「来いよ。お前の想い、俺に刻み込んでみろ」

「………………はいッ!」


 クックルの背筋に、鳥肌が立つ。

 全身が、沸騰するように熱い。

 ヨルドの吐いた言葉は、間違いなくクックルを激励していた。

 その事実に、闘志が湧く。


「クッ……クック」


 いけない。

 喜びが抑えきれない。

 クックルが必死に感情を殺そうとしていた、その時。


「好きに笑え」


 ヨルドは静かに、語り掛ける。


「楽しい時は、笑うもんなんだろ?」


 その言葉を聞いた瞬間、クックルの枷が弾け飛ぶ。

 感情を隠すことなく、爆発する感情。

 比例して高まる圧力。

 心の底から、楽しむように、クックルは笑った。

 そして。


「クックックックック!」

「ケハハハハハハハハ!」


 ヨルドも呼応するように、笑みを浮かべる。

 共に笑い、共に闘志を高めていく。

 競い合うように、交じり合うように。反発し、融和する。

 相容れない考え方は、分かり合うことが出来るのか。

 それら全ての結果は。



「行きますッ!」

「来いッ!」



 今、ここで決まる。


 クックルは想像する。

 自分が今できる最速の一手。それは間違いなく、あの瞬間だ。

 記憶に蘇る、白龍将との決闘。

 あの突きは、間違いなく今までの人生の中で会心の一撃であった。

 だが。

 果たして本当に通用するのか。

 分からない。

 それでも。


 剣を再び正中線に構え、クックルは思考を切り替える。

 悩むな。

 今の自分に出来ることを、最大限やるだけだ。

 思い出せ。あの時の自分は、何を考えていた。

 絶望しても、剣を取る。


 そうだ。

 諦めない。

 その想いは、刃と共に。


 あの時の白龍将の言葉は、確か――――











「――――――――――――――――――シッ!」




 龍に噛みつく、気概を見せろ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る