次世代へ巡る証

 一瞬だけ。

 僅か瞬きの間、その閃光は音を置き去りにした。

 刃の切っ先が輝き、寸分の狂いも無く首元へと迫る

 そして。


 バキッ

 以前に見た光景。

 その刃は、根元から断ち切られていた。


「負け、ました」


 心の底から悔しそうに、クックルは言葉を吐いた。

 そして、目の前に迫る刃を見つめる。

 自分の剣を折られ、相手の刃を突きつけられている現状。

 これを敗北と呼ばず、何という。


「あァ。ったくよォ………………」


 呆れた物言いが、頭上から降り注ぐ。

 クックルの表情が、恐怖に強張っていく。

 威勢のいいことを言っておきながら、自分の想いは、届かせることが出来なかった。

 失望させた。

 その恐怖に、クックルは瞳を閉じる。



「人の顔に傷つけやがって」



 そして、その言葉に顔を上げる。

 ヨルドの右頬。そこから伝う、紅い雫。

 それは確かに、僅かなものだった。

 だが、それでも。

 クックルの剣は、確かに届いたのだ。


「おいおい、なんて顔してやがる」


 そう言って微笑むヨルドの表情は、まるで憑き物が取れたかのようで。

 安堵が胸を襲い、そして。

 クックルは思わず、腰を抜かす。


「いてっ」

「過集中だな。頭に血が巡りすぎだ」

「アハハ、少々興奮しすぎてしまいましたね」

「はァ………………ったく」


 呆れた表情で、ヨルドは手を差し伸べる。

 その手を迷わず掴み、クックルは引っ張られるように立ち上がる。


「なァ」


 ヨルドは手を掴んだまま、静かに口を開く。


「お前に、一つ聞きたい」

「なんですか?」

「俺は、獣か? 人か?」


 恐る恐る尋ねるヨルドに対し、クックルは。


「え、どっちだろ。どっちでもいいような……」


 あっけらかんと言い放った。


「……お前に聞いたのが間違いだった」

「あ、ちょ、お待ちください!」


 手を離そうとしたヨルドを止めようと、クックルは慌ててその手をもう片方の手で掴む。

 そして、静かに告げる。


「人か、獣か。そんなもの、大差などありませぬ」

「……何?」

「人は誰だって、心の中にケダモノを飼っています。人の心根が醜いなど、当然のことです」


 クックルはそう言って、優し気に微笑む。


「人でもあり、獣でもある。それでいいではないですか」

「人でもあり、獣でも………………」


 その言葉は、ヨルドにとって目から鱗が落ちる衝撃であった。

 強きが獣。弱きが人。

 力か、平和か。どちらか一方しか選べないと、本気でそう思っていた。

 だが、そうではないのか。


 もしそうならば、俺は。


「……ケハハ」


 湧き上がった笑いが喉から漏れる。

 今までの、あまりにも浅はか過ぎた考え。

 そうだ。

 傲慢でいいじゃないか。

 全てを取ろう。人も、獣も。その全てを。

 何故なら自分は、全てを呑み込む――――


 黒蝮なのだから。


「あァ。俺はいつも、助けられてばっかだ」


 強いと思っていた自分は、昨日と今日で二人の人間に救われた。

 リターシャとクックル。

 弱者だと、守るべき対象だと思っていた奴らが、まさかこんなにも強いとは。

 揺るがぬ信念。

 その一点で、負けていた。


「それは違いますよ」


 しかし、そんな考えをクックルが否定する。


「私は今までヨルド殿に助けられてきました。だからこれは恩返しです。私はまだ、本当の意味であなたの助けになれていない」


 クックルの真剣な眼差しが、ヨルドの身体を貫いた。


「もう一度言います。――――――私を、頼ってください」

「…………あァ、眩しい野郎だ」


 真正面から恥ずかしげもなくそんなことを口に出す。

 その眩しさが、今は心地よい。

 ヨルドは諦めたように口を開き、そして。



「頼む。俺一人じゃ無理だ。お前の力を、貸してくれ」



 静かに頭を下げた。

 その言葉に、クックルは満面の笑顔で応えた。


「はいっ!」


 ここに勝敗は決した。

 しかし、その戦いの結果は一言で表せるものでは無い。

 試合に勝ち、勝負に負けた者。

 試合に負け、勝負に勝った者。

 二人の争いが生み出したモノ。それは、信頼。


 この戦いは、その後の二人の運命を大きく変えることとなる。




「あァ。それともう二つお願いがある」

「え、さらにですか……?」


 人に頼ることを覚えてから、あまりにも実践が早い。

 昨日のリターシャもそうだが、思い立ったら即行動の人間なのだろうか。

 ここまで来たら、もはや笑えてくる。


「もう、分かりました。何をすればいいんですか?」

「大したことじゃねェよ」


 クックルの了承に対し、ヨルドはそう言いながら懐に手を突っ込む。

 そして。


「髪、結んでくれ」


 懐から取り出したのは、簡易な紐のようなモノであった。


「え、それが一つ目のお願いですか?」

「あァ」

「あ、そうですか」


 簡単なことまで人に頼るようになってきた。

 これは果たして、いい傾向なのか。

 クックルは疑問に思いながら、ヨルドの背後に立つ。


「適当に一つ結びでいいぞ」

「承知しました」


 クックルはそう言って、目の前に流れる長い髪の毛を手に取った。

 こうしてみれば、ヨルドの背中から、その髪の毛を触っている現状。

 確かにこれは、普通では許されない特権であるような気がしてきた。

 徐々に浮かれ気味になってきたクックルは、黒髪を一つに束ねていく。


 そして、 ヨルドの首元が露わになる。



「――――――――――――え?」




 クックルは思わず間抜けな声を漏らす。

 そこには、龍の紋章が刻まれていた。




 ☨  ☨  ☨




 酒王の館。

 そこは、本来であれば認められたものしか入館することを許されない。

 それが例えヨルドだとしても、許可が無ければ命を懸けて撃退する。


 もっとも。ヨルドの場合は、ヴィムが対応する。

 よっぽどのことが無い限り、大人しく帰ってくれるのだが。


「キヒヒ! おっさんやるねェ。こんな強い奴がいるなんて話、聞いてないんだけど?」


 黒い外套を身に纏い、男は楽しげに笑う。

 その様子を前に、ヴィムは静かに冷や汗を流す。

 目の前のこの男は、どうやら大人しく帰ってくれはしないようだ。


「お褒めに預かり光栄ですね。どうです? 向こうの部屋でゆっくりお酒でも」

「キヒ! 酒王らしいもてなしだが、俺は遠慮しておく。生憎あいにくと、俺の仕事はそいつをブチ殺すことだからなぁ」


 男の声色からは、楽し気な雰囲気しか感じ取ることが出来ない。

 一体何を考えているのか。

 ソレを当てることが出来る程、ヴィムは全能では無いのだ。

 そして、唯一分かることは。


「残念。使、もうちょっと楽しめたのになぁ」


 この戦いに勝ち目は無いという事。


「お言葉ですが、コレは大切な友情の証です。私に後悔はありませんよ」

「なんだそれ、妬けるじゃんかァ」


 ヴィムの堂々とした言い草に、男は嫌味交じりの言葉を吐く。

 後悔していないという言葉は嘘偽りのない真実である。

 しかし実際に、追い詰められている状況なのも事実。

 刻一刻と、終わりの時は近付いていた。


「でもさ。正直馬鹿なことしたよなァ、おっさん。利き手じゃない方でこの腕前。アンタ相当強かったろ? 友情だか知らねェけどさ、他人の為に腕捨てるなんて、勿体ないことしたね」


 男が視線を向けた先は、ヴィムが剣を持っている方とは反対の腕。

 その右腕は力なく垂れ、腕としての機能を果たしていない。


「曲げたり、何かを掴むくらいは出来ますよ」

「キヒヒッ! 馬鹿言っちゃいけねぇ。モノを掴むのでやっとだろ? 剣を振るうなんて不可能じゃんか」

「右手が使えなければ左手。両手が使えなければ口で。どれだけ無様でも、諦めてはいけないのですよ。若人よ」

「ハイハイ。おっさんの説教聞きに来たわけじゃねぇっつーの」


 ヴィムの言葉を流し、男は長剣を振るう。

 風を切り、弄ぶように刃が空中を踊る。

 その練度。男の技量がうかがえる。

 これでは、全盛期の時ですら余裕とはいかなかっただろう。


 しかし。


「あなたと似た人を、私は知っています」


 ヴィムは信じていた。


「孤独な剣を振るい、化け物じみた強さを持ち、そして寂しそうに言葉を吐く男を」

「…………何言ってんだ? とうとうイカれたか?」


 ヴィムの言葉の意味を理解出来ず、男は怪訝そうに首を傾げる。

 だが、ヴィムは知っていた。

 目の前の男と、彼の、決定的な違いを。


「ですが、彼の方が苦悩していました。そして――――」


 窓から差し込む光に、影が差す。


「悩み抜いた人間は、誰よりも強い」


 館の窓が、破られる。

 ガラスが光を反射し、粉々になったソレが雨のように降り注ぐ。

 割れた窓から月明かりが差し込む空間。

 その中央に。


 男が舞い降りた。



「悪ィな。待たせた」



 いつもと雰囲気が違う、髪を結んで現れたその男。

 ヨルドは、ヴィムに対して背中越しに口を開く。


「いえ。信じておりましたよ」

「ケハハ! いいねェ、信じるって」


 二人の会話には、言わずとも伝わる信頼関係が滲んでいた。

 ヴィムから見て、ヨルドの雰囲気はまるで違う。

 髪を結んだだけでは無い。

 纏う意志が、想いが異なる。


「先輩じゃんかァッ! 元気にしてたかぁ?」


 突然現れたヨルドに対し、男は瞳を輝かせた。


「あァ、お陰様でな」

「そいつは何よりだ。んで、アンタは何しに来たんだ?」

「てめェは馬鹿か? こんなところに来た理由なんざ、一つしかねェだろ」


 男を嘲笑うように、ヴィムは高らかに吠える。


「リベンジマッチだ。やろうぜ、後輩」

「…………雰囲気変わった?」


 堂々と佇むヨルドの姿に、男は違和感を覚える。

 髪が変わっただけで、こうも印象が変わるものなのか。

 そんな男の様子に言葉を返すことなく、ヨルドは背面のヴィムに向かって口を開く。


「悪ィな、ヴィム。、あげちった」

「おや、どうりで見当たらないと思いました。もう必要無いので?」

「あァ。迷いは晴れた」

「ははは、それは何よりです。では、後は頼みましたよ」


 そう言ってヴィムは、割れた窓から外へと出ていった。

 老体でありながら、あまりに軽い身のこなし。

 やはりまだまだ現役だな。

 ヨルドは心の中でそう思った。


「……何を話してやがる?」

「あん? お前、まだ気づかないのかよ」


 男の怪訝そうな声色に、ヨルドは腰に向かって指を差す。


「………………あッ!?」


 そして、男は気付く。

 そこにあるはずのモノが、無いということに。


「ケハハ。お前のお望み通り、見せてやろうと思ってなァ」

「待て! じゃあ、アレは捨てちゃったのか?」

「馬鹿野郎。あんな大事なモン、捨てるわきゃねェだろ」


 そう言って、ヨルドは笑みを浮かべる。

 誇らしげに、どこか嬉しそうに。



「アイツらは、持つべき奴のところへ行ったんだよ」








 北地区は、その街の歪な形状故に、様々な空間が存在する。

 人工獣道、大広場に、迷路のような街並み。

 そして。


「本当は、予想が当たって欲しくは無かったんですけどね」


 ポツリと呟いたクックルが向ける、視線の先。

 そこは、やや広めの一本道。

 向こう側へ渡りたければ、必ずこの道を通らなければならない。

 そして。この道さえ警戒しておけば、侵入者を捌くことが出来る。


 その絶対的な守護者こそ。


「何故、貴様がここにいる?」


 威風堂々と佇み、金髪をなびかせる偉丈夫。

 アケロスが、道を塞ぐように立っていた。


「タイミング的に怪しすぎますよ。あれだけ酒王様の元から離れなかったアケロス殿が、たまたまこの日にいなくなるなんて」

「………何の話だ?」

「しらばっくれても無駄ですよ」


 凍えるような笑みを浮かべ、クックルは言い放つ。



「リターシャ殿を、返してもらいましょう」



 その言葉に、アケロスは一瞬目を見開いた。

 そして納得したように瞳を閉じ、ゆっくりと口を開く。


「なるほど。黒蝮は女を捨てたか」


 そう言ったアケロスの表情は、歓喜に歪んでいた。

 誰にも見せたことの無い、醜い感情の発露。

 それを生で見た人間は、クックルが初めてである。


 だが。


「いえ、勘違いしないでください。私を信頼して、託してくれたのですよ」


 アケロスの様子を気にすることなく、クックルは毅然とした態度で口を開いた。


「………信頼だと? 貴様が? 誰から?」

「私が、ヨルド殿から信頼されていると言ったのです」


 その表情は、誇らしげなものであった。

 クックルの言葉に、アケロスは額に血管を浮かべる。

 そして隠そうともしない怒りの感情を剥き出しにし、激しく言葉を吐き散らす。


「貴様のような弱者を、あの男が信頼するだと!? あり得んッ! あってはならん事だ! 奴は絶対的な強者であり、孤高の存在であり、全てを尽く蹂躙する獣の完成形――――」

「口を慎め」


 底冷えする声が、空気を震わせる。

 アケロスの長々とした言葉を遮り、クックルは口を開く。


「理解しようとすらしなかった人間が、ヨルド殿を知った気になるな。あなたの話を聞いていると、虫唾が走る」

「ク、クハハハッ! 粋がるなよ雑魚が! お前のような、この街に来たばかりの人間が、奴の何を知ってい……………る、と」


 嘲笑うように言葉を吐いていたアケロスの表情が、徐々に曇り出す。

 アケロスの視線の先。

 そこは、クックルの腰周りであった。


「ば、かな。貴様が、何故ソレを持っているゥゥゥッ!?」


 驚愕に揺れ動くアケロスの姿に、クックルは静かに笑う。

 そして、ゆっくりと牙を剥く。


「これは、私が託された、大切な信頼の証です」


 そう言って、クックルは静かに構える。

 胸の前で腕を交差し、二枚の刃がを描く。

 その姿は、どこか見る者を不気味な気持ちにさせる。

 溢れ出す闘志の波動が、クックルの全身を覆い尽くす。



「双剣、ウロボロス」



 その剣は、次世代へと巡る。

 持ち主を変え、時代を超え、それでも想いは繋がっている。

 全ては繋がり、






 両雄、並び立つことは叶わず。

 それでも、信じる心は繋がっている。


 今ここに。北地区最後の決戦、その火蓋が切って落とされた。

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