3年前の真相

「認めん…………、認めんぞ。俺は、そんなもの」


 ぶつぶつと独り言を呟きながら、アケロスは身体を震わせる。

 無表情で常に余裕を持つ、いつも通りの姿はそこには無い。

 “荘厳なる”と謳われた片鱗を、微塵も感じない。

 その様子に、クックルは不信感を抱く。


「……………………まぁ良い」


 低い声を口から漏らし、アケロスは槍を強く握りしめる。

 そこに、先程までの焦りは無い。

 瞳に冷酷な色を浮かべ、アケロスは静かに口を開く。


「ならば貴様を殺す。そうすれば奴も気付くだろう。強者は常に、孤高なのだと」


 アケロスはそう言って、槍をゆっくりと上段に構える。

 その佇まいは、クックルから見ても圧巻の一言。

 真正面に立ち、ようやく悟る。

 この男もまた、強者に名を連ねる者なのだ。


「そうは、させません」


 クックルもまた、相手の攻撃を迎え撃つ態勢を整える。

 幅の広い一本道。

 もはやどこにも逃げ場は無い。

 ならば。


「来いッ!」


 真正面から、受け止めるのみ。

 クックルは自分を鼓舞するように、鋭く吠える。


「――――――――フッ!」


 鋭い呼吸音と共に、アケロスの槍が伸びる。

 全てを貫く豪槍に対し、受け止める技量は無い。

 だからこそ。


「くッ!」


 クックルは双剣を用いて槍の軌道を逸らす。

 刃の上を穂先が滑り落ち、火花が弾け飛ぶ。


「まだだ」


 アケロスはそのまま槍を捻る。

 たったそれだけ。

 その小さなきっかけは、槍の軌道に僅かな変革をもたらす。

 それはまるで、嵐の前の静けさのように。


ね。下郎」


 僅かな変化が、大きなうねりを巻き起こす。

 クックルの握る双剣が、いとも簡単に弾き飛ばされる。

 そして。


「ぐッ!?」


 クックルの脇腹を、豪槍がかすめる。

 慌てて上体を捻ることでなんとか回避できた。

 それでも、軽く触れられただけで皮膚は抉られ、赤い血が服に滲む。

 痛みに顔を歪めながら、クックルは理解する。


 自分が今まで戦ってきた相手のほとんどは、明らかな格下であった。

 武の心得を持たない者が大多数の中で、刃を交えた強者たちは僅か二人。

 白龍将とヨルド。

 だが、この二人は自分を殺しにきてなどいなかった。

 あくまで自分は遊ばれ、試されていただけ。

 そこに明確な殺意はない。

 しかし、今目の前にいる男は違う。


 自分より圧倒的な強者が、自分を殺しにかかってくる。

 その事態を、クックルは甘く見ていたのだ。


「死ね」


 短く呟き、アケロスは再び槍を振るう。

 人の身長ほどの長さがあるその槍を、いとも容易く扱う剛腕。

 その剛腕によって放たれる連撃は、並の一発では無い。

 その全てが必殺の、槍の嵐だ。


「う、うおおぉぉぉぉぉぉッ!?」


 もはや頭で考えている時間は無い。

 感覚で、その場の動きに対して双剣を合わせる。

 雨粒を切り裂くような、無限にも等しい作業の連続。

 それでもクックルは腕を止めない。


「ほう?」


 その行動に、アケロスは素直に感嘆していた。

 身体中出血しながらも、肝心なところは防ぎ、辛うじて避けている。

 以前までのクックルに、これだけの技量は無かった。


「やるな。だが」


 突如、嵐が止む。

 その事実にクックルが気付いた、次の瞬間。

 顔面を、凄まじい衝撃が襲う。


「ぐぁ……ッ!」


 クックルはそのまま吹き飛ばされ、背中から地面に着地する。

 砂埃すなぼこりが宙に舞い、傷に染みていく。

 しかし、そんなことよりも。

 今、自分は殴られたのか?


「ふむ。貴様のそれなりに整った顔も、そのザマでは立つ瀬がないな」


 アケロスの言葉と同時に、何かが地面に落ちた。

 クックルは、ゆっくりと視線を向ける。

 それは、クックルの欠けた歯であった。


「なんと醜い。無様で、醜悪で、反吐が出る。中途半端なその在り方も忌々しい」

「中途半端な、在り方……?」

「そうだ」


 アケロスは顔を歪め、拳を強く握りしめる。


「初めて見た時から思っていた。貴様はあまりにも、。確かに才能はあるかもしれない。それに関しては俺も確かに驚いている。だが、貴様からは土に塗れた経験が感じられない」


 冷酷な瞳でクックルを見下し、アケロスは凍える声色で言葉を吐く。


「泥の中で必死に足掻いたことも、鮮血に汚れたことも、己の不甲斐なさに歯痒さを感じたことも無いだろう。そんな中途半端な姿で、荘厳たる俺の前に立つな」


 そこまで言うと、アケロスは天を仰ぎ、恍惚の表情を浮かべる。

 それはまるで、信者が神に祈りを捧げる表情のようで。

 クックルの背筋が、ゾクリと震える。


「奴は違ったッ! 3年前、俺は奴に出会った。あの男の姿は、誰よりも醜く、そして誰よりも美しかった……」


 吐息交じりに言葉を漏らすアケロス。

 その姿の、なんとおぞましいことか。


「光とは、泥の中でこそ真の輝きを発する。俺はその時、真の光を見た。醜く足掻き、鮮血に身体を染め上げ、自らの愚行に涙する奴の姿ときたら――――とんだ傑作だったなァッ!」


 顔を手で覆い隠し、アケロスは嗤う。


「自らの尊敬する人間を壊し、己の大切な存在に傷をつけた。あの時我に返った奴の表情ときたら……クハハハッ! 思わず笑ってしまう」

「一体…………なんの話を、してるんだ?」


 アケロスの語る内容に、クックルは呆然と言葉を漏らす。

 今までそんな話、一度たりとも聞いたことは無かった。

 ヨルドが話したがらなかった記憶の一端に、今触れようとしている。

 そんな様子のクックルに、アケロスは納得したように頷いた。


「そうか、貴様には詳しく話していなかったな。3年前、奴が何をしたのか」


 そして語られた内容に、クックルは驚愕する。



「奴はヴィムの右腕を破壊し、リターシャの額を切り裂いたのだ」

「――――――――――――――――」



 言葉が、出ない。

 告げられた真実は、想像を遥かに超える、悲劇であった。

 その時。クックルの脳裏に浮かんだのは、憔悴したヨルドの表情。

 そして、自分を責め続ける怨嗟の言葉。

 ヨルドはきっと、このことを言っていたのだ。

 それらの苦しみ、重圧、自責の念。

 きっと、筆舌に尽くしがたいモノだっただろう。


「我を忘れ、ヴィムに止めを刺そうとしたヨルドの前に立ち、あの女は傷を負った。結果として、奴はあれ以来、自分自身の力を恐れる様になってしまったのだがな」


 フンと鼻を鳴らし、アケロスはつまらないと言わんばかりの表情を浮かべる。


「大人しく捕らわれたままでいれば、こうはならなかったものを」

「……………………は?」


 続けて放たれたその言葉に、クックルは思考を停止させる。


「ちょっと、待て。リターシャ殿は、3年前も同じ目に?」

「あぁ、なんだ。貴様はそれも知らず、ここに来たのか」


 クックルの言葉に、アケロスはさも当然と口を開く。


「今回の一件は、3年前のだ」


 堂々と、自信に満ちた声で言い放つアケロス。

 その表情は、愉悦に歪んでいた。


「3年前。当時の酒王にそそのかされ、とある愚行を犯した男がいた。その男はヨルドのいない時を狙い、リターシャを攫った。その時焦っていたのか、男は強引に、な」


 ピッと、アケロスは頭を掻き切る仕草を行った。

 何が起こったのか、想像に難くない。


「店に残された血痕を見て、奴が暴走。そしてあの獣魔統一戦争が起きたのだ。手当たり次第に周りの人間を殺し尽くし、凄惨な地獄を創り上げた。四獣将が現場に到着したのは、その時だった」


 ゾクリと、アケロスはその身を震わせる。


「凄まじいモノだったよ。俺たちが築き上げてきた、最強の獣という称号。そんなものは偽りだと気付かされた。奴こそ真の獣、魔獣だ」

「何も、感じないのか…………」


 おとぎ話を語るように楽し気に口を開くアケロスに対し、クックルは震える声で言葉を吐いた。

 痛みなど、とうに感じてなどいない。

 今クックルの中に渦巻く感情は、唯一つ。


「貴様は、一体何を想うッ!?」


 激しく煮えたぎる、怒り。


「どう思ったかなど、さっきから話しているだろう」


 しかし、その想いは通じない。

 顎に手を置き、アケロスはゆっくりと口を開く。


「傑作だった」


 ソレは恐ろしいまでに澄み切った、邪悪そのもの。


「あれほど素晴らしい見世物を見たのは生まれて初めてだったからな。それに、お陰で奴の存在を知ることができた。奴こそが真の獣。俺の理想とする、“凄惨なる”黒蝮だ」


 吐き気を催すまでに、性根が歪み切った存在。

 こんなモノがこの世にいるなんて、今まで考えたことすらなかった。

 クックルの生きてきた世界に、こんな奴は存在しない。

 これが、人なのか?


「だが、時が経つにつれ奴は以前までの輝きを失ってしまった。丸くなった牙に、平穏に慣れ切った瞳。俺の心は、失望に染まっていた。――――そんな時に、俺はと出会った」


 その時、クックルはようやく思い出す。

 そうだ。

 何故、アケロスはこのタイミングで事を起こしたのか。

 元が歪んでいるから、だけでは無いだろう。それにしてはあまりにも計画的な犯行だ。

 つまり。

 こいつの行動は、単独のモノじゃない。


「奴の強さは、魔獣を彷彿とさせるものだった。しかし、記憶の中のアレには遠く及ばない。それに何故かは分からないが、あの男もまた、ヨルドに強い執着を抱いていた。その時、俺の頭に一つの妙案が浮かんだ」


 アケロスは自信ありげに呟くと、指を立てて再び口を開く。


「俺は男にこう言った。本気の魔獣と戦いたければ、俺に案がある。もしもそれが成功すれば、奴は鋭い牙を取り戻し、再び魔獣がこの地に降臨する。とな」


 嬉々とした表情を浮かべ、アケロスは言葉を紡ぐ。

 浅ましい。

 目の前の男の魂胆が、その在り方が。

 全てが、醜い。


「我ながら名案だろう? こうして俺は、ヨルドを元の姿に戻すために――――」

「もういい。さえずるな」


 アケロスの言葉を遮り、クックルは濁り切った声を口から吐き捨てる。

 もう聞きたくない。

 こんな醜い男の言葉で、これ以上尊敬する人の名をけがさせたくはない。

 煮えたぎる感情は、ドロドロと黒く濁っていく。

 初めてだ。

 生まれてこの方、初めてこんな感情を抱いた。

 自分の中に、これ程までに醜いモノが存在するとは。

 クックルは静かに立ち上がり、床に転がっていた双剣を拾い上げる。


 嗚呼、不快だ。


「貴様はそれ以上、意味のある言葉を口にするな」

「ほう? 随分と威勢がい――――」

「囀るなと、言ったはずだ」


 ゾワッ

 肌が泡立つ感覚に、アケロスは慌てて後退する。

 そして驚愕する。

 自分は今、恐れたのか?

 目の前の、雑魚一匹に。


「喚くな。語るな。息をするな。貴様の全てが不愉快だ。ヨルド殿の名を口にし、快楽に浸るその姿。反吐が出る」


 クックルの全身から、闘志が溢れ出す。

 否。

 違う。

 これは、闘志なんかじゃない。

 このどす黒く、全てを覆い尽くさんとする覇気は、そんな生易しいモノでは無い。


「ヨルド殿は醜くなんかない。一番醜いのは、貴様だ。アケロス」

「…………なに?」


 クックルの言葉に、震える声で口を開くアケロス。


「この俺が、醜いだと!? 荘厳たるこの俺の、一体どこが醜いと――――」

「貴様は、もはや獣では無い」


 アケロスの言葉に耳を貸さず、クックルは強制的にその言葉を遮った。

 身体に纏うその重圧は、今までの其れでは無い。



「この剣は、ゴミ掃除にピッタリだそうだ」



 クックルが呟いたのは、託された時に告げられたヨルドの言葉。

 この双剣を用いて、ヨルドは今まで数多の人間を葬り去ってきた。

 まさに丁度いいじゃないか。

 人の命を刈り取り、五月蠅い口を塞ぐ。

 それに特化した、人斬りバサミ。


 瞬間、全身から吹き荒れる殺意の嵐。

 今ここに、初めて。

 クックルは明確な殺意を抱いた。

 底冷えする声色で、クックルはどす黒い感情を吐き捨てる。




「処分してやる。ゴミのようにな」

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