世界に羽ばたく新たな獣

 四獣将に就任して以来、アケロスは様々な人間と対峙してきた。

 館の周辺で騒ぎを起こす不埒者。酒王に楯突く小悪党共。腕自慢の世間知らず。

 大抵の雑魚は、一度痛い目を見せれば泣いて謝ってくるものだ。


 そして、他の四獣将やヨルド。

 彼らは自分と同じく紛れもない強者であり、刃を交わしたとて、そう易々と頭を垂れはしない。

 口を開けば悪態、挑発、侮辱の言葉は当たり前。

 だが、それで良い。

 強者にはその権利がある。


 しかし。


「いま、なんといった?」


 弱者だけは許せない。

 特に、踏まれてなお立ち上がろうとする、醜い弱者は。


「貴様は今、この私を、ゴミと呼んだのかァァァッ!? 誰よりも美しくあろうと努力してきた、この私をォッ!」

「努力など私でもしている。思い上がるな」


 激しく叫び散らすアケロスに対し、クックルは冷ややかな眼差しでその様子を見つめる。

 クックルにとって、もはや目の前の人間は尊敬する必要の無い存在だ。

 誰に対しても礼儀正しく接してきたクックルは、この街に来て初めて汚い言葉を人に浴びせた。


「私は許せない。人の尊厳を踏みにじり、愉悦に浸るその姿。貴様のような醜い存在、同じ人間とも思わぬ」

「あぁ、そうか。貴様のような低俗な人間には、俺の高尚なる美しさの価値観は理解できまい。ならばもう余興は終わりだ。ひと思いに殺してやろう」


 出自、価値観共に対極の二人。

 彼らが相入れることは無い。

 どこまで行っても平行線であるならば、これ以上言葉を交わす道理も無し。

 アケロスは冷酷に瞳を細め、槍を再び構える。

 威勢のいい事を抜かしたとて、所詮は取るに足らない雑魚。

 結果は見えている。


「あの世で悔いるがいい。貴様の信頼など、幻想に過ぎぬと――――なァッ!」


 アケロスが猛々しく吠え、力の限り槍を打ち放つ。

 その剛腕から繰り出される一撃は、今までの比では無い。

 これで終わりだ。


「悔いる?」


 しかし。

 槍の穂先がクックルの肉体を貫くよりも早く。


 アケロスの視界から、その姿が消えた。


「…………は?」


 間抜けな声を漏らすアケロス。

 握っている槍は、既にクックルが立っていたはずの場所を貫いていた。

 だが、そこに奴はいない。

 アケロスが現状を正しく認識しようとした、その時だった。



 槍の穂先に、フワリと影が舞い降りる。



「後悔などしない」


 両翼を広げ、その影は口を開く。

 否。

 クックルは驚く様子もなく、槍の上で平然と語り続ける。

 天に羽ばたく翼のように、握り締めた双剣を広げながら。


「私は誓ったのだ。必ずあの人に並び立つと」


 アケロスは驚きに目を見開く。

 もはやクックルの言葉は耳に入ってこない。

 槍の穂先に乗る、羽のような軽さ。アケロスの剛腕で支えているとはいえ、あまりにも軽すぎる。

 その異常さに、アケロスの本能が訴えていた。


「だから私は――――――――こんなところでつまづけないッ!」


 目の前の獣を、警戒しろと。


「だから、どうしたァッ!?」


 違和感を拭うように、アケロスは気合と共にその感覚を払いのける。

 所詮は錯覚。曲芸じみた動きで惑わしてきているだけだ。

 アケロスは剛腕を振るい、槍の上のクックルを薙ぎ払う。


「貴様の未来は、既に詰んでいるッ!」


 上空に大きく吹き飛ばされたクックルに対し、アケロスは上体を捻り槍を引き絞る。

 そして再び放たれる、下方からの槍の嵐。

 まだ態勢の整えられていないクックルの肉体に、無情にも風穴が空けられていく。


 はずだった。


 嵐の中を踊るように、クックルは翼をなびかせる。

 双剣の刃の上を槍が流れていく。それは、先程も行っていた受け流し。

 しかし、練度は以前のソレでは無い。

 明らかに、流麗にその動きは洗練さを増していた。

 あり得ない。

 アケロスが頭の中で否定しようとした、その時。



 ポツリと。

 小さな声で呟いたクックルの言葉を、アケロスは無視できなかった。


「慣れて、きた?」


 嵐の猛攻を潜り抜け、クックルは危なげなく地上に着地する。

 そして、震える声色のアケロスに対し、静かに口を開いた。


「ええ。なにせ初めて双剣を握ったものですから。ですが、ようやくコツを掴んできました」

「はじ、めて……? 貴様、何を、言っている?」


 クックルの言葉に、アケロスは呆然と問い返す。

 そう。

 アケロスはずっと、今まで勘違いをしていたのだ。


 自分の武器を偶然にも失い、ヨルドから温情で渡された双剣。

 アケロスはそう考えていた。

 その認識は間違っていない。概ね正しいものであると言えるだろう。

 しかし、アケロスはこうも思っていた。


 元々双剣を使っていた経験があり、そういった面から双剣を託されたのだ、と。

 そうでなければ、辻褄が合わない。

 だって。

 それは、つまり。



「この短時間で、モノにしたというのか……!?」



 震える声色で、目を見開いた表情で、アケロスは口を開いた。

 あり得ない。

 もう何度目かの否定が、頭の中を駆け巡る。


「その通りです」

「………………………………ク、クハハ」


 さも当然とばかりに言葉を放つクックル。

 その姿に、アケロスは思わず笑みをこぼす。

 それは喜びや嬉しさといった、明るいモノでは無い。

 目の前の現実を受け入れられない、強烈な否定の狂笑。


「クハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ! 貴様が!? 有り得ない! そんなこと、あってはならんのだァッ!」


 雑魚と見下していた男が、そのような才覚を持つ?

 認めない。

 許せない。

 アケロスの本能が告げている。

 目の前の男を、否定しろと。


「私は荘厳なる一角獣! 北地区最強の、四獣将のアケロスだッ! 貴様のような雑魚が私を上回ることなど――――」


 狂気と誇りを滲ませ、高らかに吠えるアケロス。

 それに対し、クックルは。


「どうでもいい」


 興味など欠片も滲ませず、冷たく吐き捨てる。


「…………は?」

「ヨルド殿は、今まで自分の称号を自慢したことなどただの一度も無い」


 そう言い放ったクックルの脳裏には、初めてヨルドと出会った時の姿が浮かんでいた。



『クックック……! その三つの剣、いや牙。貴殿が噂の、ヨルド本人で相違ないか?」

『あ? あー、確かにそう呼ばれてはいるが』



 あの時の、興味なさげなヨルドの様子。

 それが全ての答えだ。


「最強だのなんだの、そんなくだらない称号に惑わされている時点で、貴様は憧れから遠い場所にいるのだ」


 そしてクックルは、嘲笑う表情を浮かべ口を開く。


「貴様はあの人について、何も知らないのだな」


 その言葉は、今までアケロスが口にしてきたことそのものであった。

 まるで仕返しのように語るクックルに対し、アケロスは。


「黙れェェェェェェェェェェエエエエエッ!」


 怒りの臨界点を超え、理性が弾け飛ぶ。


「お、俺の気持ちなど、貴様にわかるはずが無い! 俺の理想などッ!」


 声を震わせながらアケロスは叫ぶ。

 そして力任せに槍を振るい、自らの行いを正当化しようと口を開く。


「俺の父は酒に溺れ、暴力を振るってくるような男だった! 幼少の頃から身体に痣を作り、惨めさを感じながら部屋の隅で身を隠す屈辱を貴様は知っているか!?」


 その槍はもはや今までの殺意に満ちたものでは無い。

 動揺をあらわにし、正確無比だった攻撃はその動きを鈍らせる。

 クックルは双剣で槍の起動を逸らしながら、無言でアケロスの言葉を聞き続けた。


「永遠に続く地獄の中で、俺は力を欲した! 歯を食いしばり、父を殺す時を窺っていた! そして……」


 アケロスは悲痛な表情の中に、喜びの感情に浮かべる。


「父が寝静まった時、俺は街で拾った錆びたナイフで腹をめった刺しにしてやったのだ! 気が付けば父はとっくに死んでいて、俺の身体は鮮血に塗れていた。その時俺は思った。嗚呼、俺は遂に成し遂げた。醜い化け物を殺してやったんだとなァッ!」


 アケロスは一際大きく吠え、槍を鋭く突き出した。

 そこに込められた強烈な殺意に、クックルは慌てて遠ざかる。


「そこから俺は力を欲し、体を鍛え続けた。気が付けば俺は北地区一の武人と呼ばれ、多くのモノを得た。そして俺は、と呼ばれるようになった。わかるかッ!? 俺は父の呪縛から解き放たれ、美しさを手に入れたんだ。それまでの血の滲むような過程を、貴様は理解できるというのかッ!?」


 アケロスの身体から噴き出す狂気と殺意。

 それは陰鬱なる過去と、それを振り払う自らが掴んだ栄光によるもの。

 今この瞬間、アケロスは獣と成った。


「なるほど」


 クックルは無言を貫いていた口を開き、小さく呟いた。

 確かにその陰鬱なる過去を、自分は持ち合わせていない。

 その過去には同情の余地があるかもしれない。

 だが、クックルは気が付いてしまった。


「だから、ヨルド殿に憧れたのか」

「そうだッ! 思うがままに他者を屈服させる、あの圧倒的な力に――――」

「違う」


 アケロスの言葉を遮り、クックルは口を開く。

 ようやく理解した。

 この男は、純粋に力を欲していると思っていた。ヨルドが持つ圧倒的な狂気性に、自らを重ね合わせたのだと。

 しかし、違ったのだ。


「貴様は、ヨルド殿がのだな」

「…………は?」

「恐怖で他人を支配できる圧倒的な力を持っておきながら、他人の為に涙する――――その人間性が」


 その言葉に、アケロスは口を開け、大きく目を見開いた。


「なに、を」

「だから貴様は、その力を手放し平和を享受しようとしたヨルド殿を妬み、否定しようとした。その姿が、あまりに美しかったから」

「何を、分かった口を聞いているゥッ!?」


 動揺を誤魔化すように、アケロスは槍を大きく振り回す。

 その風圧に目を細めながら、クックルはそれでも口を開き続ける。


「貴様も本当は、そんな姿に憧れていたという訳だ」

「黙れェェェェェッ!」


 クックルの口を閉じようと、アケロスは槍を突き出し連撃を繰り出す。

 受け止め、流し、軌道を逸らす。

 もはやその槍が、クックルの身体に掠ることは無い。

 異常に湾曲したその刃が、衝撃の全てを和らげる。


「だがな…………。置いていかれたくないと、寂しいという思いを。憧れという言葉で誤魔化すなッ!」


 そして遂に、クックルの刃が槍を弾き飛ばす。

 その衝撃の重さに、アケロスは歯を食いしばる。

 なんだ、この重さは。

 先程までの羽のような軽さと対極に位置する、この重圧は。


「一つ、教えてやろう」


 そう言ってクックルは大きく後退し、双剣を再び構え直す。

 その姿は、以前までの円環では無い。

 胸の前で腕を交差させ、その刃を肩の外まで伸ばしていく。


 湾曲した双刃は、まるで一対の翼のようであった。


「今の貴様の姿は、自身が否定したがっていた父そのものだ」


 クックルは腰を落とし、つま先で地面を握りしめる。

 そして。



「その醜さが、貴様の理想なのかッ!?」



 轟音、響く。

 クックルは地面を強く蹴り、鋭く前へと駆けだした。

 風を切り裂くその速度は、まさしく敵を貫く一陣の槍。

 この一撃は、確かに驚異的なモノだろう。

 しかし。


 アケロスは槍を構え、真っ向から迎え撃つ。

 その速度で貫かれれば、どちらが死に絶えるかなど一目瞭然だ。

 そして、アケロスは感じていた。

 目の前の男が、それを理解していないはずが無い。

 そう思った、次の瞬間。

 

 クックルの身体が、天高く舞い上がった。


「やはりなッ!」


 その行動に、アケロスは読んでいたと笑みを浮かべる。

 真っ向から挑んでも勝機が無いのなら、相手の死角を突くしかない。

 だが、その考えはこちらも想定していた。


「この攻撃を防げば、俺の勝ちだァッ!」


 アケロスは槍を振り絞り、集中を研ぎ澄ます。

 上空からの攻撃を弾いてしまえば、その攻撃は意味を為さない。

 そして、それ以上も無い。

 この一撃で、全てが決まる。



 そしてクックルもまた、同じように考えていた。

 これが正真正銘、最後の一撃。

 此処で決めなければ、自分に未来は無い。

 だから。


「私は……………………ッ!」


 今自分が出せる、最大の一手を。

 クックルは翼の拘束を解き、双剣を天高く振り上げる。

 その動きに、アケロスは警戒を強めていく。

 間違いない。

 これが。

 この一撃こそが。


「――――私はァァァッ!」


 剣が、音も無く加速する。

 アケロスの頭上に振り下ろされる、双翼の刃。

 その速さ、鋭さは集中していなければきっと捉えられなかった。

 だが。


 クックルが繰り出した一撃は。

 凄まじい轟音と共に、豪槍に弾き飛ばされた。


「クハハッ! …………終わりだァァァァァアアアッ!」


 その刃が、アケロスの身体に届くことは無かった。

 空中で体勢を崩すクックルの姿に、アケロスはとどめの一撃を放つべく、素早く槍を引き戻した。

 そして、歓喜に打ち震えるアケロスの表情が。


 絶望に曇り出す。


 空中で体勢を崩した?

 違う。

 これは、初めからのか。



 アケロスの視界、その先で。クックルの瞳と視線が合う。

 獣は、諦めてなどいなかった。

 クックルは気付いていた。

 自分の攻撃は、今まで幾度となく強者たちに防がれてきた。

 最速の一撃が届かないのなら、諦めるのか?


 否。

 届くように工夫すれば良い。


「ば、かな」


 呆然と呟くアケロス。

 自分が振るった、豪槍の威力。その衝撃。


 それら全てを利用して、クックルは空中で身をひるがえす。

 嵐の中でも飛び続ける、一羽の鳥のように。

 環境を利用して、獣は小さく回転する。

 そして。


 繰り出される、本当の一撃。


「私は、理想を追い求めるッ!」


 空中で腕を引き絞り、獣は咆哮する。

 右の牙が描く未来は、自らの追い求める理想の為に。

 クックルの脳裏によぎる記憶。

 父に。

 王女殿下に。

 そして、ヨルド殿に。

 自らが敬愛する者の想いを背負い、自分はここにいる。

 だから、負けられない。



「――――――――――――――――シィッ!」



 最速の一撃が、天より飛来する。

 全てを貫くその牙は、アケロスを打ち滅ぼす光の矢。

 眼で追う事すら叶わない一撃を。


 アケロスは辛うじて受け止める。

 そして。


「お…………ッ!?」


 重すぎる。

 その刃に圧し掛かる重圧は、今まで受けた、どの一撃よりも。

 あり得ない。

 認めない。


「お、俺はァァァァァァァァッ!?」

「うおおおああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア亞亞亞ッ!」


 二匹の獣は激しく吠える。

 自らの掲げる、理想の為に。

 だがそれは同時に。


 鍍金メッキが剥がれ落ちる瞬間でもあった。


「――――――――――――――――あ」


 間抜けな声を漏らし、アケロスは悟る。

 極限まで時間の流れが遅れる世界の中で、静かに視線を上げる。

 そして見てしまった。

 黄金色に装飾された、豪槍。自らの誇りと呼べるソレが、折れる瞬間を。




 その奥に映る、新たな獣の姿を。

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