黒く濁る牙

「グあああああああああアアアアアアッ!?」


 アケロスの右肩に、牙が深々と突き刺さる。

 クックル渾身の一撃に悶え、悲鳴をあげるアケロス。

 その姿にもはや“荘厳”の影は無く、アケロスは醜く地面を転がっていく。


 勝敗はついた。

 新たな獣の牙に、旧き獣は打ち砕かれた。


「はぁッ…………はぁ……ッ」


 息も絶え絶えになりながら、クックルは静かに視線を向ける。

 見下すような形で、アケロスを見つめるその姿。

 そこには、微かな憐れみが込められていた。

 もう既に、この男に残されているモノは無い。

 誇りも、憧れも。全て自分が地に落としたのだから。


「あ、あぁッ…………ぐァァッ!?」


 右肩を抑え、苦悶の叫びをあげるアケロス。

 もうこれ以上、ここにいる必要は無い。

 それよりもリターシャを探しに行かなくては。


 クックルは視線を振り切るようにアケロスから目を逸らし、その後方へと歩いていく。



 そして、その様子をアケロスも気が付いていた。


 嗚呼、なるほど。

 やはり本能は間違っていなかった。

 目の前の人間は、ただの雑魚では無かったのだ。


 驚異的なまでの、才能の獣。

 それが、この男の正体か。


「ク、クハハ」


 誰にも聞こえない声で、アケロスは小さく嗤う。

 無様だ。

 なんと醜い。

 これが“荘厳なる”一角獣と謳われた、北地区最強の戦士か。

 どす黒い何かが心の内に溜まっていく。

 そして、アケロスは思い出す。

 以前にも、同じように侮辱してきた人間がいたことを。




『カッカッカ! これで同じ四獣将ゥ? 美しさだか何だか知らねぇけどよ、それで弱かったら意味ねーじゃん! カッカッカ!』



『醜いのぅ。だが、妾はそういう人間が大好きじゃ。賤しくて、ちっぽけで。そういう奴を見ていると、やはり妾が美しいのだと再確認できる』




 記憶に蘇る、屈辱の言葉。

 だが、事実として奴らに言われた言葉を否定する事など出来はしない。

 四獣将。

 その西を統べる者たちの言葉には、圧倒的な重みがある。

 長い歴史を支え続けてきたという自負。

 そして、それに見合う実力も。


 ならば、どうすれば良いのか。


「嗚呼、そうか」


 アケロスは、ようやく一人納得した。

 強さでも、美しさでも敵わないのなら。

 性根をさらけ出せばよいのだ。

 他者の視線を気にすることも無く、思うがままにその身を振るう。

 そうだ。

 あの男も、先ほど言っていたではないか。


「憧れ…………」


 ヨルドに対して抱いていた、理想の姿。

 それを叶えるために、今まで自分は動いてきた。

 だが、違ったんだ。

 初めから、自分がやればよかったんだ。

 醜くても、無様でも。



 勝てさえすれば、それで良い。



「そうだ……………………俺は」


 アケロスは醜く吠え、近くにあった槍の先端を拾う。

 その表情は、喜びに満ちていた。

 ようやく気づいた、自分の本性。

 別に“荘厳”じゃなくても。

 俺は。


「――――俺はァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

「なッ!?」


 醜悪なる咆哮を轟かせ、アケロスは槍の先端を振り上げる。

 その声に驚き、慌てて振り返るがもう遅い。

 クックルは思い返す。

 父と、そしてヨルドからも注意されていた甘さ。

 それが、こんな形で思い知らされるとは。


「シネェェェェェッ!」


 振り下ろされる殺意の塊。

 もうダメだ。

 避けることは出来ない。

 クックルはその事実を悟り、それでも瞳を開き続けた。

 槍の先端が、クックルの頭部を貫き、脳漿を弾けさせる。


 かと思われた、その時。



「いけませんね。不意打ちとは」



 ゾクリ

 本能が危険を訴え、アケロスは慌てて上体を逸らす。

 そして。

 一振りの長剣が、アケロスの頭部があった場所を貫いた。


「おやおや。随分と変わられてしまったようで」


 その場に似つかわしくない、気品を感じさせる声色。

 聞き覚えのあるその声に、アケロスは殺意に満ちた視線を向ける。


「ヴィムゥゥゥゥゥゥッ!」

「はい。貴方の愛しき同僚。ヴィムでございますよ」


 殺意の奔流を一身に浴びながら、余裕の笑みを崩さないヴィム。

 身にまとうう覇気は、柔らかくも芯を感じさせるモノであった。

 そして、そんな予想外の登場に驚いたのは、アケロスだけでは無い。


「ヴィム、殿? どうしてここに…………」

「どうも、クックル殿。全てはあなたのお陰と言ってもいい」


 呆然と尋ねるクックルに対し、ヴィムは優しく微笑んだ。

 その言葉には、深い感謝が込められていた。


「ヨルド様が交代してくださったお陰で、私は館周辺の暴動を治めることが出来ました。なのでその感謝を申し上げるべく、様子を見にきたのですが――――」


 ヴィムはそう言って、クックルを静かに見つめた。

 そして。


「お強くなられましたな。最後の不意打ちに警戒しないのは、少しいただけませんが」

「は、はぁ…………」


 褒めているのか貶しているのか分からない言葉に、クックルは曖昧に返事をする。

 だが、そんな様子を黙っている訳が無い人間が一人。

 アケロスはもはやクックルに見向きもせず、ヴィムに向かって口を開く。


「邪魔をスルなァッ! オレは、オレハァァァァァッ!」

「ふむ…………。さて、どうしたものか」


 アケロスの尋常ではない様子に、ヴィムは顎に手を置き頭を悩ませる。

 その時だった。




「グ縷縷ルルルルルルルゥァア嗚呼ああァァァァアアア亞亞亞ッッ!」




 この世のモノとは思えない、化け物の咆哮が世界を震わせる。


「この、声はッ!?」


 クックルが突然響き渡ってきた声に驚き、視線をその方角に向ける。

 あちらは確か、酒王の館があった場所。

 ということは、まさか。


「クックル殿ッ!」


 その時。

 切羽詰まった様子で、ヴィムが言葉を放った。


「早く目的を達成し、ヨルド様の元へ!」

「し、しかし!」

「大丈夫ですよ。ここは私が食い止めます。あぁ、ただ一つ」


 優しく微笑みながら、ヴィムは指を一つ立てる。


「その双剣。片割れだけ、お貸し願えますか?」

「え、ええ。勿論」


 ヴィムの願いを受け入れると、クックルは双剣の片方をヴィムへと向かって投げつける。

 その柄を危なげなく掴み、ヴィムは感触を確かめる様に振るい始めた。


「…………なるほど。良い主に出会えたようですね」


 ヴィムは小さくそう呟き、微笑みを浮かべる。

 そして、クックルに向かって口を開く。


「さ、後はお任せを」

「…………分かりました。お願いいたします!」


 ヴィムの言葉に頷き、クックルは道の奥へと駆け出していく。

 恐らくあちらの方角に、リターシャが捕らわれているはずだ。

 背中を向けて走り去っていくクックルの背中を、アケロスは殺意のこもった眼差しで睨みつける。

 しかし。


「何をしているのですか?」


 ヴィムの静かなる問いかけに、アケロスの意識はそちらに集中する。


「貴方の相手は、この私が務めます。同じ片腕同士、仲良くできそうですね」


 煽るように左腕を振るうヴィムに対し、アケロスも短くなった槍を左腕で振るう。

 共に右腕が使えない者同士。

 その状況にアケロスは嗤い、殺意の波動を全身から溢れ出す。



「貴様も殺しタイと思っていタ。――――ヴィムゥゥゥッ!」



 突如にして、北地区最強を決める戦いが幕を開けた。




 ☨  ☨  ☨




 時は少し遡り、場所は酒王の館。

 ヨルドの腰から双剣が失われ、それに対し男が驚いた場面から。


「…………ふーん。どうやら、本当に変わったみたいだな」


 訝しげに口を開き、どこかつまらなそうに言葉を吐き捨てる男。

 視線の先に佇むヨルドは、余裕そうな笑みを浮かべている。

 気に入らない。

 あれだけ背中の剣を抜くことを躊躇ためらい、過去に固執していた男が。


 今は清々しい面持ちをしているのだから。


「いいのかよ? アンタが大切にしてた、リターシャとか言ったっけ? あの女を助けに行かなくてさぁ?」

「ケハハ。確かに俺は、あいつが大切だ。我を忘れ、みっともなく取り乱す程にはなァ。だが――――」


 挑発するような男の言葉に対し、ヨルドは冷静に想いを口にする。

 その表情に、やはり動揺は感じられない。


「俺はどうやら、完全じゃ無かったみてェだ」

「…………何、言ってんだ?」

「久しぶりに正面から叱られた。自惚れるなって。もっと頼れって。あいつの想いが込められた刃はさ、なんつーか、痛ェんだよ」


 ヨルドはそう言って、頬の傷をなぞる。

 クックルが全身全霊でぶつかってきた事実。

 それが、ヨルドにとってはたまらなく嬉しかった。

 嬉しかったんだ。


「傷が治っても、この痛みは一生消えねェ。誰よりも軽くて、何よりも重いんだ。アイツの剣は」


 静かに語りながら、ヨルドは上の服を脱ぎ捨てる。

 露わになったその身体は、細くも鍛えられた尋常ならざる肉体美であった。

 まさに蛇と呼ぶに相応しいその肌に、男は視線を向ける。


 そこに

 以前、男が刻み込んだはずの、あの一撃も。


「…………キヒヒッ! 何が完全じゃ無いってぇ!? お前が完全じゃなかったら、一体この世の誰が完全だって言うんだよォッ!?」


 傷一つない肌を見つめ、男は興奮した様子で激しく吠える。

 男は理解していた。

 傷の無い身体。それすなわち、再生する肉体。

 やはりそうだ。

 完全なる龍。

 目の前の男は、まさしくそれを体現しているではないか。


「なァッ!?」


 高らかに声を上げる男に対し、ヨルドは何も返さない。

 言葉じゃない。返すべきは、行動で示す。

 ヨルドは背中の剣を、ゆっくりと抜いていく。

 黒く濁り切った、漆黒の刃。


 ゾクリ

 身体中に纏わりつく殺意を振り払うように、男は高らかに口を開く。



、ヨルドォォォォォッ!」



 ヨルドは、静かに牙を剥いた。

 黒鋼を優しく撫で、剣に指を沿わせていく。

 3年ぶりか。

 あれ以来、こいつを抜いてやることは出来なかった。

 いつだって、こいつと共に歩んできた。ヨルドの人生は、常にこの剣と共にあったのに。

 喜劇も悲劇も乗り越えて、目を逸らすように平和を享受した。

 それでも、忘れることなど出来はしない。


 ヨルドは腕を垂らす。

 構えなど存在しない。

 自然体こそが、俺たちの構えだ。


 濁り切った世界の底で、蛇は静かに牙を研ぐ。




「龍剣、倶利伽羅クリカラ

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