落第の落とし子

 龍剣。


 男にとってそれは、憧れの象徴であった。

 否。

 男だけじゃない。

 龍の落とし子と呼ばれる他の仲間たちは、皆その剣を手に入れるために血の滲む努力をする。

 勿論、それ自体が目的ではない。

 の人間は、一つの目的によって国に生かされ続ける。

 それは、完全な龍を生み出すこと。


 すなわち、龍将。


「キ、キヒヒ。すげェ。それが完全な龍と判断された者だけが手にする事を許される、成功作の証。龍剣かァッ!」


 男は興奮に目を輝かせ、ヨルドの握る剣を見つめる。

 そこらの剣とは基礎的な造りも、纏う覇気も違う。

 認められし人間にだけ与えられる、最高の業物。

 それが今、目の前にある。


「光栄だッ! 遂にお目にかかることが出来た! 俺の否定すべき、龍大国の象徴…………キヒヒヒヒッ!」


 歓喜に身を震わせ、男は高らかに吠える。

 ようやくだ。

 以前の戦いなど、ただの茶番だった。

 ここからが本当の闘い。

 血沸き肉躍る、完全なる挑戦だ。


「そんな喜んでもらえるたァ、こっちが光栄だな。だが――――覚悟しろよ」


 ゾクリ

 ヨルドの言葉に、再び男の背筋が震え上がる。

 その圧力は以前までの比では無い。


「こうなった以上、俺は手加減できねェ」

「…………キヒヒ。そんなもん――――」


 男は長剣を強く握りしめ、低く身をかがめる。

 重心を下げ、その視線はヨルドの首元を貫く。

 そして。


「願ったり叶ったりだァァァアアッ!」


 瞬間、爆発する殺意。

 地面を深く抉るように、男は地面を蹴り上げる。

 加速する肉体が狙う先は、ヨルドの首一つ。


 地面を砕きながら突き進む男に対し、ヨルドは。


「すぐに終わってくれるなよ」


 黒鋼の刃を、滑らかに振り払った。


「グゥッ!?」


 男がその刃に己の剣を重ね合わせた瞬間。

 いとも容易く男の身体が宙を舞う。

 大した攻撃じゃない。ただ、刃を振るっただけ。

 にもかかわらず、何だ、この衝撃は。


「……キヒッ!」


 空中で男は嗤う。

 これが、完全なる龍の力。

 かつて喉から手が出るほど欲した、憧れの刃。

 男はその喜びに顔をほころばせる。

 しかし。


「おい。何、満足した顔してんだ」


 ヨルドの攻撃は、まだ終わらない。

 男の身体よりも高く舞い上がり、振り下ろされる追撃。

 滑らかに繰り出される刃に、男は再び剣を合わす。


「グァッ!?」


 そして、同じ結果となった。

 凄まじい威力で叩き落とされる男の背中。呼吸が一瞬止まり、激しい痛みが男を襲う。

 しかし、男もただやられっぱなしでは無い。

 即座に身を起き上がらせ、一歩後退する。

 その表情には、笑みが溢れていた。


「…………これが龍将。キヒッ、いいねぇッ!」


 男は感嘆の念を込め、小さく嗤う。

 こうでなくては面白くない。


「おいおい、まだ肩慣らしだぜ? へばってんじゃねェよ」

「焦んなよ先輩ィ。俺もようやくギアが入ってきたところだから――――さァッ!」


 ヨルドの挑発に応えるように、男は再び真っ向から挑みかかる。

 瞬きの間に加速した男は、ヨルドに向かって長剣を振り下ろす。


「キヒィッ!」


 ガキンッ

 二匹の獣は、牙を交錯させる。

 しかし。

 今度は吹き飛ばされることなく、男は笑顔でヨルドの剣に喰らいついた。

 ヨルドの腕に、重みが増していく。


「俺はァ、龍を超える男だァァァァッ!」


 男の纏う殺意が膨れ上がる。

 その身体から滲み出る圧は、執着と呼ぶに相応しい。

 吹き荒れる暴威は男の力を徐々に高めていく。


 だが。



「龍、龍ってよォ。うるせェんだよ、粘着野郎」



 男の刃が、前に進むことは無い。

 むしろその逆。

 それはまるで、聳え立つ巨大な壁のように。

 ビクとも、しない。


「今はただ、この闘いを楽しむことだけ考えろよなァッ!」


 鍔迫り合いの均衡は、徐々にヨルドに傾き始める。

 否。

 ここからだ。

 ようやく、ヨルドは本腰を入れ始めた。

 これから始まるは、凄惨なる鏖殺おうさつ


「がっ!?」

「歯ァ食いしばれェッ!」


 ヨルドは男の顔を鷲掴み、力の限り振り回す。

 そして、衝撃奔る。


 男が叩きつけられた地面が、大きくヒビ割れる。

 その痛みに、男は声を漏らすことすら叶わない。

 だが、これで終わりでは無い。


「ケハハハハハハハハハハハァッ!」


 哄笑の声を口から吐きながら、ヨルドは男の体を持ち上げる。

 そして、再び地面に叩きつける。

 何度も。

 何度も。

 地面が抉れ、砕け散り、男が苦痛を訴えようとも。


 暴威の嵐が、止むことは無い。


「カ、ハ」


 男の肺から微かに息が漏れる。

 終わらない暴力に耐えうる肉体を持っているが故に。

 いつまでも続く永劫の痛み。

 ヨルドにとってそれは、壊れる事なき都合のいい玩具であった。


「奮ッ!」


 そして、遂にその苦しみから開放される時が来た。

 ヨルドは男の身体を放り投げる。

 宙を舞い、男はようやく拘束から解き放たれた。

 しかし。


「愚流ァァァッ!」


 一度噛み付いた獲物を、そう易々と逃がす獣はいない。

 ヨルドは龍剣を振り上げ、男の身体に叩きつけられる。

 鮮血が弾け、骨が砕ける感触にヨルドは嗤う。


 男は吹き飛ばさ、壁にぶつかることによってその動きを止めた。

 ぐったりと倒れ込むその姿は、敗者そのもの。


「…………終わりじゃねェだろ?」


 だが、ヨルドは信じていた。

 これで終わるなら、ローダリアへの復讐など夢のまた夢。

 肉が裂け、骨が砕けようとも立ち上がる。

 その気概が無ければ、どう足掻こうが意味など無い。


 それは、男も同じ思いであった。


「…………キ、ヒヒ。いてェ。いてェよぉ。容赦なくやってくれるじゃん。先輩ィ」

「お前が求めてたのは、こういうモノのはずだ」

「嗚呼、そうだよ。俺が為すのは、龍大国への復讐。完全なる龍を否定すること。俺が求めていたのは、こういう逆境だァ」


 フラフラと立ち上がり、男は遂に外套を脱ぎ捨てる。

 そして露わになる、男の姿。


 それは、まだうら若き青年であった。


「お前、まだガキじゃねェか」

「キヒヒ。生憎と、成人すら迎えてないもんでな。この仕事を終えた暁には、上質な酒で一杯やるのが夢なんだぁ」

「そうか。じゃあ墓標に山ほどぶっかけてやるよ」

「ハッ! あんま虐めないでくれよ。わりとそっちの可能性の方が高いんだからさぁ」


 死闘を繰り広げた後にもかかわらず、二人は平然と軽口を叩き合う。

 身体中から血を流し、ボロボロの様相の男。

 脇を抑えるその様子から、ヨルドは先程の骨を砕いた感触を思い出す。

 こんな状態で一体どうするのかとヨルドが考えていた、その時だった。


 シュゥゥゥ

 歪な音が鳴り響く。


「でもま、初めから分かってたことだし」


 男の苦悶に歪んでいたはずの表情が、徐々に平静を取り戻す。

 脇を抑えることも、その身体から血が流れることも無い。


 男の傷が、みるみるうちに塞がっていく。


「失敗作である俺が、成功作のあんたに真っ向から勝てるわけ無いって」


 そして完成する、元通りの肉体。

 まるで先程の戦いなど無かったかのように、男は余裕の表情を浮かべて佇んでいた。


「なんだ。失敗作とか言う割に、お前も同類かよ」

「やめてくれ。俺は龍将になりそこなった、ただの落第生さ」


 ヨルドの微かに驚いた様子に、男は首を振って苦い笑みをこぼす。


「自分で言うのもアレだが、俺もそこそこ良いとこまでいったんだぜ? 稀に見る逸材とか呼ばれて、なんかに選ばれたこともあるんだ!」

「へェ。流石に落ちこぼれじゃねェわな――――ん?」


 男が語る経歴に、ヨルドは素直に感心していた。

 そして、脳裏に何かがよぎる。

 王子の付き人。

 それに似た話を、最近どこかで聞いたような。


「ま、肝心なモンには選ばれなかったけどな。適性が足りないとか言われて、失敗作の烙印を押されてからは悲惨なもんだったよ。色々と苦労が絶えなかったが、それでも俺は満足してたんだ。王子たちが俺を気にかけてくれて、それなりに面倒を見てくれた。夢は叶わなかったけど、小さな幸せを俺は享受していた」


 穏やかな表情を浮かべ、懐かしむように言葉を紡いでいた男。

 その顔が。



「あの時までは」



 憎しみに歪む。


「ある日、俺はいつものように王子の部屋に向かった。――――――――そして、彼の死体を見た」


 その話を、ヨルドは知っていた。

 二人の王子が謎の死を遂げ、悲惨な結末をもたらした、あの事件。

 つまり、この話は。


「俺は悲しみ、怒り、世界を呪った。あの人が、あの心優しい人が一体何をしたんだと。だが、地獄はソレで終わらなかったんだ」


 男は拳を握りしめる。

 爪が掌に食い込み、紅い血が滴っていく。


「俺は、王子を殺した首謀者として、捕らえられた」

「…………嗚呼、なるほど」


 その言葉を聞き、ヨルドはようやく一人納得した。

 男が語る物語を、以前にも聞いたことがある。

 それは、クックルの記憶を紐解いていた時。



『毒殺を企てた首謀者は、現在の王制に不満を抱くであると発表されたはず。憶測で話を進められては困ります』



 男の境遇は。

 イカれ伯爵が口にしたという内容と、一致している。


「お前が、王子暗殺事件の犯人とか言われてた軍人なのか」

「あれ、先輩なんで知ってんの?」

「俺くらいになると、嫌でも外の情報が分かっちまうんだよ」

「んだそれ、ありえねーし」


 ヨルドの冗談交じりの発言に、男は曇っていた表情を元に戻す。

 明るく振る舞おうとするその姿が、逆に痛ましい。

 そしてヨルドは理解する。

 こいつは、落とし子として同類なだけじゃない。


 その境遇すらも、自分と。


「どうよ? 復讐を誓うには十分な理由だと思わない?」

「あァ。お前には同情するよ」

「キヒヒ! 随分と優しいじゃんかぁ」


 肩を震わせ、笑みを浮かべる男。

 そうだ。

 この男は、別に悪いことをしたわけじゃない。

 ただ立場が異なり、それがたまたま敵対しただけだ。


「同情の一つとして、どうだ? お前の仕事、邪魔しないでやるってのは」

「なにそれ。先輩的に、それっていいわけ?」

「俺としては構わねェが、他の奴らが悲しむだろうなァ」

「キヒヒ、それじゃあ駄目だよ。それに――――」


 ヨルドの提案を軽く流し、男は目を細める。


「俺はここで、アンタを避けては通れない。それは先輩だって分かってんだろ?」

「あァ、そうだな」


 その言葉に、ヨルドは静かに頷いた。

 男の目的はそもそも酒王の暗殺では無い。

 いつかローダリアを打ち滅ぼすために、目の前に立ちはだかる壁から逃げることは出来ないのだ。


 それを、ヨルドも理解していた。

 だからこそ。



「じゃあ、そろそろ本気出せよな」



 その決意に、自分も報いなければならない。


「俺に殺されて死ぬか、力を使って万が一にも生き残るか。選択肢は二つに一つだ」

「…………やっぱそうだよな。俺が勝てる可能性なんて、それしか無いか」


 そう言って、男はさらに服を脱ぎ捨てる。

 露わになったのは、袖の短い黒シャツ。鍛え抜かれし彫刻のような肉体は、服の上からでも存在感を示していた。

 そして。


 隠されていた、龍の紋章が姿を現す。


「じゃあ、第二ラウンド開始だ」


 男は小さく呟き、長剣を強く握りしめる。

 緩やかに、されど確実に、男の身体から闘気が溢れ出す。


「グゥッ…………ァァァアアアアアッ!」


 苦痛に歪む男の声色。

 闘気は黒く濁り、奔流となりて空間を染め上げる。


 男が剣を握り締めている右腕が、奇怪な音を立てる。

 まるで脈打つ心臓のように、流れる血潮のように。

 龍の紋章が刻まれた箇所から、その息吹を感じる。


「ハァッ…………ハァ……ッ」


 苦しそうに胸を抑える男の姿。

 その様子を静かに見つめ、ヨルドは右腕へと視線を移す。


 龍の紋章は、真紅に染まっていた。


「お待たせ。やろうか」

「おう」


 汗を滝のように流しながら、男は平然と口を開く。

 それに対しヨルドは何も言わず、短く応えた。

 そして。


「そういえば、お前の名前を聞いてなかったな」


 純粋な、混じりけの無い質問。

 その言葉に込められていたのは、一人の戦士に対する敬意。

 敵、同類、落とし子。

 そんな称号に、興味は無い。


 一人の武人として、ヨルドは名前を尋ねた。


「……イズル」

「そうか。お前は俺に、何を望む?」

「…………超えるべき、憧れの象徴」


 ヨルドの質問に、イズルは短く答える。

 その言葉には様々な想いが込められていると、ヨルドは感じていた。

 イズルにとってヨルドは憎むべき龍大国そのものであり、打ち砕くべき壁でもある。

 そして発した言葉には、本気で殺しにかかるという強い意志が込められていた。

 それでも。


「憧れ、ね」


 イズルが口にしたのは、憧れという言葉。

 ならば。

 後輩のその想いに、ヨルドは応えなくてはならない。



「ならば来い。黒龍将たる俺を殺し、お前の牙が龍に届き得ると証明してみせろ」



 称号に興味を持たないヨルドは、この底で初めて名乗りを上げる。

 堂々と言い放つその姿は、やはりどこか様になっていた。






 龍の威光を信じぬ者は、羽を奪われ地の底に落ちる。

 しかし。

 羽を奪われ、血の底に落ちたはずの二頭の龍は。


 世界の底で、対峙する。

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