最低な憧れ

「キヒッ」


 その言葉に、イズルは小さく笑う。

 ヨルドが口にした、三文芝居のようなセリフ。

 似合わない。

 そう思いながら、どこか喜びを感じている自分がいる。

 

 口にはしない。

 もはや言葉はいらない。

 準備は整ったのだ。ならば後は、思う存分力をぶつけるのみ。

 故に。


「――――――――ハァッ!」


 前置きなく、イズルの肉体が加速する。

 それも先程のような真っ向からの脳筋勝負では無い。

 縦横無尽に空間を跳び回る変則移動。

 上下左右から肉を削り取る、肉食獣の猛攻であった。


「速ェな」


 ポツリと呟き、ヨルドは龍剣を踊らせる。

 素早い速度で刃が交錯し、火花を散らしていく。

 激しくぶつかり合う鋼の音は、空間一帯に響き渡った。


「羅ァァァアアアアアアッ!」


 龍が轟く。

 イズルの激しい咆哮と共に、ヨルドの頭上から牙が降り注ぐ。


「ハッ!」


 ヨルドは短く笑い声を上げ、己の牙と重ね合わせる。

 そして。


「ッ!?」


 腕にのしかかる重圧に、ヨルドの足元が大きくヒビ割れる。

 まるで先程の仕返しと言わんばかりに、イズルは全体重を以て押し潰す。


「ケハハハハハハハハハッ! いいねェ、懐かしいぞこの感じィッ!」

「ァァァァァァァァアアアアアアアアアアアッ!」


 酒王の館が激しく揺れる。

 地盤は砕け散り、辺りに亀裂が奔った。

 もはや倒壊が始まるのも時間の問題。

 それ程に、龍の闘いは凄まじいものであった。


 これは現世で再現されし、神話の一戦。

 ただの人間が介入することは許されない。


「チッ!」


 しかし、勝利の女神はイズルに微笑み始めていた。

 イズルの右腕の紋章が、真紅に光り輝く。


「俺、はァァァァァァアアアアアアアアアッ!?」


 想いと苦痛が混ざりあった、混沌の声色。

 それと同時に、イズルの力が際限なく膨れ上がる。

 ヨルドの右腕が、軋みを上げる。


「グッ…………クソ、がァァァッ!」


 残る力を振り絞り、ヨルドは辛うじてイズルの牙を弾き返す。

 これでもなお、届かない。

 その事実にイズルは歯噛みし、歓喜した。

 やはり憧れは、この程度では終わらない。


「キ、キヒヒ……。やっぱりアンタは最高だよ。俺の憧れ、俺たちの理想だ」

「はァ…………はァ……。ほざけ。テメェのどこが落第生だって?」


 激しく息を切らす両名。

 二人はともに、心の中で思っていた。

 やはり、こいつは人間じゃねえ。

 と。


「いやァ、俺は落第生さ。こんな痛みを伴わなきゃ、アンタに太刀打ちすらできねぇんだからな」

「…………か」

「そうだ。アンタだってたまに感じるだろ? 嗚呼、俺は人間じゃねぇんだって」


 ヨルドが語る、副作用という単語。

 ソレに対しイズルは、歪んだ笑みを浮かべ自虐的に言葉を吐いた。


「言っちまえば、早い話が改造人間だ。傷をたちどころに癒し、無尽蔵に強化される肉体。毒も効かねぇ、薬も効かねえ。俺たちに残されたのは、“殺戮の衝動”だけだ」

「あァ、分かるぜ。殺しても殺しても満たされない飢えと渇き。だから俺たちは、より強い奴を求める。いつか、龍を噛み殺してくれる奴が現れると信じて」

「キヒッ。だが結局、龍の脅威は龍だけだ」

「ケハハ。分かっちゃいたことだが、まさかこんな世界の底で残酷な真実を知ることになるとはなァ」

「キヒヒヒヒヒヒヒッ!」

「ケハハハハハハハッ!」


 男たちは笑った。

 笑うしか無かった。

 どこまで言っても分かり合えることはなく、ずっと自分の異常性に身を狂わせる日々。

 龍の落とし子である彼らにとって、戦いとは孤独であった。

 それがまさか、同類によって慰められる形になるとは。

 虚しさと、理解される喜びに身を震わせる。


「――――だがッ!」


 唐突に剣を振り上げるイズルに対し、ヨルドは己の剣で冷静に受け止める。

 火花を散らしながら鍔迫り合う中で、イズルはゆっくりと口を開いた。


「あんたは違った」

「あァ?」


 そう言って微笑みを浮かべるイズル。

 ヨルドはその言葉の意味を理解出来ず、怪訝そうな表情を浮かべる。


「自分の欲求と真正面から対峙し、それを克服しようとした。すげぇよ。俺からしてみれば、アンタの努力が並大抵のことじゃないって理解できる」

「おいおい、急に褒めてんじゃねェよ」

「あの女か?」


 貫くような視線。

 イズルが口にした言葉には、純粋な感情が含まれていた。

 何故、どうして。

 龍将まで上り詰めた人間が、その力を捨て去ろうとする理由。

 イズルは、それが知りたかった。


「…………リターシャは、俺の罪だ」


 その純粋な疑問に、ヨルドは正直に答えた。

 まるで懺悔するように。

 小さく、震える声色で言葉を吐く。



「お前は、大切な人をこの手で殺したことはあるか?」



 ドロっと、黒く濁った感情が溢れ出す。

 瞬間、鳥肌が全身を襲う。

 その言葉に秘められた憤怒の想いに、イズルは鍔迫り合いを止め、思わず後退した。


「お前の王子暗殺は濡れ衣だったろう。だがな、どうだ? もしも自分の手で王子を殺していたら、お前は自分の存在を肯定できるか?」

「それは…………」

「俺はある」


 ヨルドは握りしめた龍剣を高く掲げ、その刃に視線を向ける。


「大切な人を、この刃で刺し殺した。あいつは俺の全てだった。人間じゃなくなった俺が、初めて愛した女性だった」

「…………それはやっぱり、の」

「ケハハ、やっぱ有名だよな」

「詳しくは知らない。だが、龍将の暴走というローダリアの根幹を揺るがした大事件だってのは聞いたことがある」

「あァ、そうか」


 イズルの言葉に、ヨルドは目を伏せた。

 思い出したくも無い悪夢だ。

 あの瞬間から、ヨルドの人生は大きく変わった。

 そして。


「俺が全部ぶっ壊したんだよ。仲間の信頼も、己が地位も。そして――――リターシャの人生も」


 吐き捨てるような言葉の裏には、深い後悔が刻まれていた。


「だから俺は、リターシャを守ると決めた。俺の罪を償うために。拭いきれない俺の醜悪さが、少しでも人間に近付けるようにな」

「…………だからアンタは、その龍剣を抜かないと決めたのか」

「ケハハ、まァ3年前はやらかしちまったけどな」


 痛ましく笑うヨルドの表情は酷いモノであった。

 イズルはようやく理解する。

 この人はずっと、己の罪と向き合ってきたのだ。

 復讐を考えるよりも。

 ヨルドは、剣を抜かずに済む方法を模索し続けていた。


 イズルの脳裏に蘇るのは、この地に来てから聞いたヨルドの情報の記憶。

 その中には、アケロスの姿もあった。

 確かに思い返せば、ヨルドが恐怖されているのは3年前の獣魔統一戦争の話のみ。

 皆、それを口にして黒蝮の凄惨さを語っていた。

 だが逆に言えば、それ以外の話はあまり聞いたことが無い。


「でも、アンタは殺すんだろ?」

「あァ。殺すさ」


 当然のように殺戮を肯定するヨルド。

 イズルは、そこが理解できなかった。


「何故だ? アンタはもう、殺したくなんてないんだろ? なのに平気で人を殺す。その在り方は、矛盾している」

「それは少し違ェな」


 その言葉に、ヨルドは小さく否定する。


「俺が嫌悪するのは、だ。明確な殺意を持って行う殺しとは訳が違う」

「…………何が違う?」


 ヨルドの語る内容は、いまいち納得のいくものでは無かった。

 イズルの怪訝そうな表情を見つめ、ヨルドは静かに口を開く。


「この【底】という世界には、二つの人種が存在する。搾取される側の弱者と、搾取する側の強者。俺はリターシャを守るために、搾取する側に回った。それは別に悪いことじゃねェだろ?」


 肩をすくめ、軽い口調で語るヨルド。

 その点はイズルも理解は出来る。

 だが。


「そもそも殺し自体を嫌悪する奴が聞いたらドン引きの発言だな。まぁいいや、それで? アンタの殺しに対する、線引きは何だ?」

「ハッ、簡単なことだ。ぶっ殺したい奴を、自分の意志でぶっ殺す。それが俺の、殺しの流儀だ」


 単純明快。

 ヨルドが語った内容は、子供でもわかる簡単なものであった。

 ああ、そうか。

 このヨルドという男は、もう二度と。


 自分の意志じゃない所で、大切な人を傷つけたくないのか。


「なるほど。分かりやすくていいね」

「ケハハッ! だろ?」


 明るく振る舞うヨルドの中には、他人に譲れない美学というものがある。

 それは確かに大事なものだろう。

 だが。


「てことはさ――――先輩はまだ、本気じゃないんだろ?」


 イズルは唯一つ、納得していないことがあった。


「要するに。アンタは普段、本能を理性で抑え込んでるわけだ」

「……何が言いてェ」

「その隠された本性を、俺に見せてよ」


 イズルの表情、そして言葉は真剣そのものであった。

 今までの話を聞いてなお、その思いは強くなっている。


「やめておけ。俺はこう言っちゃなんだが、お前にはそれなりに敬意を抱いてるんだ。だからせめて、一人の武人として相手をしてやりたい」

「うんうんうん。わかる、わかるよ。その考えは凄く嬉しいし、俺もその期待に応えたい。ただ――――」


 瞬間、イズルは加速する。


「おッ!?」


 先程以上に速度を増した突進に、ヨルドは慌てて剣を合わせた。

 火花を散らし、交錯する二本の牙。


「ふざけんなよ」

「あァ? てめェは何言ってんだ」


 吐き捨てるように呟いたイズルに対し、ヨルドは眉をひそめながら口を開く。


「…………俺は、全力のアンタに勝ちたい」

「寝ぼけたこと言ってんじゃねェぞ。俺はいつだって全力で――――」

「嘘、だッ!」


 強く吠えるイズル。

 剣に込められた力がさらに重圧を増していく。

 激情を瞳に宿しながら、イズルは小さく呟いた。


「龍将の力は、こんなものじゃない。アンタのそれは慢心だ、エゴだ、偽善だッ! 俺たちは敵同士ッ! もっと全力で殺す気で来いよォッ!」


 その想いは刃から刃へと渡り、ヨルドの心に伝播する。

 イズルは初めから気付いていたのだ。

 どこか手加減されていることを。

 敵としてではなく、後輩として見られていることを。

 それが許せない。

 まるで、全力を出すに値しないと舐められているようで。

 だから。


「魔獣って呼ばれてんだろ!? 凄惨な殺しこそアンタの本性だろ!? だったら隠してんじゃねえよッ! 人間? 獣? そんなことどうでもいいんだよッ! 俺は――――」


 遂にヨルドの剣は弾かれ、後退を余儀なくされる。

 まだ腕に残る、痺れの感覚。

 しかし、そんなことはどうでもいい。

 今ヨルドが意識しているのは、イズルの表情だった。



「そんな、最低なアンタに憧れたんだよ…………」



 それはまるで、泣き出しそうな少年。

 震える声で紡ぎ出された言葉には、敵意も殺意も無い。

 零れ落ちそうな涙のように。

 ただひたすらに、イズルは真摯に想いをぶつけた。


 ドクン。

 ヨルドの心臓が、強く脈動する。


「過去に捉われているのは分かってる……。深い後悔を抱いていることも、罪を背負っていることも分かってる! だけどよぉ、自分の在り方まで否定すんなよッ!」

「お前…………」

「俺の憧れたアンタは、圧倒的な暴威の化身だ! 龍に成り切れなかった俺が殺すべき、龍大国の象徴だ!」


 熱く煮え滾る衝動が、ヨルドの全身を焼き尽くす。

 嗚呼、まったく。

 今日は何度も叱られる日だな。


 ずっと過去に縛られてきた。

 自らの罪と、消えない醜悪さに目を背けることが、自分に許された最後の希望だと思っていた。

 だが、違ったのだ。

 辛い日々があろうとも、前を向く人間はこんなにも多くいるのだ。

 自分だけが特別じゃない。

 その事実が、こんなにも心を軽くしてくれる。

 そうか。


 俺は、未来を見据えていいのか。


「……ケハハ」


 ヨルドは笑った。

 そして、ようやく覚悟を決めた。 

 最後の枷だった、己の牙を解き放つ。

 その覚悟が。


「あァ、そうだな。確かに失礼だ。闘いを楽しめとか言ってた癖に、自分でその楽しみに足枷付けちまった」


 笑いが腹の底からこみ上げてくる。

 全身が熱い。

 本能が求めているのだ。

 殺戮を、闘争を楽しめと。


「……ケハハハハハハハハハハハハハハハッ!」


 楽しい時は、笑うもの。そうクックルから教わった。

 ならば、全力で楽しむのみ。


「分かった、それなら見せてやるよ。てめェがどんなに足掻いても届かなかった、龍の頂ってやつをよォ」


 そう言って、ヨルドは龍剣を掲げた。

 黒鋼の刃が月光を反射させ、鈍く輝いている。

 その牙を、ヨルドは。



 



龍御之降たつみのおとし

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