降臨

「なッ!?」


 目の前の光景に、イズルは絶句する。

 ただの自傷行為。

 龍剣は、間違いなく心臓を貫いている。

 意味の分からない突然の行動に驚き、声を漏らすイズルの視線。

 その先で。


 ヨルドは不敵な笑みを浮かべる。


「さァ、全力で嚙み締めろよ?」


 口から鮮血をこぼしながら、ヨルドは口を開く。

 そして。

 思いっきり、剣を胸から引き抜いた。

 ボトボトと音を立てながらこぼれる鮮血。

 その血の勢いは止まらない。

 流れ続ける滝のように、永遠に溢れていく。


 おかしい。

 何かの違和感に気付き始めたイズルが、口を開こうとしたその時。

 ドクン。

 空間が震える音と共に、何かが鼓動する。


「――――グ縷縷ルルルルルルルゥァア嗚呼ああァァァァアアア亞亞亞ッッ!」


 瞬間、爆発する咆哮。

 世界を揺るがす化け物の声が轟いた。

 館全体が軋みを上げ、窓ガラスが割れていく。

 もはやそれは、人のモノでは無い。得体の知れない、ナニカであった。


 そしてその咆哮は、【底】に響き渡る。

 生きとし生ける全ての民は、化け物の存在を認知した。

 その中でも特に、ある者たちは激しく取り乱す。

 恐れおののき、天に跪き、全身を小刻みに震わせる。


 彼らは共に、3年前の悪夢を知る者たちであった。

 そして、強者もまた――――




「カッカッカ、久しぶりだなァッ!」


 ある者は、苛烈に笑い。



「……おぞましい」


 ある者は、恐怖に身を震わせ。



「………………………………」


 ある者は、静かに瞳を閉じた。




 獣たちは気付いた。ついに奴が帰って来たのだ。

 悪夢が、化け物が。


 魔獣が。


「なんだ、これは……………………ッ!?」


 イズルは、初めて目にするその姿におののいた。

 もはやその姿は、自分の知るヨルドでは無い。


 鮮血が黒く濁り、肉体はその姿形を変えていく。

 全身に覆われるは、黒曜石の如きうろこ

 それらは形を変え、まるで漆黒の甲冑かっちゅうへと変貌を遂げる。

 言うなればソレは、漆黒の騎士であった。


 しかしその姿、騎士と呼ぶには余りにも荒々しい。

 縦に広がる瞳孔は、全てを射貫く捕食者の瞳。


 人か?

 否、人ならざる化け物である。


 獣か?

 否、このような神格を持ち合わせる獣など存在しない。


 イズルの脳裏に浮かび上がるは、今までの記憶の断片。

 ローダリアで言い伝えられてきた伝説の化身にして、3年前に猛威を振るった悪の権化。

 底の住人は、この姿を魔獣と呼んだ。

 だが、イズルは知っていた。

 このような神格を纏う、文字通り神の如き存在。


 完全なる龍が今、目の前に。


「亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞亞ッ!」


 尋常ならざる覇気を纏い、この地に降臨した。


「キ、ヒヒ」


 イズルの胸の内から、笑みが溢れ出す。

 全身の震えが止まらない。

 これが、この姿が。

 

「完全なる龍。龍将の、真の姿…………」


 噂で聞いたことがある。

 龍将になるための条件であり、自分が失敗作と呼ばれる要因となったモノ。

 潜在能力を100%発揮し、人間としての力を逸脱した神の如き存在へと昇華する秘技。

 それが、龍御之降たつみのおとし


「――――――――――――亜亜」


 だが。


「――――――――あ?」


 その姿に納得していない者が一人。

 間抜けな声を漏らし、両手を掲げてその掌を見つめる男。

 ヨルドは首を傾げながら口を開く。


「なんだ? どうして理性を失ってない?」


 ヨルドからすれば、その状況は完全なる想定外であった。

 この技は、理性を破り捨て本能を剥き出しにする。

 だからこそ引き換えに尋常ならざる力を手にすることが出来るモノ。

 そのはずなのに。

 今のヨルドには、理性が残っていた。

 冴えわたる感覚と全身にみなぎる破壊衝動はまさしく龍そのもの。


 しかし。


「意味わかんねぇ。けど――――」


 人間でありながら、獣の力を最大限発揮する。

 その姿はまさに。


「嗚呼、最高の気分だ」


 人でもあり、獣でもある。

 それは、ヨルドが理想とする到達点に限りなく近い姿であった。


「…………どういうことだ? アンタは理性を失うんじゃなかったのか?」

「あー、そのつもりだったんだけどな。どうやら大丈夫みてェだ」

「キヒヒ。おいおい、まさか変わったのは見た目だけかよ」


 ヨルドの言葉に、笑いながら軽口を挟むイズル。

 だが、イズルは分かっていた。

 ヨルドの全身から立ち上る覇気が、尋常ならざるものであるという事に。

 その証拠に、未だ冷や汗が止まらないのだから。


「俺もこればっかりは予想外だったんだけどな。まァ――――」


 イズルの発言の真意。

 それ即ち、本当にその姿は本物なのか?

 ヨルドはその問いに対し、静かに口を開いた。



「やってみりゃ分かる」



 その瞬間。

 イズルの視界が漆黒に覆われる。

 何も見えない。


「ッ!?」


 否、違う。


「ただし、場所は移させてもらうぞ」


 イズルの視界を遮っていたソレは、ヨルドの掌であった。

 馬鹿な。

 どれだけ速い動きであろうとも、今までは目に追えない速度では無かった。

 なのに、今の動作は反応する事すら叶わない。

 それがどれほどの異常性を孕んでいるか、イズルは直感で理解した。

 

 ヨルドは、イズルの頭部を掴んだまま走り出す。


「最終ラウンド、開始だァッ!」

「がッ!?」


 瞬間、イズルの身体に凄まじい衝撃が走るった。

 硬い何かに打ち付けられる感覚。

 そして、その硬い物体が砕ける感触を肌で感じ、イズルはそのまま投げ飛ばされる。


「か、は……ッ!」


 地面に叩きつけられたイズルは即座に体勢を整えながら、短く息を吐き出した。

 その視界に広がるモノ。

 それは、大きな鉄の塊が大量に並ぶ異様な光景であった。

 煙を吐き出しながら稼働するその物体は、イズルにとって初めて目にするもの。

 しかし、イズルはその正体を知っていた。


「これは、蒸留器?」

「ケハハ、正解。良く知ってんな?」


 イズルの目の前に優雅に着地したヨルドは、軽い口調で答えた。


「あのジジイが後生大事に隠してきた、事業の核。美味い酒を作るのに欠かせない、酒の蒸留所だ」

「…………こんな場所まで来て、何をしようって?」

「決まってんだろ。殺し合いしようぜ」


 当然のように言葉を放ち、穏やかな声色を浮かべるヨルド。

 そのあまりの余裕っぷりに、逆にイズルは不安感を覚える。

 これが、自分が憧れてきた龍将の本当の姿なのか。

 だとしたらこれは、あまりにも獣からかけ離れすぎている。


「……その余裕綽々しゃくしゃくのツラを、思いっきりひっぱたいてやるよ」

「おぉ、出来るもんならやってみろ」


 どこまでも冷静さを保つヨルドの姿に、イズルは静かに苛立ちを覚えていた。

 俺が憧れた龍の到達点が、こんな人のような形を保っていていいはずが無い。

 この姿を否定するために、俺はここまで来たのだ。

 だから。


龍紋りゅうもん、全解放ォッ!」


 イズルは喉を震わせ、力の限り声を吐き出した。

 その言葉に呼応するように、右腕の刻印はさらに真紅の輝きを増していく。

 ドクン、ドクン。

 輝きが増すごとに、心臓の鼓動も高らかに鳴り響く。

 その音は、ヨルドの元にまで届いていた。


「い、くゾォォォオオッ!」

「ケハハハハハァッ! 来いッ!」


 対峙する二体の龍は、互いに全力の牙を剥いた。


「――――――――キッ!」


 地面、砕け散る。

 口から漏れる音と共に、イズルの身体が加速する。

 踏み込んだ足は大地を抉り、真正面からヨルドに向かい突撃していった。

 その脈動する右腕に握られた剣を。


「ほい」


 ヨルドは、剣を持たない方の腕で受け止めた。


「…………は?」

「ふむ。身体機能が鈍ってるわけでは無いのか」


 唖然と口を開けるイズルを無視し、ヨルドは小さく呟いた。

 ヨルドは、何の躊躇もなく腕を差し出したのだ。

 それも、殺されるかもしれないという危機感も持たず、ただ検証するかのように。


 その状況を、イズルは許せない。


「う、うおぉぉぉぉぉぉォォォォォォッ!?」


 両手で剣を握り、強く力を込める。

 しかし。


「耐久力も問題ないか」

「……ば、かな……………………」


 刃はビクともせず、ヨルドの黒い皮膚の表面で受け止められるだけであった。

 有り得ない。

 自分が全身全霊で込めた一撃が、皮一枚すら破けないなんて。

 イズルの脳内は、混乱のあまり停止と再生を繰り返していた。


「よし」


 だが、そんな様子に対しヨルドは一人頷いた。

 そして。


「じゃあ次は俺の番だ」


 小さく口を開いた、次の瞬間。


「――――――――――――は?」


 イズルの身体は、宙を舞った。

 何が起きたか理解できない。

 ただ、凄まじい衝撃が全身を揺さぶり、気がつけば視界は逆さまになっている。

 どういうことか、イズルが理解を追いつかせようとした、その時。


「よォ」


 イズルの眼前に、逆さまになったヨルドの姿が現れた。

 ヨルドはまるで挨拶をするように、軽い口調で言葉を放つ。

 その姿に、イズルは怒りのままに口を開こうとする。

 だが、その前に気が付いてしまった。


 自分は今、空中にいるはずなのに。

 周りの光景が、止まっている。


「な、んだ?」


 そして、イズルは戦慄した。

 ヨルドの背中から生えた、その物体。

 ソレはまるで、鳥が持つ翼のようなものであった。

 だが、鳥とは少し違う。

 漆黒の鱗に覆われながらも、雄大に広がる一対の翼。


「ああ、これか? なんか生えてきた」


 それはまさしく、神話に伝わる龍の姿である。

 大翼を広げ、空中に佇むヨルド。

 それはもはや、人ではない。


「…………ばけもの」

「ケハハ! ひでェなァ」


 イズルの震えながら発した言葉に、ヨルドは身体を震わせ笑う。

 それと同時にイズルの身体も静かに揺れていく。

 嗚呼、そういうことか。

 イズルはどうして自分が空中で制止していたのか、ようやく悟った。

 ヨルドの左手が、自分の足を掴んでいたからか。


「んなこと言う、悪い後輩には」


 そして、その止まった時間は終わりを告げる。

 ヨルドは足を握ったままの左腕を天高く掲げ。


「お仕置きしなくちゃなァッ!」


 地面へと叩きつけた。

 背中に広がる衝撃と痛み。

 胸の奥から溢れる血流を必死に飲み込み、イズルは小さく笑った。

 今さらこの攻撃で驚いたりしない。

 それに、自分には龍としての再生能力が――――


「はい、サクッと」


 そんな慢心を抱いたイズルの頭上から、影が降りる。

 ヨルドはその横たわった身体をまたぎ、右手に握りしめた剣をイズルの肩に突き刺した。


「――――ガ、嗚呼ああああ唖ああアアアアアア!?」


 そして、全身に広がる痛み。

 幾千万の針が毛穴をほじくり返そうとする感覚が、イズルの神経を襲う。

 その痛みは気絶しそうになるほどの苦しみであったが、龍として造られたイズルの肉体がそれを許さない。

 どれだけ痛く苦しくとも、気絶は許されない。

 だからこそ、まさにその瞬間は地獄そのものであった。


「ほれほれほれェ」

「あ、ああああああああああああああああああああッ!」


 ヨルドは軽快に剣を引き抜き、次々と刃を肩に突き立てていく。

 そのたびに全身を貫く痛みに、イズルは涙を流しながら身体を震わせる。

 このまま、殺して欲しい。

 そんな思いが胸の内を支配してしまいそうになった、その瞬間。


「ぐ、アアアアアアッ!」

「おっ?」


 イズルは苦痛に耐えながら、ヨルドの足を掴み放り投げる。

 その行動にヨルドは驚き、優雅に地面へと着地し振り返る。


「凄いな。よくあの状態で反撃できるなァ?」

「ハァ…………ハア……………………ッ」


 ヨルドは純粋な気持ちを込めて、感嘆の言葉を漏らす。

 しかし、イズルからしてみればそれどころでは無かった。

 今までの人生で感じた痛みの中で、群を抜けるほどに得難い感覚。今もなお、少しだけ全身が震えている。

 そして、自分が最も驚くべき点があった。

 それが。


「傷が、再生しない………………?」


 イズルは肩に触れながら、その傷口をまじまじと見つめる。

 普段であれば少しずつ再生されていく肉と皮が、今は何の音沙汰もなく、ただの傷としてその身に残り続けていた。


「嗚呼、それもそうだ」


 その言葉に、ヨルドは静かに口を開く。


「この龍剣は、もはやただの剣じゃない。心臓から溢れる龍の血に塗れた剣は、相手に消えない傷跡を残し、

「苦痛を、与える…………?」


 それがあの痛みの正体か。

 そう思うと同時に、イズルの脳裏に強い違和感が生じた。

 意志によって、相手に苦痛を与える。

 それはつまり、あの幾千万の針に貫かれた感覚は。

 

 ヨルドが、わざと与えたという事になる。


「まさか」


 その瞬間、イズルは全てを理解した。

 先程まで、自分を一人の武人として相手をしたいと言ってくれたヨルドが、こんな悪魔のような所業に手を出す。

 そのあまりの相違に、ようやく答えに辿り着いた。

 何故かは分からない。

 だが。


「おいおい、どうしたァ? もっと楽しもうぜェ?」



 ヨルドは理性を保ちながら、狂気に支配されている。

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