変わる世界と変わらない想い

 黒蝮が負けた。


 その一報は、大きな動揺と共に広く知れ渡ることとなる。

 事実上最強と思われていたヨルドの敗北は、情勢の変化を余儀なくした。

 北地区の酒王の館周辺では暴動が発生し、アケロスやヴィムがその対処に追われていた。


 様々な思惑が揺れ動き、大きく変革していく世界の中で。

 中立区域、酒場ニルヴァーナは陰鬱とした空気が張り詰めていた。


「ヨルド殿は……?」


 恐る恐る口を開き、ヨルドの様子を尋ねるクックル。

 問いかけた相手は、誰よりもヨルドのことを知る人物。

 リターシャであった。


「知らないわよ。あんな奴」


 しかし、リターシャは冷たく言葉を返した。

 傷だらけの状態で帰ってきたヨルドを見て、顔面を蒼白にしてからというもの。

 リターシャは怒り、呆れ果てた様子で酒場の運営を行っていた。


「し、しかし……」

「どうせ部屋に引きこもって、勝手に何かしてるわよ。勝手にね」


 そう言って、ぶっきらぼうに言葉を紡ぐリターシャ。

 彼女が怒っているのは、自分に何の相談もなく危険なことをしていたからである。

 クックルからすれば、それはリターシャを巻き込まないようにというヨルドの思いやりであると理解していた。

 だが、リターシャ本人からすればいい迷惑であるということも分かる。

 クックルには知り得ない二人の関係性。

 口を挟むのは、無粋というものか。


「そうですか……」


 肩を落とし、意気消沈するクックルの姿。

 その様子に、リターシャは軽くため息をついた


「はぁ、分かったわよ。後であいつの様子を見に行ってあげる」

「本当ですか!?」


 目を輝かせるクックルの姿に、リターシャは呆れながらも苦笑を浮かべる。

 こんな感じで、ヨルドは彼を見守っていたのだろうか。

 放っておけない、子供みたいな雰囲気。

 無邪気な振る舞いに、こちらも毒気を抜かれてしまう。


「で、クックル君は何してるの?」

「私は引き続きヨルド殿の担当を任されています。たまに酒王様の元へ戻ってはいますが」

「へ~」


 クックルの言葉を聴き、大変なものだと感嘆を漏らすリターシャ。


「君も大変だよねぇ。あんな奴のワガママに付き合わされて」

「あんな奴というと、ヨルド殿ですか?」

「そうよ。横暴で短絡的で、イカレ野郎のあいつ。一緒にいたって、ろくな目に遭わないでしょ」

「あ、あはは」


 否定する材料が見つからない。

 クックルは思わず、困ったように笑った。

 しかし。


「でも、それだけじゃないですよ」


 そう言って、僅かながらに否定する。

 クックルの思いもよらぬ発言に、リターシャは驚き口を開く。


「あら、どうして?」

「確かに、ヨルド殿は凶暴ですし何をしでかすか分からない怖さがあります。でも、ちゃんとした人間味を感じる時もあるんです」


 そう語るクックルの声色は、どことなく楽し気な感情が含まれていた。


「リターシャ殿とお話されてる時や、貸し屋殿とたわむれている時。私がゲロを吐いた時も、水を持ってきてくれました。あの人は多分、心の底にちゃんとした人間の温かみがあるように思うんです」

「人間の、温かみ」


 リターシャは、その単語を反芻はんすうさせる。

 ヨルドに似合わない言葉のようでいて、どことなく似合っていると思わせる空気感。

 そういった不思議な雰囲気が、ヨルドには確かに存在する。


「まぁ、私なんかがヨルド殿の何を知っているんだって話ですけどね」

「……いいえ。十分に伝わったわ」


 頭を掻きながら笑うクックルに対し、リターシャは優しく微笑む。

 クックルの特筆すべき点は、無邪気ゆえの明るさもあるが、それだけではない。

 人の本質を見抜く力。

 その力こそ、ヨルドがクックルを気に入っていた理由なのかもしれない。

 リターシャは、その関係に少し妬いた。


「信頼されてるのね。君は」


 寂しそうに呟くリターシャ。

 その言葉を聞いた瞬間、クックルの脳裏に一つの仮説が浮かび上がる。


「信じて、欲しかったんですか?」

「え?」


 気が付けば、クックルの口から言葉が溢れていた。

 突然告げられた言葉に、リターシャは驚き間抜けな声を漏らす。


「ヨルド殿が何も言わずに出ていって、一人傷つき帰ってきた。多分リターシャ殿は、ヨルド殿に頼ってほしかった。…………そうなんじゃ無いかなーって!」


 言葉を紡いでいる途中で、クックルは我に返る。

 偉そうに推測で人の感情を語り、あまつさえ本人にそれを伝える。

 自分はなんてことをしてんだ。

 クックルは己の愚かさに頭を抱えた。

 しかし。


「そう、かも」


 リターシャは、ポツリと呟いた。


「私はさ、もう随分と長いことあいつと一緒にいるの。この街に来るより以前からね。でも、最近のあいつは一人で全てを抱え込みすぎてる」


 そう言って、リターシャは自虐的に笑った。


「本当は分かってる。私を巻き込まない為に、あいつは一人で動いてるって事。でもさ、それってようは足手まといじゃん? 私は、そんな風に思われるために一緒についてきた訳じゃない」


 リターシャの言葉に、クックルはハッと目を見開いた。

 その想いは、自分にもよく理解できる。

 先日の戦いでも、自分は何一つとして役に立つことが出来なかった。

 もしもあの時、自分も一緒になって戦うことが出来ていたら。

 そう、何度も思った。


「あの馬鹿は、強いからさ。だから一人で何でもできるって思ってるんだよね。本当はさ、誰も一人では生きられないのにね」


 その言葉には、深い哀愁が込められていた。


「……でしたら、直接本人に伝えるべきです」

「…………へ?」


 クックルの提案に、リターシャの思考が一旦停止する。

 あまりにも唐突な言葉に戸惑うリターシャを置いて、クックルは熱意を秘めて口を開く。


「私も気持ちはよーく分かります! もっと私を頼ってくれ、って。というか、本当はヨルド殿に会ったら言ってやろうと思ってました」


 たはは、と冗談交じりに頬を掻くクックル。

 しかし、瞳に宿る決意は冗談とは思えない。


「でも、私じゃない」


 淡々と、優しく。

 クックルは告げる。


「リターシャ殿。あなたが直接伝えるべきです」

「な、なんで私が……」

「それは、二人だからこそ意味がある。私の知り得ない、二人だけの関係性。だからこそ伝えられることもあると、私は思うのです」


 クックルの真剣な眼差しは、リターシャの内面を貫いた。

 本当は分かっていた。

 直接言わなきゃ、伝わらないってことくらい。

 でも、勇気が出なかった。


 それを、この子は背中を押してくれている。

 勇気を与えてくれる。


「わ、私は…………」


 だからこそ。


「………………そうね。あの馬鹿には、私から教えてやんないといけないものね。私がいることの、ありがたみってやつをね!」


 堂々と胸を張り、リターシャは勢い良く立ち上がる。

 もう迷わない。

 今から伝えに行こう。


「おお、決断はや……」


 クックルはそう小さく呟いた。

 背中を押したはいいものの、あまりにも切り替えが早すぎる。

 これもまた、リターシャの快活な性格を表しているというべきか。


「クックル君! ありがとう! 私、言ってくるから。留守番よろしく!」

「あ、わかりまし――――え!?」


 クックルの動揺をよそに、リターシャは店の外へと飛び出した。

 この想いを、あいつにぶつけてやるために。




 ☨  ☨  ☨




「とはいえ、近いんだけどね」


 リターシャが小さく呟き、視線を向ける先。

 そこは、ニルヴァーナの真裏に位置するちっぽけな小屋。

 ここに、ヨルドは暮らしている。


「うぅ、なんか緊張してきた……」


 ブルリと身体を震わせ、リターシャは胸に手を当てる。

 あれ以来、まともに口をきいていない。

 若干の気まずさを覚えるも、頬を叩いて気を取り直す。


 そして、意を決して扉を叩く。


「もしもーし……。リターシャですけどぉ」


 他人行儀なリターシャの言葉。

 しかし、扉越しに返事は無い。


「あのー、ちょっと話したい事があるんだけどぉ」


 沈黙。

 リターシャの額に、血管が浮かび上がる。


「開けろって、言ってんでしょーがッ!」


 そして扉に向かって思いっきり蹴りを放つ。

 こう見えて、そこそこに動ける方のリターシャ。

 脚がドアノブを突き破り鍵を破壊する。

 リターシャはそのまま扉を開き、中へと入った。


「んだよ、うっせェな」


 お目当ての人物は、すぐそこにいた。

 椅子に座り、机の上に何かを並べている。

 こちらを振り返って、気だるそうに呟いたヨルドの瞳は。


 薄暗く、濁り果てていた。


「……ッ! あんたッ!」


 リターシャは、その様子に全てを察する。

 そして、ヨルドの方へ大股で近付いたかと思えば、勢い良く机の上を吹き飛ばした。

 床の上に、赤い錠剤が転がっていく。


「この薬、あんた何やってんの!? どう考えても飲みすぎでしょう!?」

「あァ? お前には、この薬のことなんて話してねェつもりだったけどなァ」


 リターシャの鋭い叱責に対し、ヨルドは緩慢に口を開く。


「馬鹿ね。全部あの子から聴いてるに決まってるでしょ」

「チッ! あのクソガキ、やっぱりチクってやがったか」


 リターシャの言葉に全てを察し、ヨルドは小さく舌打ちする。

 どうも貸し屋はこちらを信用していないとは思っていたが、どうやら初めから裏切っていたらしい。

 そんなヨルドの様子に、リターシャは悲痛そうに口を開く。


「ねぇ。どうしてそんな風にしか他人を見れないの? あの子は万が一の為を思って、私に教えてくれたのよ」

「あァ、そうかよ。それで? 裏切られた事実は変わらねェ。それはいつだってそうだろ?」


 ヨルドは吐き捨てる様に言葉を紡ぐ。

 それは、深淵が湧き出るかの如く。

 どす黒い怒りが、言葉から滲みだす。



「あの時、お前も同じことを言ってたよなァ? 7年前、時にさァ!?」



 その発言は、場の空気を一気に重くさせた。

 張り詰める緊張感。

 二人の間に広がる、大きな距離。これこそが、本来の関係性。

 その話は、二人の全てを表していた。


 しかし。


「私はね、そんな話をしに来たんじゃないの」


 リターシャは、毅然と言い放った。


「…………そんな、話?」


 呆然と、驚いたように呟くヨルド。

 そんな様子に、リターシャは鼻を空けてやったと胸を張る。

 そして。


「過去のことなんかより、大事なことがあるでしょう?」


 腰に手を当て、胸を張り。

 リターシャは自信満々に告げる。 

 背中を押してくれたクックルの為にも、ここで引くわけにはいかない。

 ビシッと指を差し、ヨルドへと言い放つ。




「私はね、今の話をしに来たの」

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