鈍る狂気、柔い牙

「キヒヒヒヒヒヒヒヒヒャヒャヒャヒャッ!」

「ケハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」

 

 刃が火花を散らし、空間が爆ぜる。

 目にも止まらぬ斬撃を交わしながら、二対の獣は対峙する。

 互いに一歩も引かず、相手の身体に牙を突き立てまいと剣を振るう。


 男達は、狂喜に打ち震えていた。


「うらァッ!」


 男は大きく声を唸らせ、長剣を力の限り振り回す。

 その刃に込められた力は、並の人間のそれでは無い。

 ヨルドは堪らず距離を取り、再び体制を整える。


「せんぱぁい、そんなもんかよ? もっと楽しもうぜ?」

「焦ってんじゃねェよ早漏野郎。お楽しみはこれからだろうが」


 男の軽薄な言葉に、ヨルドは苛つきながらも心の中で葛藤していた。

 目の前の男は間違いなく、今までの奴らと比にならない強者である。

 腕力で自分が押された経験など、近年久しい。

 こういう戦いを求めていたはずだ。

 血沸き肉躍る、強者との殺し合い。


 それなのに、何故。


「戦いの最中に考え事とか、随分余裕じゃんかァァァッ!」


 思考を断ち切るように、男が豪速で飛び込んでくる。

 屋根の上を踏み荒らすように、一歩進むごとに足元が抉れていく。

 瞬きの間に、男はヨルドの目の前に現れた。

 だが。


「舐めんな」


 ヨルドは真っ向から足を踏み出し、その攻撃を迎え撃つ。

 瞬間、ゾクリと男の脳裏に悪寒が走る。


「ヌッ…………ウオォッ!?」


 いきなり首元に食い込みかけた刃を、男は即座に剣で受け止める。

 そして、その剣に込められた威力に驚きの声を上げた。

 男は大きく吹き飛ばされ、別の屋根へと着地する。


「キヒ、キヒヒッ! やべェやべェ。調子に乗ったら危険だってことを忘れてた」


 そう言って額の汗をぬぐう男の声色は、喜びの感情に満ち溢れていた。

 ヨルドは冷ややかな目で男を見つめる。

 口ではこう言っているが、男は恐らくまだまだ余力を残しているはずだ。

 今のカウンターに対し、即座に対処されたのがその証拠だろう。


「でさぁ、先輩」


 男は突然口調を変え、まるで世間話をするかのように口を開く。


「背中の剣。まだ抜かないの?」


 そう言って男は指を差す。

 ヨルドの背中に納まった、一振りの長剣。

 男はその剣のことを言っているのだ。


「俺は知ってるんだぜ。“凄惨なる”黒蝮には、三つの牙がある。数多の敵を地の底に沈める二対の牙。そして三つ目の牙が抜かれた時、この地に魔獣が君臨する」


 男は楽しげに笑い、身体を小さく震わせる。


「3年前の件は、俺も仲間たちから聴いたぜ? 随分暴れまくったそうじゃんかァ? いいなぁ。そんだけ暴れりゃ、相当欲求も満たされただろ?」

「黙れ」


 ヨルドは低い声で唸る。

 しかし、男がそこで止まることは無い。


「だってそうだろぉ? 俺たちは、このやり方でしか自らを肯定できない。そういう風に?」


 男の言葉には、濁り切ったどす黒い悪意が散りばめられていた。

 ヨルドへの嘲りか。

 それとも、自らへの怒りか。

 ヨルドはその言葉に何も答えず、代わりにこう答える。


「お前なんざ、こいつらで十分だ」


 そう言って、ヨルドは双剣を掲げる。

 二対の刃は光を反射させ、鈍い煌めきを放つ。

 しかし。


「……………………ハァ」


 男は深いため息をつく。

 そして。


 ヨルドの視界から、姿が消える。


「舐めてんのはどっちだよ」


 横から聞こえてきた声に、ヨルドは慌てて双剣を振るう。

 ガキンという音を立て、空中で火花を散らす。

 気が付けば、男は横から剣を振るっていた。

 その目にも止まらぬ高速移動は、ヨルドの十八番であったソレと非常に酷似していた。


「俺を前にしてその余裕面、ムカつくんだよォッ! 俺とアンタは同類だろうがッ! 人を殺すことでしか快楽を得られない、異常者ッ! ――――――嗚呼、わかった」


 男は怒りに声を震わせ、高らかに叫ぶ。

 苦渋に満ちたその怨念は、やがて落ち着きを取り戻す。

 そして、男は静かに告げる。



「背中の剣、抜かないんじゃない。

「…………ッ!?」



 その言葉に、ヨルドは息を呑む。

 男が放ったその言葉は、間違いなく核心をついていた。

 ヨルド自身も自覚していなかった異常。

 否、自覚はしていた。


 知っていてなお、見て見ぬフリをしていたのだ。


「な、にを」

「おかしいと思ったんだ。3年前から、アンタは一度も背中の剣を抜いてないらしいじゃんか? あれ以来、中立区域にずっと引きこもり、たまに境界線上でごろつきを殺しまわるだけの日々。どう考えても道理に合わない」


 狼狽えるヨルドを置いて、男はさらに考察を深めていく。


「思い返せば7年前、アンタがいなくなった時も似たような状況だったよな。殺戮の限りを尽くしたかと思えば、フラッと姿を消した。あっ、もしかしてだけどっ!」

「やめろ」


 嬉々として男は口を開き、最後の言葉を告げようする。

 ヨルドは口を震わせた。


 やめろ。

 それ以上、俺の心に土足で踏み入るな。

 違う、俺は。


 そんなヨルドの想いも虚しく、男は高らかに言い放った。



「本当は、もう戦いたくなんて無いんだろ? また、大切な人を傷つけるから」

「――――ヤメロォォォォォ雄ォ御オオオオッ!」



 男の言葉に、ヨルドの理性はかき消える。

 残された本能で、その事実を否定する。

 忘れたかった、思い出したくなかった現実を突き付けられた。

 漆黒の殺意を撒き散らし、ヨルドの全身から闇の嵐が吹き荒れる。


「キ、キヒヒ! そう、それだよ! さぁ、たのしも――――」

「ガ嗚呼ああああああアアアアアアッ!」


 瞬間、男の視界が急速に遠ざかる。

 続いて遅れるように腕に感じる衝撃。

 その威力は、今までの攻撃の比ではない。

 運よく防げたことが、奇跡であると言える。


「ガッ…………グ……………………ッ!」


 しかし、その衝撃を全て押さえることは叶わなかった。

 受け止めてなお、止まることの無い刃の加速。

 男は宙を舞っていた。


「グルルルル縷縷ルルルルルルルルルルァァァッ!」


 ヨルドはそれでも逃がさない。

 屋根が弾け飛び、次の瞬間同じく空中へと躍り出る。


「羅ァァァッ!」

「グッ!?」


 身動きのとることが出来ない空中で、男は格好の餌食であった。

 男の上空より飛来したヨルドによって、男は地面へと叩きつけられる。


 砂埃が舞い上がり、舞台は屋根の上から地上へと移り変わった。


「……キヒヒ、いいねぇ。俺はこういう戦いがしたかったんだよ!」


 男は外套を叩き、砂を払い落とす。

 空中より落ちて、無傷とまではいかないが大きなダメージは無し。

 この男もまた、ヨルドと同じく人間ではない。


「ヤメロ…………」


 宙より舞い降りて、ヨルドは静かに告げる。

 微かに残った理性を振り絞り、言葉を紡いでいく。


「オ前ハ、俺ニ勝テナイ」


 ヨルドの傲慢とも取れる発言に、男は。


「……キヒヒ。何故?」


 淡々と問い返した。


「この街に来て、およそ三か月ほど。様々な人間と刃を交えてきた。その中には、先程も話した四獣将なる奴ともやり合った。だが、俺の渇きを潤してくれる奴にはついぞ出会えなかった」


 男の呟きには、諦念と失望が混ざり合った悲痛な感情が込められていた。


「アケロスという男には、確かに可能性を感じたさ。しかし、奴は何か別のことに気を取られていたのか、随分と緩慢な動きだった。そして奴を地に伏せた時、俺は思った。嗚呼、底に堕ちてきた時点で俺の夢は途絶えたのか、と」


 ヨルドの本能が、徐々に理性を取り戻していく。

 男の感情には、共感できる部分があった。

 戦いたくても戦えない。殺し合いたくても、殺し合えない。

 そういう人種として降り立った男達にとって、此処はあまりにも、退屈過ぎる。


「そんな時、俺はアンタの噂を聞いた。そして思ったんだ。そいつは俺と同類だってね!」


 男は歓喜の叫びをあげる。

 しかし。


「だが、ガッカリだよ。アンタは狂ったフリをしているだけ。アンタの牙は、以前ほど鋭くは無い」

「なん、だと?」

「平和ボケした奴らと同じ、飼い慣らされた獣も同然だ。アンタはさ――――人間になりたいんだよ」


 その言葉に、ヨルドは何か反論しようと口を開く。

 しかし。


「にん、げん、に」


 言葉は途切れ途切れに紡がれ、意味のある形を成していない。

 ヨルドもまた、気づいてしまったのだ。

 己が抱える、大いなる矛盾に。


「俺は違う。この街で勢力を拡大し、くだらねぇ王様ごっこで欲を満たす奴らに、新たな欲を与える。絶対的な権力に歯向かう、愚者どもを束ねてなァ」


 男は指を一つ、天へと掲げる。



「ローダリアへの復讐。俺が望むのは、それだけだ」



 それはあまりにも、骨董無形な発言。

 流石に、大言壮語が過ぎる。

 そんなことできるわけが無いと、その身で誰よりも理解しているはずだ。


「愚かでも、狂っててもいい。俺が為すのは、そういう糞みたいなシナリオだ」


 そう言って、男は再び剣を握り直す。

 しかし、その構えは今までと違う。

 剣を逆手に握りしめ、上体を大きく捻り上げる。

 ギリギリと音を立てて伸びていく肉体は、まるで弾ける直前の縄の如し。


 今までにない悪寒を胸に、ヨルドは体制を整える。


「グッ…………アァァッ! キ、キハハハハハハハハハッ!」


 苦痛に歪む男の声色。

 それと同時に、段々と膨らんでいく闘気の波動。

 ただならぬ殺意の源は、一体どこから。

 ヨルドが疑問に思い、ふと視線を向けた先。


 男が剣を握り締めている右腕が、奇怪な音を立てる。

 まるで脈打つ心臓のように、流れる血潮のように。

 龍の刻印の刻まれた箇所から、その息吹を感じる。


 そして。


「これが、俺の牙だァァァアアアアッ!」


 唸る大気に、爆ぜる脈動。

 男の立っていた地面が、音を置き去りにして砕け散る。

 瞬間最大速度は、もはやヨルドの認識の遥か彼方。

 爆発する加速力に、強大な牙の突撃。

 だが。


「ク、ソがァァァアアアアッ!」


 ヨルドも負けじと、その牙に喰らいつく。

 見えずとも刃を交えることに成功した。

 それだけでも充分、人の領域を超えている。


「――――――――なん、だ」


 しかし。刃を交えた瞬間に、ヨルドは理解してしまった。

 牙の鋭利さ、混じりけの無い狂気。

 それらは全て、今の自分に無いモノだ。

 故に。


「――――――――――――――――カ、ハッ」


 ヨルドの肉体に、牙が突き刺さる。

 牙は肉を突き破り、その身体ごと壁に叩きつける。

 胴体に大きく奔る、斜めの裂傷。

 誰も傷つける事叶わなかったヨルドの肉体に、男は遂に刻みつけた。


「ク、ソが…………」


 徐々に薄れゆく、ヨルドの意識。

 その時、耳元で男の声がささやいた。


「今のアンタを殺しても、何の意味も無い。俺が求めるのは、完全なを否定する事だから」


 薄暗く染まりゆく視界。

 ふと耳をすませば、遠くの方から聞き覚えのある声が聞こえてくる。

 大勢の足音と、クックルの叫び声。

 それらが近くに迫る前に、男は踵を返し立ち去っていく。


 ヨルドの意識が沈む直前。

 男が最後に放った言葉は、少し寂しげな声色であった。




「我ら、。再び相まみえる時は、完全なる状態で、死を以て殺りましょうね。先輩」

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