世界に轟く始まりの音

「この国を、変えてみせるッ! ――――――じゃねェよ」


 長い話を聴き終えたヨルドが、ようやく久しぶりに口を開く。


「お前、最初に酒場で会った時と全然キャラ違ェじゃねえか」

「い、いや~。あれよあれよと二ヶ月過ごしてる間に、気がついたらあんな感じに…………」

「お坊ちゃんがチンピラと絡んでグレてんじゃねえよ……ったく」


 ダブラスは頭を掻きながら、困ったように呟いた。

 その様子にヨルドは呆れた表情を浮かべ、ため息をつく。

 そして次に浮かんだ表情は、憐憫を感じさせるものであった。


「そうか。バドリックは死んだか」

「……はい。私を最後まで庇ってくれた、勇敢な父でした」

「チッ。最後まで格好つけやがってよォ」


 ダブラスの言葉に、ヨルドは頭をガシガシと掻く。

 その仕草は、いつもより余裕がないようにダブラスは感じた。

 それはまるで、動揺を隠しているかのような。


「まァともかくだ。お前が長々と三話丸ごと回想してくれたお陰で、あらかたの事情は理解できた」

「三話?」

「ん? いや、なんでもねェ」


 自分でも訳が分からないと目を瞬かせるヨルドであったが、それどころではない。

 慌てて首を振り、真剣な表情で口を開く。

 話は、ここから始まるのだから。


「新国王だと? やってくれたなァ、糞餓鬼が。どおりで最近は色んな奴が落ちてくると思ってたんだ」

「裏送り、ですよね」

「あァ、そうだ」

「それについて、一つ質問があるんですけど」


 ダブラスはゆっくり手を上げ、恐る恐る口を開く。


「あん?」

「裏送りは、戦争級の大罪人に適用されると聞きました。つまりここの住人は、ほとんどが大罪人ということですか?」

「それは少し違う」


 ヨルドはその質問に対し、ハッキリと断言する。


「正確には、そいつらの子孫が大部分を占めてるはずだ。酒王のジジイや、アケロスもそうだ」

「なるほど。…………では」


 ヨルドの放つ言葉に、ダブラスは納得したように頷いた。

 そして。

 ダブラスは唾を飲み込み、意を決して声を喉から押し出す。


殿、と」


 その言葉に、空気が一変する。

 和やかに話していた雰囲気が凍りつき、辺りに緊張感が漂い始める。

 ヨルドの瞳が、色を失う。

 それはまるで、触れてはいけない領域に足を踏み入れてしまった感覚。

 ダブラスの背筋に、冷や汗が流れる。


「ケハハ、鋭いなァ。それで? だとしたらどうする? お前は国を変えたい。そして目の前には、お墨付きの大罪人。今ここで殺しとくか? 龍に届いたなら、蛇くらい喰い殺せるかもしれねェぜ?」


 ヨルドは首に向かって指を差し、掻き切る仕草をした。

 それはつまり、俺の首を取ってみろという暗示であった。

 あまりにも分かりやすい挑発。

 その言葉は、確かに聞くだけならただの挑発と感じただろう。


 しかし、ダブラスはそうは思わなかった。


「悪人のフリはやめてください。私は、罪を犯した人間が必ずしも悪だとは考えていない」


 ダブラスの発言に、ヨルドは目を大きく見開いた。

 その言葉は、あまりも。


「おいおい。その発言は多くの人間を敵に回すぞ」

「もちろん、罪を犯した時点で悪と言えるかもしれません。しかし、それは裁く側が絶対的善である場合の話。この国は残念ながら違う」


 ダブラスは毅然と言い放つ。

 その姿に、ヨルドは懐かしい男の影を見た。


「私はヨルド殿が悪だとはどうしても思えない。あ、もちろん善とも呼べませんけどね!」


 良くも悪くも正直者。

 不器用。されど真っ直ぐな信念を抱き、いつも皆の先頭を走るその男。

 愚直という言葉を体現した男を、ヨルドは知っている。


「人はきっと、矛盾を抱える生き物ですから。だからその人を理解するためには、実際に話さないといけないと私は思うんです」


 何処までも平等、故に反感を喰らいやすい。それでも決して自らを曲げず、信念に従い行動し続ける。

 どれだけ不利を被ろうと、関わることを止めないお節介野郎。


「だから私は、ヨルド殿のことをもっと知りたいのです!」


 ダブラスはそう言って、無邪気に微笑んだ。

 

「バ――――――――」


 ヨルドは口に出そうになった言葉を、慌てて喉の奥にしまい込む。

 全く似ていないはずなのに、どうしてここまで感じさせるのか。

 親のいない自分には、理解できない。血の繋がりという、見えない絆というものを。


「ヨルド殿?」

「……………………参ったな」


 首を傾げるダブラスに対し、ヨルドは静かに降参を宣言する。

 ただからかってやるつもりが、まさかここまで熱弁されるとは思ってもみなかった。

 自分の想定を超えてきた時点で、きっと既に負けていたのろう。

 ヨルドはそう思い、一人静かに笑う。


「俺の罪については、そのうち教えてやるよ」

「は、はぁ」


 一人で勝手に笑い、急に優しくなるヨルド。

 ダブラスは戸惑いながら、恐る恐る頷いた。

 自分はどうやら、蛇の逆鱗に触れずに済んだらしい。


「オラ。そしたらお前から聞きたい事はもうねェ。さっさと上行って、リターシャの手伝いして来い」

「え。い、いきなりですか? もっとこう、お互いの昔話みたいな…………」

「あァ?」

「はいすいません失礼しますッ!」


 素早い動きで階段を上がっていくダブラス。

 その後ろ姿を眺めながら、ヨルドは静かにため息をついた。

 さっきまでの威勢のよさは何処に行ったんだ。

 お前は元公爵家嫡男だろう。なんで三下ムーブが板についてんだよ。

 色々とツッコミたい衝動を抑え、ヨルドは再びため息をつく。


 そして。


「……俺のことをもっと知りたい、ねェ」


 ポツリと呟き、ヨルドは天井を見つめる。

 無機質な金属性の壁。

 その無情さが、今はとてもありがたい。


 ヨルドは静かに、瞳を閉じる。




『良いか悪いかなど、私に判断できるはずがなかろう』



『少なくとも、貴様は悪い奴ではない。あぁ、勘違いするな。良い奴でもないぞ』



『ゆっくり知っていけば良い。これから、長い付き合いになるのだから』




 まぶたの裏に写し出されたのは、懐かしい記憶。

 不愛想な顔に、ぶっきらぼうな言葉遣い。

 どうしても思い出してしまうのは、ダブラスが変なことを言ったからだろう。

 似てない癖に、どうも脳裏にチラつきやがる。


「なァ。バドリックよォ」



 その声は、微かに震えていた。




 ☨  ☨  ☨




「ほらほらぁ、そこの机の角も綺麗に拭いて~」

「はい!」

「あ、そこの椅子も丁寧に~」

「はいぃ!」

「床もピカピカになるまで掃除しといて~」

「はいぃぃ!」


 ヨルドが階段を上がり、視界に広がる光景。

 そこには、従者のように扱われる元公爵家嫡男の姿があった。

 肘をついて気だるげに指示するリターシャと、せわしなく雑巾がけを行うダブラス。

 面白いほどに上下関係が出来上がっている。


「リターシャ」

「あ、ようやく上がってきた。待ちくたびれたわよ」

「お前は何もしてねェだろうが」

「あら、そんな事無いわよ。こうやって監督して無きゃいけないんだから、店主ってほんと大変だわ~」


 全然忙しそうには見えないが。

 明らかに退屈そうな表情を浮かべ、欠伸までしているこの状況の一体どこが大変なのか。

 リターシャの玩具にされているダブラスに対し、ヨルドは静かに口を開く。


「それはもういい。お前も席に座れ」

「え? あ、はい」


 ダブラスは少し驚いた表情を浮かべたものの、ありがたくカウンターの席に座る。


「リターシャ。二杯」

「ちぇっ。はいはーい」


 ヨルドの端的な言葉に、リターシャは頬を膨らませながら酒の準備を始める。

 二人の慣れたようなやり取りに、ダブラスは確かな絆を感じた。

 今思えば、初めてここに来た時も息ぴったりだったような。

 その時、脳裏にあの時に行われた残酷な所業を思い出す。

 ゾワッと、ダブラスの背筋が軽く震える。


「はい、どーぞ」


 そう言ってリターシャがカウンターに置いたのは、琥珀色の液体。

 強いアルコールの臭いと、ほのかな樽の香り。

 ヨルドはグラスを手に取り、その香りを楽しんだ。


「あんたの好きなウイスキーよ」

「あァ、助かる」

「クックル君も同じで良かった?」

「は、はい。大丈夫です」


 そういえばここではその名前で通っていたと、ダブラスは慌てて頷いた。

 その様子を見ていたヨルドが、リターシャに向かって口を開く。


「それはもういいぞ。別に、誰もいやしねェ」

「あら。じゃあダブラス君って呼んだ方がいいかしら」

「え、ちょ、えぇッ!?」


 二人のやり取りに驚いたのは他の誰でもない、ダブラス本人であった。


「知ってたんですか!?」

「私はヨルドから教えてもらっただけよ。あいつはライツォのお坊ちゃんだけど、他の奴らの前ではその名で呼ぶなーって」


 あっけからんと言い放つリターシャに、ダブラスは顎が外れる勢いで口を開ける。

 驚きで声も出ないとはこのことか。

 ダブラスにとって、まさか自分の出自を知る人間がこんな近くにいるなんて思ってもみなかった。

 この二人はずっと、知らないフリをしてくれていたのだ。


「当たり前だ。いいか? お前はずっと馬鹿正直に本名で名乗ろうとしてた場面が多々あったけどなァ、アホか? 名前を聴いて、もし俺みたいにライツォの坊ちゃんだと気づかれたらどうなると思ってんだ。最悪この街じゃ餌にされるだけだぞ」

「……確かに、その通りですね」


 ここに来てダブラスは、ようやくヨルドの真意を悟る。

 今まで自分が名乗ろうとしたたびに、ヨルドが遮ってクックルの名前を出してきた。

 その行動は全て、自分の身を案じてくれていたのだと。


「お前のそういう甘い部分、全然親父と似てねェな」

「あははは。よく父上からも注意されてました…………」


 ダブラスは曖昧に笑い、困った表情を浮かべる。

 直さなければいけないと自分でもわかっているのに、どうも直らない。

 今まで染みついてきた性根は、そう簡単には変わらないということだろうか。

 ダブラスの様子を眺めていたヨルドは、ため息をつきながら口を開く。


「ったく。まァ、お前のそういうところも悪くはねェけどな」

「あっ…………」


 ヨルドが放った言葉。

 それを聞いたダブラスは既視感を覚える。

 どこか懐かしい気持ち。

 まるで、父上と対面しているかのような。


「要するにだ。お前はこれから、ダブラスって名乗るのは禁止な」

「えッ!?」

「え、じゃねェよ。この街でその名前は不利以外の何物でもない。今回の事件の親玉然り、お前のことを知ってる可能性がある連中がまだいるかもしれねェ」


 そう言ってヨルドは、手に持ったグラスを掲げる。


「お前はこの街では、クックルだ。何か不満でもあるか?」

「正直、ちょっとダサいなって…………」

「んなもん我慢しとけ」

「えぇ……………………」


 横暴なヨルドの言葉に、ダブラス改めクックルは諦めたようにグラスを手に持った。

 そしてヨルドと同じように、少し高く掲げる。


「あ、私も!」


 リターシャも慌てた様子で近くのグラスを手に取り、琥珀色の液体をなみなみ注ぐ。

 あ、そんな飲むんだ。

 クックルはその言葉を必死に抑え、ふと横目でヨルドの顔を覗く。

 ヨルドも同じように、何か言いたげな表情を浮かべていた。


「はい、カンパーイッ!」

「……クックルの門出に」

「よ、よろしくお願いします」


 グラスが交わり、チンッと綺麗な音色を奏でる。




 その音はまるで、これからの長い関わりを象徴しているかのようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る