そして堕つ

 思考が止まる。

 世界から音が消える。


 ダブラスは今、目の前の光景が信じられずにいた。

 王女の可憐な笑顔によく似合う、花のアクセサリー。

 それが、アプール伯爵の胸元に。

 見間違いなどでは無い。アレは間違いなく、エレナ王女が付けていたもの。


 ならば一体、どうして。


「ダブラス?」


 父の声ももはや耳に届かない。

 ダブラスの視線は、その一点のみに集中していた。


「どうした、公爵の嫡男よ」


 名前では無く、肩書きで呼ぶ国王。

 しかし今は、そんなことに構っている場合ではない。

 ダブラスは震える体を抑え込み、静かに口を開く。


「……アプール伯爵」

「おや。何ですかな?」

「その、胸に付けている、花は…………」

「あぁ、これですか」


 ダブラスの問いかけに、アプールは笑顔を浮かべて口を開く。


「部下から貰いましてねぇ。綺麗でしょう?」


 その言葉に、気がつけばダブラスは立ち上がっていた。

 王の許可なく立ち上がるその無礼に、周りの貴族たちが騒めき始める。


「おい、ダブラスッ! 何をやっているんだッ!」


 諫める父に対し、ダブラスはゆっくりと視線を向ける。

 そしてその表情に、言葉を失う。

 そこにいたのは父の知る息子では無い。


 鬼の形相に顔を歪ませ、殺意に瞳を濁らせるダブラスの姿。

 甘さが欠点であると指摘したあの時とは違う。

 今にも掴みかからんとする姿に、父は獣の影を見た。


「それは、王女殿下が持っていた髪飾りだ……」

「なんだと?」


 ダブラスの呟きに父は慌てて伯爵へと視線を向ける。

 その胸元には確かに赤い花の髪飾りがある。

 しかし、一目見ただけではそれが本当に王女のものかどうかは分からない。

 分からない、が。


「アプール伯爵。その髪飾りを見せて頂けますか?」


 息子を信じずに、何が父親か。

 ダブラスが口から出まかせを言うような人間では無いという事は、長い親子関係の中で嫌と言うほど知っている。

 故に、確かめなければならない。


「いきなりどうした。バドリック公爵」

「陛下。王女殿下を殺したのは、この男かもしれないという話をしているのです」


 瞬間、会場が爆発するほどのどよめきが起こる。

 貴族たちは騒ぎ、驚き、慌てふためいた。

 今の発言。真偽がどうであれ、一度口にしてしまった時点で大問題である。


「……聞き捨てならんな」


 国王は眉をひそめ、低く唸る。


「其方の嫡男は先日、そこのアプール伯爵と揉め事を起こしたそうじゃないか。逆恨みによる狂言ということもありえるが?」

「無論、その可能性も無視できません」


 国王の疑念に、父は正直に答える。

 息子のことを信じてはいるが、最愛の君を失った事で錯乱している可能性もあるのだ。

 だからこそ。


「もしもただの虚言であれば、私ごと罰して頂きたい」


 その発言に、またもや会場に動揺が走る。


「なんと…………。本気か?」

「はい。その覚悟を以て、事に当たらせて頂きたいと存じます」

「父上……」


 父の言葉に、ダブラスはその真意を察する。

 これほどまでに誠意を見せれば、いかに王族とはいえ無視する事など出来はしない。

 国の一大事を揺るがす大事件。

 まずは一度状況を整理し、時間をかけて問題を解決しようというのだ。


「その心意気! まさに貴族としての矜持、素晴らしきかな! 良かろう。第16代国王、ラウネ・リ・ローダリアの名において受諾する」


 父の想像通り、国王はその提案を受け入れた。

 そして――――――――





 淡々と、冷酷に告げる。


「…………………………………………は?」


 言っている意味が分からない。

 今の話の流れから、一体どうしてそうなるのか。

 混乱したダブラスを置いて、話はどんどん先へと進んでいく。


「伯爵はな、私がいらぬ批判を喰らわぬために演技してくれていたのだよ」


 国王はそう言って、アプールへと指を向ける。


「あの花はな、私がプレゼントしたものだ」

「……………………は?」


 ダブラスの茫然とした声など聞こえていないかのように、国王は話を続ける。


「国王になるという人間が一人の貴族に信頼を寄せているなど、他の貴族に知られたら面倒だからな。黙っていてくれと頼んだのだ。許せ、アプール伯爵」

「滅相もございません。王のお望みとあらば、幾らでも口をつぐみますとも」

「お、お待ちくださいッ!」


 二人の会話に口を挟み、ダブラスはついに大きな声で叫んだ。

 その声にようやく反応する気になったのか、国王は眉をひそめゆっくりと口を開く。


「なんだ?」

「その花は間違いなくエレナ王女殿下のものッ! 調べて頂ければ、必ず証拠が――――」

「くどい。この際だからハッキリさせてやろう。兄である我の証言だ」


 不遜に、大胆に。

 国王は自信に満ち溢れた声色で、毅然と言い放つ。


「妹は、あのような髪飾りなど

「……………………そん…………な…………」


 この時、ダブラスはようやく理解した。

 国王の今の発言。

 否、これまでの国王と伯爵のやり取りから、全てを察することが出来る。

 それはもう既に遅く、もはやどうしようもないところまで来てしまった。


 国王とアプール伯爵は、裏で繋がっていたのだ。


「故に。公爵家の発言は全て、事実無根の濡れ衣である。皆の者。罪を暴くためとはいえ、ここまで事を荒立てたことを詫びよう」


 その発言と共に、国王は頭を下げる。

 王が謝辞を述べた事実に驚くと同時に、他の貴族は胸をホッと撫でおろす。

 今回の事件に終止符が打たれたこと。

 そして何よりも、散々心配されてきた今代の王が、見事な采配で事を制してみせた。

 その事実が、貴族たちに安心感をもたらす。


 この王であれば大丈夫だ、と。


はかられたか…………」


 ポツリと、小さな呟きがダブラスの耳に届く。

 その方角へと視線を向ければ、隣に佇む父は苦い表情を浮かべていた。

 父も悟ったのだ。

 今回の一件、その全てはこのためにあったのだと。


「さて、ではどのような罰にするべきか。アプール伯爵よ。此度の冤罪をかけられた其方から、何か提案はあるか?」

「それでしたら、良い案がございます」


 国王の問いかけに対し、アプールは怪しげな笑みを浮かべながら口を開く。

 

「そこの嫡男には、裏送うらおくりなど如何でしょう?」

「なッ!? 貴殿、正気か…………ッ!?」


 アプールの放った言葉に、父は血相を変えて叫び散らす。

 今まで見たことの無い父の様子に、ダブラスは訳も分からず茫然とした様子で尋ねる。


「裏送り…………?」

「おや。公爵閣下はご子息に教育されておられぬご様子」


 アプールは意気揚々と口を開き、何もわからぬダブラスへ語り始める。


「このローダリア宮殿の裏側には、がありましてねぇ。そこへ罪人を送り込む刑罰こそ、裏送りと呼ばれるものになりますれば」

「脅かし過ぎだ。アプール伯爵」


 胸に手を当て一礼するアプール。

 そんな様子の伯爵をたしなめる様に、国王が再び口を開く。


「安心したまえ。そこまでは無事に送り届けてやろうではないか。まぁ、その後のことは知らぬがな」

「ほっほっほ! 陛下こそ脅されているではないですか」

「おっと、これは失礼」


 不気味に嗤い合う、二人の男たち。

 これが、長年支え続けてきた超大国の末路か。

 あまりの愚かさに、乾いた笑いがこみ上げてくる。


「その刑罰は、戦争級の大罪を犯した者にしか適用されないはずッ! 未だかつて、貴族でその刑を受けた者はおりません! それはあまりにも横暴かと!」


 しかし、父はまだ諦めてなどいなかった。

 高らかに声を上げ、不当性を訴えようとする。

 だが、国王の心にその言葉が届くことは無い。


「父はそうだったが、我は違う」


 国王は突然立ち上がり、大衆に語り掛ける様に口を開く。

 両手を広げ、悠然と振る舞うその姿は嫌でも王の風格を感じさせるものであった。


「我は、を得た。この国を発展させよとな」


 その発言は、全くの意味不明。

 しかし、その言葉は聴く者を納得させてしまうような不思議な力が込められていた。

 おかしい。

 以前まで同じ学校で過ごしてきたが、決してこのような風格をまとう人物では無かった。

 王の器では無いと、半端者であると噂されていたはずだ。


 こいつは一体、誰だ。


「よって。これからは裏送りを、この国の主刑として常習的に組み入れる。これからは我が答えであり、道標だ」


 空気は、既に国王が支配していた。

 有無を言わせない気迫に、他の貴族はただ無言でそれを受け入れる。

 その現状に、ダブラスも仕方ないと思い始めていたその時。


「ダブラスッ!」


 父の鋭い声に、慌てて我を取り戻す。


「いいか、お前は逃げるのだ」

「父、上…………?」

「私が思っていた以上に、この国の闇は深い。やはり前王は聡明な方だったのだな……」


 最後に小さく呟くと、父は最後にダブラスへと微笑んだ。

 公爵として、厳しく接する時の姿ではない。

 その表情は、我が子を愛しく思う、紛れもない父親の顔であった。


 ダブラスの胸に、嫌な予感が湧き上がる。


「ちちう――――」

「走れェェェェェェェェエエエエエッ!」


 怒号とも悲鳴とも似つかない、激しい叫び声が響き渡る。

 それと同時に父はダブラスの服を掴み、思い切り後方へと投げ飛ばす。

 ダブラスはいきなりの行動にゴロゴロと床を転がるものの、受け身を取り慌てて体勢を立て直した。

 そして。


「殺れ」


 国王の無慈悲な一声と共に。



 父の背中を、白銀の剣が貫いていた。



「う、ゥああ嗚呼唖あああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」


 獣のような咆哮が、ダブラスの鼓膜を震わせる。

 今叫んでいるのは、本当に自分だろうか。


 理性を失い、本能に従ったダブラスは、父の言葉に従いその場を逃げ出した。











「…………ハァッ……………………ハアッ!」


 息を切らし、王宮の中を走り回る。

 外に出たところで、大量の国民に顔を見られてしまえばお終いだ。

 だが、こんな所へ逃げてきてどうする。

 最愛の彼女を亡くし、父を亡くし、自分はとうとう独りになった。


 こうなったのは、誰のせいだ。


「……………………私の、せいじゃないかッ!?」


 そうだ。

 自分がしっかりとあの子の手を握っていれば。

 父の言いつけを守り、出しゃばったマネをしなければ。

 全て、自分が招いた結果だ。


 そして。


「見つけたぞ」


 その責任は、自分で負わなければならない。


「……何の真似だ?」

「罪を、償います」


 ダブラスは顔を伏せ、茫然と呟いた。

 全てのケリをつけなくてはならない。

 自分が招いた罪の種は、自分で回収するのだ。

 それが、愚かな男の末路として相応しい。


 しかし、目の前の男はそれすらも許してはくれなかった。


「取れ」


 そう言って男が投げてきたのは、一本の剣。

 床を滑り、足元に転がるその物体を、ダブラスはただ見下ろした。


「剣を取れ。そして戦え」

「戦える、はずが無い」


 無理だ。

 自分には、そんな資格などないのだから。

 ここで剣を取り何になる。

 もう失ったものは、二度と戻ってこないというのに。


 そんな状況下で。

 無慈悲に心が死んでいく、ダブラスの耳に。



「この国を、変えるのだろう」



 その言葉に、ハッと顔を上げる。


 そこには、白銀の鎧に身を纏う騎士の姿があった。

 顔は兜に隠れて見えないが、その鎧、その声にダブラスは既視感を覚える。


「白龍将…………」

「あの時、君はそう誓ったはずだ。ならば前を向け。振り返るな。奪われたままでいいのか?」

「あな、たは…………」


 白龍将の語る言葉には、人を納得させるだけの凄味があった。

 それは全て、ダブラスを勇気づけるためのもので。


 何故、この人が自分に。

 そう思わざるを得なかった。


「男が一度決めたなら、龍に噛みつく気概を見せろ」

「わたし、は……………………」


 気が付けば、床の剣を手に取っていた。

 何故かは分からない。

 先程まで、死ぬことが最善だと思っていた。

 だけどもしかしたら、違うのかもしれない。


 剣を、牙をたずさえ。

 大国に一矢報いる覚悟が、今の自分に欠片でも残っているのならば。


「――――――――この国を、変えてみせるッ!」


 絶対に、諦めたりなんかしない。


「良い闘志だ」


 白龍将はそんな言葉を呟くと、剣を中心に構える。

 騎士として王道の構えに、ダブラスも同じ構えを取った。


 同じ剣術を用いるなら、残りの差は唯一つ。


「さあ、来い」


 練度だ。


 ダブラスは、静かに息を整える。

 可能性があるとすれば、最初の一太刀。

 最強の武人と謳われる龍将に、自分が叶うとは思っていない。

 せめて、一瞬だけ届きさえすれば。


 風が吹き、淡い夕焼けが世界を照らす。

 そして。


「――――――――――――シィッ!」


 今出せる、最速の一撃。

 単純な突き、それ故にどの技よりも鋭い。

 紫電一閃とも呼べるダブラス史上最速の剣は。


「フッ!」


 白龍将の一閃に、成すすべもなく打ち落とされた。

 ふと視線を、手元に向ける。

 ダブラスの持つ剣は、真ん中から断ち切られていた。

 その驚くべき切れ味、その技量の高さに、ダブラスは静かに敗北を認める。

 あれだけ大口を叩いておきながら、この有様。


「青年」


 しかし。


「お見事だ」


 その言葉に、ダブラスは視線を白龍将に向ける。

 白龍将、最強の武人と云われるその人物。

 その兜に。


 ピシッ

 亀裂が入った。


「君の牙は、確かに龍に届き得た」


 カランと、兜が音を立てて転げ落ちる。

 そして、その姿が露わになる。


 眉目秀麗。

 そうとしか形容できない美しい尊顔に、風になびくく白髪がよく映えている。

 白龍将の顔が、優しく微笑む。


「では、ご褒美をあげよう」


 その口から告げられたのは。


「王女殿下は、まだ生きておられるよ」

「なッ!? ――――――――ごふッ」


 驚きのあまり身を乗り出したダブラスの鳩尾に、拳がめり込む。

 白龍将が放ったその衝撃に、意識が飛びかける。

 薄れゆく視界の中で、彼は最後にこう言った。


「また会おう。若き獣よ」




 その言葉の真意を確かめる暇もないまま。

 ダブラスの意識は闇の中へと落ちていった。

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