愚かな幕開け

「この馬鹿者がッ!」


 雷のような声が頭上より降り注ぐ。

 父を怒らせるという事が、まさかこれほどまでに恐ろしいとは。

 ダブラスは頭を床にこすりつけながら、謝罪の言葉を紡ぐ。


「大変申し訳ございません!」

「身の程をわきまえろ! 限度を知れ! お前はまだ正式に公爵家を継いだわけでは無いのだぞッ!」

「仰る通りです」


 言い訳をするでもなく、平に謝り続けるダブラスの丸まった背中。

 その背中を見つめながら、父は心の底では分かっていた。

 ダブラスに全ての責を負わせるなど不条理であるという事。

 聞けばこの馬鹿息子は、王女殿下への罵声に怒り拳を振り上げたという。

 その話を聴き、いったいどうしてダブラスだけを責められようか。


「……アプール伯爵には私から話をつけておく。お前はしばらく家で大人しくしていろ」

「ご迷惑をおかけします…………」

「ったく」


 父はため息をつき、呆れた様子で口を開く。


「伯爵に拳が当たっていれば、謹慎どころでは済まなかったぞ。に感謝する事だ」

「白、龍将?」


 父が放ったその言葉に、ダブラスは首を傾げる。


「あぁ、学校では習わないのだったな」


 父はそう言うと、近くの椅子に腰かけゆっくりと語り始める。


龍将りゅうしょうとは、我がローダリアが誇る最強の武人に贈られる称号だ」

「最強…………」


 それはあまりにも稚拙な表現であると、ダブラスは思った。

 最強の武人という、子供でもわかる単純な形容。

 しかし。


「それ程の存在を、どうして学校で習わないのでしょうか」

「それは存在自体が奇特だからだ」


 ダブラスの疑問に、父は答える。


「建国当時から、龍将の存在は確認されている。しかし、その者の詳細は不明。大陸の統一に大きく貢献したという逸話は残されているが、どういう訳か、それについての文献は何も残されていない。学校で教える程の歴史は残っていないのだ」

「では今の龍将というのは?」

「形式だけのものだ。最強の武人に贈られる、名誉勲章のようなもの。それを学校で教えてどうなる」


 父はそう言って、困った表情を浮かべながら口を開く。


「おまけに彼らに命じられる仕事は、表立って口に出来ない汚れ仕事だ。国家に盾突く者の暗殺、などといったな。そして、いざという時の切り札のような役割でもある」

「いざという時?」

「戦争だよ」


 父が放つ言葉の重みに、ダブラスは唾を飲み込んだ。

 大きな戦争など、ローダリア建国以来起こっていない。

 それを見据えての抑止力。

 父が言っているのはそういう意味だろう。


「……考えたくも無い話ですね」

「違いない。のような悲劇は、もう二度とごめんだ」


 ポツリと、父は小さく呟いた。


「以前?」

「あぁ。いや、なんでもない」


 ダブラスの反応に、父は誤魔化すように首を振る。


「ともかくだ、もうすぐ戴冠式が行われる。それまで大人しくしていろ」

「…………承知しました」


 ダブラスは喉に出かかった言葉を飲み込み、静かに頷いた。

 そんな様子を見た父は、諭すように口を開く。


「思うところがあるのは分かる。私とて同じ気持ちだ。だが、今さらことを荒立ててもどうしようも無いのだ」

「…………分かっております」


 父の言葉に、ダブラスは渋々頷いた。


 もう、どうしようも無いのだ。

 時代の歯車は、既に廻り始めている。

 これからは、新しい時代の幕が開く。

 もう誰にも、この流れを止めることは出来ない。




 もしもこの時、強引にでも止めようと行動していれば。

 ダブラスは、この決断を後悔し続けることになる。




 そして、戴冠式当日。


 首都ライツォでは、新しい王の誕生を祝い連日祭りが開かれていた。

 城下町は普段よりも人が集まり、喧騒と熱気が街全体を覆い尽くす。

 老若男女問わず、あらゆる国民がその瞬間を待ちわびる。

 世間は、新たな時代の幕開けに胸躍らせていた。


 一方、ダブラスはというと。


「王女殿下。そんなに服を引っ張られては……」

「いいから早く! あと少ししたら王宮に戻らなくちゃいけないんだし、限界までお祭りを楽しむわよ!」


 王女と共に、市街地の祭りを楽しんでいた。


「でしたら他の護衛をお呼びすればよろしかったのに……」

「何よ。私と一緒にお祭りには来たくなかったってこと?」


 ダブラスの言葉に、ぷくっと頬を膨らませる王女。

 その頭には真っ赤な花のアクセサリーが飾られており、彼女の明るさを象徴するようで似合っていた。

 可愛らしい。いや、違う。

 ダブラスは邪念をかき消すように首を振り、慌てて弁明する。


「ち、違いますよ! ただどうして私なんかを……」

「だって。あの時のお礼、ちゃんとできてなかったから」


 顔を伏せて小さく呟く王女。

 その言葉にダブラスはハッと目を丸くする。

 あの時、自分が王女を庇ったことを、この人はずっと気にしてくださっていたのだ。

 全く考えてもいなかった王女の答えに、顔を赤くして照れるダブラス。


「い、いえいえ。別にあれは私が勝手にしたことですし……」

「それでも私のために怒ってくれたこと。凄く嬉しかったし、そ、その…………かっこよかったよ」


 同じく顔を真っ赤にしておずおずと口を開く王女。

 その可憐な姿に、ダブラスは愛しい気持ちを抱いた。

 今すぐ抱きしめてあげたかったが、ふと今の状況を思い出す。

 身分を隠すために外套がいとうを被っていたが、これでは二人の不審者が道端でもじもじしているだけである。

 案の定、周りの住人たちは怪訝な表情を浮かべてこちらを見ていた。


「こ、こちらへ参りましょう!」

「え? ちょ、ちょっと!」


 ダブラスは慌てて王女の腕を掴み、人混みの中を突き進んでいく。

 手を繋いで街中を歩く二人の姿は、傍から見れば恋人同士のように見えたかもしれない。

 しかし、実際は違う。

 奥手なダブラスは、未だに自分の想いを伝える事が出来ていなかった。

 現に手を繋いでいる今も、心臓は痛いほど高鳴っている。


「ねぇ」


 手を繋いでいた王女が、小さくダブラスへと問いかける。

 上目遣いでこちらを見上げるその表情は、紅く火照っているように見えた。


「は、はい?」

「……私――――」


 王女が口を開いたその時。


 ゴーン、と。

 大きな鐘の音が響き渡る。


「わぁぁぁッ!」

「ついに始まるぞッ!」

「急げ急げッ!」


 それまで祭りを楽しんでいた国民が、一斉に騒ぎ出す。

 それは、戴冠式の始まりを示す合図であった。


 新しい王の誕生をその眼で見ようと、大勢の民が列を成して一つの方角へと歩み始める。

 彼らが目指す先は、王宮前の大広場。

 移動していく人々の波に呑まれ、ダブラスは王女の姿を見失ってしまった。


「お……………………エレナ!」


 王女殿下と人前で呼ぶわけにはいかず、ダブラスは名前を叫ぶ。

 しかし返事は聞こえない。

 彼女の小さな体が流されて行かないか心配に思いながら、ダブラスは人の波が途切れるのを待った。


 やがて、ようやくその流れが落ち着き始めた頃。


「いったいどこ行って…………あ、見つけた」


 案の定、小さな彼女は波に流され少し離れたところにいた。

 辺りを見渡し王女の影を探していたダブラスが、ようやくその姿を発見する。

 疲れたのか、道路の壁にもたれ座り込んでいる王女。

 真っ赤な花のアクセサリーのお陰で、遠くからでも見つけることが出来た。


「こんなところにいたんですね、エレ」


 


「――――――――――――――――――ナ」


 アクセサリーじゃない。

 ダブラスの視線の先、王女のもたれかかった壁の表面には。





 鮮血の花が咲き誇る。

 時代の流れは、もう止まらない。











 「非常に残念だよ」


 頭上から降り注ぐ冷たい声。

 悪意の塊のようなその言葉に、心は傷つき涙を流す。

 否、もう涙など残されていない。

 カラカラに乾いた砂のように、心はひび割れ無慈悲に崩れていく。


 流すべき涙は、既に流してきた。


「学友である君ならば、妹のことを任せられると思っていたのだが」


 その声は、白々しく無感情な響きでダブラスの鼓膜を震わせる。

 もう聞きたくない。

 今はもう、ただ一人にしてくれ。


「何か申し開きはあるか、バドリック公爵」

「…………いえ、陛下。全ては愚息の不注意が招いた始末。申し開きなどあろうはずもございません」


 隣に跪いた父が、頭を下げる光景が視界の片隅に入る。

 自分が尊敬してやまない父の名誉を汚した。

 その事実が、また心に傷をつける。


「面を上げよ。我は其方そなたらだけを責めるつもりは無い」


 男の無感情な言葉に、ダブラスはゆっくりと顔を上げる。

 視界に入り込んできたのは、大勢の貴族たちの列。

 そして、玉座に腰かけその全てを見下す男。


 新、国王陛下の姿がそこにあった。


「聴くところによると、どうやら妹が連れ出したそうではないか」

「はい、さようでございます」


 国王の言葉に応じたのは、聞き覚えのある憎たらしい男の声。

 視線を向けた先にいたのはあの男、アプール伯爵の姿であった。


「護衛を付けず王宮を出ていく姿を、私の部下が確認しております」

「なんと不用心な。同じ王族とは思えんが、これぞ妾の子ともいうべき愚かさよ」

「いやはやまったく、その通りかと」


 愛しの女性を侮辱する下種な会話に、ダブラスは拳を強く握りしめ堪える。

 もはや自分が何かをする事など、許されざる愚行である。

 そもそもにおいて、怒る権利すら無い。


 その女性を死なせたのは、他ならぬ自分自身なのだから。


「エリクトレナの行動は、自業自得と言われても仕方のないものだ。戴冠式の騒ぎに便乗した通り魔が、偶然にも奴を刺した。これは、悲しいだったのだよ」


 国王は顔を手で覆い、悲しみを表す。

 そんな姿をダブラスは冷ややかな目で見つめた。

 この男は悲しんでなどいない。悲しんでいるフリをしているだけだ。

 兄二人がいなくなった時でさえ、エレナに会おうとしなかった癖に。


「よって、ダブラス・リ・ライツォの罪は不問とする」

「ハッ! ありがとうございます!」


 国王の言葉に、頭を深く下げる父。

 こんな男に頭を下げなくてはならない。その屈辱に顔を歪めながら、ダブラスはそれが見えないように顔を伏せる。

 その時、ダブラスは視線を僅かに逸らし、貴族の列へと視線を向ける。


 そして気づいてしまった。

 アプール伯爵、その胸元に――――――――――




 真紅に咲き誇る、花のアクセサリーが飾られていたことを。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る