因縁巡りて凶刃迫る

「と、いうわけだ。ここ通せ」

「は、はいッ! どうぞッ!」


 酒王の館、正門前。

 門兵はヨルドの姿を見るなり、慌てた様子で門を開けた。

 その最たる理由は、ヨルドの格好である。


 ヨルドは着替えることも、体を洗うことも無く、血に塗れた姿で屋敷の前に現れたのだ。


「邪魔するぜ」


 汚れた格好で、酒王の敷居をまたぐ。

 それは本来ならば許されることでは無い。

 しかし、今のヨルドを誰が止められるだろうか。

 下手に口を出せば、自分が染みの一つになるかもしれないというのに。


 ヨルドは屋敷の扉を乱暴にこじ開ける。

 そして。


「お待ちしておりました、ヨルド様」


 まるでヨルドが来ることを予見していたかのように。

 ヴィムはうやうやしく一礼し、ヨルドの来訪を迎え入れた。


「よォ。何でここに来たか、理由は分かってんだろ?」

「もちろんでございます。ささ、こちらで主様がお待ちです」


 ヴィムはさも当然と頷き、ヨルドを酒王の元へと案内する。

 趣味の悪い装飾が輝く廊下を抜け、ヴィムは応接間の扉をゆっくりと開く。


「来たか」


 そこで待っていたのは、傲慢な表情で玉座に腰かける酒王。

 不愛想に顔をしかめ、両腕を組んだままこちらを睨みつけるアケロス。

 そして。


「ヨルド殿!」


 昨日ぶりの再会に驚き、目を輝かせるクックルの姿がそこにあった。

 そして応接間にヨルドとヴィムが入室し、その空間は昨日と同じ顔ぶれが集う事となった。


「ヴィムの言ったとおりになるとはな」

「はっはっは。ヨルド様は必ずお越しになると信じておりましたから」


 微かに驚いた様子で口を開く酒王に対し、ヴィムは誇らしげに笑う。


「ですがまさか、このような恰好でお越しになるとは……。私としても想定外でございます」


 ヴィムはそう言ってヨルドに視線を向け、少し困った様子で微笑む。

 血に汚れた姿で主と謁見させる。

 本来なら止めるべきなのだろうが、今回ばかりはそうはいかない。

 この状態で来たということは、何か事情があったのだと察したからである。


「して、何があった?」


 酒王が理由を尋ねると、ヨルドはここに来た本題を話し始める。


「変な奴らに絡まれたからよォ、返り討ちにしてやった」

「そいつらはまさか……」

「昨日話してた連中だろうな」


 ヨルドの放った言葉に、酒王はやはりと言った様子で眉間にしわを寄せる。


「奴ら、再び動き出したか」

「しかもあいつら、何故か俺も殺したがってるみてェだぜ」


 自分を標的にされていると語るヨルドに、その場の全員の表情が変わる。

 驚き、困惑、そして納得の表情を浮かべていく。

 その話を聴いたアケロスは、ヨルドに向かって口を開いた。


「全員殺したのか?」

「あァ」

「その中で、特に腕が立つ男は?」

「いねェよ。雑魚ばっかだ」


 ヨルドが放つ言葉には、少しばかりの退屈さが込められていた。

 ふむ、とアケロスは顎に手を置き頭を悩ませる。


「やはりあの男は自分では動かないか」

「まァ間違いなく、裏で暗躍してるだろうよ」


 二人の会話を聴き、進展は無いと悟ったヴィムは別の話題を口に出す。


「そういえばヨルド様は、どうしてこちらを尋ねられたのですかな? 私としては、やはり心配してくださったのかと思っていたのですが」

「んなわきゃねェだろ」


 ヴィムの能天気な発言に、ヨルドは呆れた様子で否定する。


「貸し屋のチビは知ってんだろ?」

「貸し屋というと、あの包帯の子ですか?」

「あァ、あいつもどうやら連中に狙われてたみたいでよォ」


 ヨルドの発言にいち早く反応したのは、玉座に腰かける酒王であった。


「奴が? 何故?」

「スカウトされたみてェだぜ」

「ふむ。貸し屋を殺すでは無く、仲間に引き入れる。奴らが求めているのは、情報か?」


 酒王が放った言葉には、微かな疑念が込められていた。

 一体何の情報を。

 組織の規模がどれほどのものかは知る由もないが、わざわざ貸し屋から引き出そうとするほどの情報。

 何やらきな臭い。


「まァ俺がここに来たのはその話をするためでもあるが、それだけじゃねェ」


 話の流れを断ち切り、ヨルドはそう言いながら視線を逸らす。

 視線の先、そこには今まで会話に参加していなかったクックルの姿があった。


「え?」


 まさか自分に話題の矛先が飛んでくるとは思っていなかったクックルは、困惑した表情で声を漏らす。


「こいつ、しばらく借りてくぞ」

「は、えぇ!?」


 ヨルドの突拍子もない発言に、クックルは驚き慌てふためく。

 いきなりの話に、酒王は怪訝な表情で口を開く。


「何故だ?」

「こんな状況じゃ、いつニルヴァーナに奴らが来るか分からねェ。リターシャを危険に晒さないためには、護衛が必要だ」

「ふむ、それで?」

「こいつならそこそこ腕が立つし、お前らとの橋渡しにもなる。何かあればこいつを伝令としてそっちに送ってやるよ」


 その発言は、確かに理に適ってはいる。

 しかし。

 酒王は訝しげに口を開く。


「コイツである必要は無いだろう。護衛ならこちらで付けてやる」

「勘違いすんな。てめェらのことなんざクソ程も信じちゃいねェよ。俺はこいつが欲しい。他はいらん」


 毅然とした態度で、ヨルドは言い放つ。


「この要求を呑むなら、てめェらに協力してやるよ」

「なんだと?」

「不可侵条約を一部解禁して、ネズミ捕りに協力してやるって言ってんだ」


 ヨルドの発言に驚いたのは、クックル以外の全員であった。

 あの黒蝮が、此処まで譲歩する。

 その特異性、そして圧倒的利点を考えれば、答えは既に決まったも同然だ。

 酒王は口を開き、名前を呼ぶ。


「アケロス。ヴィム」

「承知した」

「それでよろしいかと」


 クックルの実質的な上司である二名は、即座に了承の言葉を放つ。

 この好機を逃す訳にはいかない。

 彼らの返事に頷いた酒王は、ヨルドに対して口を開く。


「よかろう。その男は貴様のものだ。好きにしろ」

「え、え、え?」


 視線をキョロキョロと動かし、クックルは呆然と呟いた。

 自分の了承も無く、話が進んでいく。

 まさに今のクックルは、飼い主に売られるペットの気分であった。


「よし、そんじゃ今日の所はしまいだ。また何か分かりゃァ――――」


 ヨルドが話題を終わせようと、気怠けだるげに語っていたその時。


「急報失礼いたします」


 応接間の扉を開き、一人の男が姿を現した。

 堅物そうな面持ちの男は、室内をぐるりと見渡す。

 そして、ヨルドの姿に目を丸くする。


「黒、蝮…………」

「何の用だ」


 突然の横やりに、酒王は眉をひそめ男に尋ねる。

 男は一瞬呆然とするも、その言葉に我へと返り慌てて膝をつく。

 そして、告げる。


「諜報員の遺体を回収しました」


 その言葉にクックルは驚き、酒王は納得、ヨルドは歓喜の表情を浮かべた。


「情報源が帰って来たぜェ?」

「……下衆め。その遺体、状況は?」


 ヨルドの下品な物言いに侮蔑の視線を向けながら、酒王は遺体について詳しく探る。


「はッ。顔の皮膚は剥ぎ取られ、見るも無残な姿でした。首にはナイフが突き刺さっている他、目立った外傷は見受けられません」

「フン、特に得られる情報は無いか……」


 期待が高まっただけに、酒王は不満げに鼻を鳴らす。

 しかし、ヨルドは違った。


「その死体、見せてくれよ」


 ヨルドの突然の提案に、酒王は意味が分からないと顔を歪める。


「何のつもりだ?」

「死体からだって何か得られるかもしれねェだろ? 連中の残忍さ、技量ってのはモノを見れば分かるもんさ」


 その発言は、大量の人間を殺してきたヨルドだからこそ説得力を有するものであった。

 武の心得が無い酒王には、その感覚が分からないのだが。

 そしてヨルドの発言に賛同するように、他の二人が口を開いた。


「確かに、今回ばかりは毒蛇に同感だ」

「そうですねぇ。遺体一つでも、様々な情報が得られる時がありますから」


 武人だけが持つ、共通認識か。

 三人の意見は一致していた。

 こうなれば、もはや自分の意見など必要ないだろう。


「分かった。ではここに遺体を運んでくれ」


 酒王はそう言い放ち、男に遺体を運ぶよう命じた。




「へェ。こいつは見事なもんだ」


 ヨルドの視線の先。

 そこには先程運ばせた、諜報員の死体が横たわっていた。


「顔の皮膚どころか、鼻ごと逝かれてんじゃねェか」

「残忍な拷問方法だ。いや、これは拷問か?」

「身元を確認させないため、はたまた快楽行為という線も考えられますなぁ」


 ヨルド、アケロス、ヴィムは顔を突き合わせ、死体の状況を話し合う。

 死体を直視して顔色一つ変えることなく、平然と会話を繰り広げる。

 クックルは思わず、彼らの正気を疑いたくなってしまった。


「手首や足首、腕とかには縛られた形跡がねェな」

「薬とか毒を使って眠らせれば、拷問は可能だろう」

「それはどうでしょう」


 ヨルドの発言に、ヴィムは静かに否定する。


「我が諜報員はある程度の毒には耐性がございます。彼らを眠らせる程強い効能の薬を、得体の知れない組織が保有しているとは考えにくいかと。南地区、はその点において慎重なお方なので」

「そうかよ。ヴィムがそういうならそうなんだろうな」


 ヴィムが語る、薬王についての情報。

 それをヨルドは当然のように受け入れた。

 傍から見ていればそれはまるで、ヴィムは薬王と何かしらの関わりがあるように聞こえたが。


 クックルが怪訝な表情を浮かべていると、ヴィムの視線が突如こちらを向いた。

 そして、軽く微笑んだ。

 どうやら後でお話します、という意味らしい。


「さて、そうなると気になるのはこの首の傷だよなァ」


 そう言って、ヨルドは首に刺さったままのナイフに視線を向ける。

 刃が全て食い込んでおり、首の周りに赤い血の跡が確認できた。

 よほど大量の血が噴き出したのだろう。

 ナイフの柄の部分も、大量の鮮血に塗れている。


「さて、じゃあちょいと失礼」


 ヨルドはそう言い放ち、ナイフの柄を握りしめた。

 乾いた血が、パリパリと音を立てて剥がれていく。

 そして。


「ホラよ」


 勢いよく抜き取り、ナイフはその姿を現した。

 鮮血に汚れた刃を、ヨルドは自分の服で拭いていく。

 元から汚れているのだから、気にする必要は無いだろうと言わんばかりに。

 そうして刃の血を落とし、何か無いかとヨルドは視線を向ける。



「――――――――――――――――――――――――は?」



 ヨルドの表情が、一変する。


 それは、今まで見たことも無いような驚愕の表情。

 信じられないものを見たと、ヨルドの瞳が限界まで見開かれる。


「ど、どうしたんですか?」


 その様子を心配し、クックルがヨルドへと近づいた。

 そして同じように、ナイフへと視線を向ける。


「……………………………………なッ!?」


 クックルもまた、驚愕に顔を歪める。


「おい、どうした」


 酒王の問いかけに、ヨルドは何も言わずにナイフを掲げる。

 残った三人の視界に、ナイフの刃が映し出される。

 彼らの反応は、全く異なるものであった。


「…………これはなんだ?」


 意味が分からない様子の酒王。


「…………蛇、なのか?」


 怪訝な様子で首を傾げるアケロス。


「……………………まさか」


 そして、何かに気付いた様子のヴィム。


 彼らの反応は一様にして、てんでバラバラ。

 そこに共通点など無い。

 しかし、知らない人間がいるのも無理はない。

 何故なら、これを知っているかどうかによって、その意味合いが変わってくるのだから。


「……………………これは、と呼ばれる獣の刻印だ」


 ヨルドは静かに語り始めた。

 その言葉は、微かに震えている。


「龍は伝説上の生き物だ。そして、として使われている」

「ある国…………――――――――――――まさか!?」


 ヨルドの放つ言葉の意味。

 酒王は少し逡巡しゅんじゅんした後、驚きのあまり玉座から立ち上がり叫び出す。

 この意味の恐ろしさを、ようやく理解した。

 否、理解してしまった。


 ヨルドは、静かに告げる。




「超大国ローダリア。このナイフは、そこから持ち込まれたものだ」

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