第10話 夜の闇

 姉姫の笑いが収まらないあいだに

「で」

と姫は強くく。

 「そのおお鷦鷯さざきって大王おおきみが、わたしたちのおじいさん?」

 「父上と母上、それぞれのおじいさん、ってことだね」

 姉姫は笑っていて聞いていないのかと思ったら、聞いていたらしい。

 「父上の父君が市辺いちぺ押磐のおしわのみこで」

 その名は知っていた。

 幼武わかたける大王のおおきみだまされて殺された王だという。

 「その父君が去来穂いざほわけ大王のおおきみで、その父君がそのおお鷦鷯さざきのみこと。母上の父君があんたの嫌いな幼武大王で」

などということを言うので、姫も

「じゃあ、姉上は好きなのですか?」

と訊き返す。

 「嫌いに決まってるじゃない」

 それはそうだろう。

 父の父を殺した人なのだから。

 「ま、それは後にして、さ」

 後にして、ということは、後で話すつもりだろうか。

 まあ、いい。

 姉姫が忘れても、また妹姫も忘れたとしても、御言みことちたちが覚えていてくれるだろう。

 それが御言持ちの仕事だ。

 「幼武大王の父君が朝津間あさつま稚子わくご宿禰すくねのみことって方で、この大王おおきみおお鷦鷯さざきのみことっていう大王の子。まあ、だから、鷦鷯さざきは、二つに分かれてた大鷦鷯命の血筋を二つとも受け継いでる、ってことだね」

 「それで、鷦鷯はそんな名まえなのですか」

 姫が感心すると、

「そうかも知れないけど」

と姉姫はおもしろそうにつけ加えた。

 「あなたもわたしも、だからね。名まえは受け継いでないけど」

 それはそうだ。

 父も母も鷦鷯と同じなのだから。

 話を変えることにする。

 「それにしても、姉上はどうしてそんなことを知っておられるのですか?」

 弘計うぉけのみこが語ってくれたのは、みこの父が市辺いちべ押磐のおしわのみこという方で、幼武わかたける大王のおおきみにだまされて近江の蚊屋野かやのというところで殺された、ということだけだった。

 父大王はもっと話してくれない。幼武大王を悪く言うと

「それでもその大王が姫のおじいさまにあたられるのだ。悪く言うでない」

と言うだけだった。

 つまり、もっと何も話してくれなかった。

 それなのに、どうして姉姫は知っているのだろう?

 「石上いそのかみの宮の神官つかさのところにね、しばらく日ごとに通って、教えてもらったの」

 この「石上の宮」というのは、大王おおきみや姫の宮ではなく、大王がたてまつ布留ふるの神様や布都ふつの神様の宮のことだろう。

 姉姫はふっと短く息をつく。

 「高橋たかはしの姉が和珥わにに嫁いで、まあわたしはどこかの神様の宮に巫女みこの宮として入れられるか、そうでなければ、物部もののべ大伴おおとものだれかにとつがされるんでしょ? だったら、そういうのは知っておかないと」

 言うと、姉姫は、じっ、と姫の顔を見た。

 何?

 「それはあなたもだからね」

 はいっ?

 「あなたも、父の大王の嫁がせたいだれかのところに行かされるんだから」

 「はい……」

 間の抜けた答えだ。それしかできない。

 いつかは嫁ぐのだろう。それもそんな遠くないうちに。

 それはわかっていた。

 嫁ぐということは、だれかにめとられるわけだが。

 だれかと歌を交わしことばを交わして結ばれるのか、だれかが姫の身を奪いに来て妻にされるか、父に言われた人に娶られるのか、どこかの宮に巫女として入れられるのか。

 どれにしても、相手がだれか、なんて、考えたことがなかった。

 けっきょく、あのあと、姉姫とは幼武わかたける大王のおおきみの話はしなかった。

 やっぱり好んで話したい話ではなかったのだ。姫にとっても、おそらく姉姫にとっても。

 そのかわり、その夜、御言みことちのうめが言った。

 宮の同じ間で床を並べ、床についた梅が、深い暗がりのなかで、はっきりと言った。

 「わたしは、姫がこころ沿わない男のひとのところに嫁ぐのはいやです」

と。

 それは、ほんとうに御言持ちの梅のことばだったのか。

 あるいは、もう眠ってしまった御言持ちをとおして、姫の神様が語ってくれたのかも知れない。

 夜の闇は深く、姫の臥所ふしどまですっぽりとおおくしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る