第27話 幼武大王の影(10)

 鷦鷯さざきは、かわいらしい、わがままな子だった。

 いつも心の赴くままに走り回っていた。播磨はりまにいたころには、大きくなったら将軍いくさのつかさとなって大王おおきみに仕え、四方よもを平らげるんだと言っていた。言っているだけならよいのだが、同じ村の男の子たちを従えて、女の子たちやほかの村の子たちを追い回して遊んでいた。あまりに目に余るようだと、姉の財姫たからひめや姫がそれを止めに行っていた。そういうときには鷦鷯が泣いて母に訴え、そして姉姫や姫が母に怒られていた。

 その子が、将軍いくさのつかさどころか、大王おおきみの家の大兄おおえに、つまり、やがては父を継いで大王になる身になってしまった。

 平群へぐりの姫をめとりたくて追い回しているならば、鷦鷯らしい。

 しかし、その平群の姫を遠くへ追いやられて、机の前の椅子に座ってふみを読み、あやを学ぶ、などというのは、およそ鷦鷯らしくない。

 姫におお鷦鷯さざきのみことたみかまどの話をされて、筆をすずりというものにたたきつけていた。

 その姿こそが鷦鷯だ。

 良いことではないのだろう。でも、鷦鷯というのはそういうことをする男の子なのだ。

 姫は目を閉じてから、父に問う。

 「鷦鷯に、そんなことができるのですか?」

 父は答える。

 「できなくても、なってもらわねばならぬ」

 いや。

 なってもらおうとしても、なってもらえないから、できない、と言うのであって。

 父が重い声で言う。

 「鷦鷯さざきがどんな子かはこの父もよく知っている。心がはやりやすく、その逸った心のままに生きるような子だ」

 「心のままに、だと」

と、すかさず、御言みことちのうめが言う。

 「それはおよそあやとはさかさですよね? 私はよく存じませぬが、鷦鷯さまが学んでいらっしゃる文には、おのれちてあやもどる、ということばがあるとうかがいました」

 姫が急いでことばを継ぐ。

 「それが鷦鷯にできると、父上はお考えですか?」

 姫が言わなければ梅が言うことになるが、そんなことを梅に言わせれば、梅が、鷦鷯を、大王おおきみ大兄おおえなみしたと言われてしまう。

 それにしても、と、姫は驚く。

 どうして、鷦鷯が学んでいる文に書いてあることまで、梅は知っているのだろう?

 「だから」

 姫に答える父の声は震えていた。

 「鷦鷯一人のでそれができるとは言わぬ。だが、鷦鷯は、鷦鷯の子に、やがて生まれてくる鷦鷯の子に、国を治めるのは礼をもってするものだ、ということを伝えてもらわねばならぬ」

 そのために、鷦鷯には礼とふみを学ばせている、というのだろう。

 しかし、鷦鷯はそれに耐え抜くことができるか?

 やはり、鷦鷯には、つるぎを持たせてつわものを率いさせ、逆らう者らを平らげさせるのがよいのではないか。

 もっと小さかったころにやっていたように。

 そして、その幼武わかたける大王のおおきみのように。

 葛城かつらぎ吉備きびも大王に従うことになったいま、大王に逆らう者がいるかは、よくわからないが。

 しかし。

 父大王はつぶやくように言った。

 「そう決めたのだ。だから、せめて鷦鷯の学びをさまたげないでくれ」

 大王は顔を伏せて目を上げる。

 その目のふちが赤い。

 弘計うぉけ大王のおおきみが開いていたうたげで、酒に酔った大人の男が、こんな顔を見せていた。

 姫は、梅と顔を見合わせて、大王の大宮から退しりぞくことにした。

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