第26話 幼武大王の影(9)

 「しかし、この父にはできぬ」

と、父大王おおきみは言った。

 顔を伏せたその大王の髪には白い髪が混じっている。

 たしかに父はけた。

 弟の弘計うぉけ大王のおおきみが亡くなってから二年あまりが経ち、父が即位ひつぎのまつりを行ってから二めぐりめの夏だ。

 その即位ひつぎのまつりのころには、父はもっと若々しかったと思う。

 「幼武わかたける大王のおおきみは、くろがねも、白銀しろがね黄金こがねも後のに残してはくださらなかった。だから、幼武大王がなさっていたように、くろがねつるぎを下げ渡すことで大王の勢いを示す、などということはもうできない。いや、その前に、この父が、あめしたらしめす億計おけ大王のおおきみ、などと黄金こがねらせたくろがねの剣を下げ渡しているところなど、考えられるか? とても考えられはせぬだろう」

 そう言って、大王は笑う。

 「吉備きびのおみ葛城かつらぎのおみも心はわれらのやからから離れてしまった。幼武大王はつわものの力を示すことで遠いところやからを従えられたが、兵の力などいつまでも続くものでないことは、白髪しらか大王のおおきみに敗れた吉備臣はよく知っているだろう。まして、葛城、平群へぐりらにはすぐにでも見抜かれる」

 だから、吉備臣を側に近づけることもできなければ、平群の姫を鷦鷯さざきめあわせることもできない、ということだろう。

 「もう幼武大王の世の前には戻れぬ。といって、幼武大王のやり方をそのまま続けることもできぬ。まだ幼武大王の残してくれた勢いが大和やまとに残っているうちに、何とかせねば」

 何とかせねば、と言われても。

 何をすればよいのだろう?

 姫には思いつかない。

 御言みことちのうめも思いつかないらしい。それとも、姫が思いつかないのなら黙っているべきだと思ったのだろうか。

 梅は、まばたきをして、まっすぐ大王を見ている。

 「そう、二人でじっと見るな」

と父大王は言う。

 笑みを浮かべて。

 自分の娘と、その娘のことばを伝えるのが仕事の少女と。

 姫も梅も、その笑いにはつきあわず、大王の次のことばを待っている。

 「そのための、あやふみだ」

 そう言って息をついた父大王おおきみはもう笑っていない。

 「国の人の守るべき礼を定める。国の人らのたかひくいを決めてそれを守らせ、その上に大王を置く。また、国の人らのたかひくいを守らせるために大王が口を出す。勢いを示さなくても、そのことで、大王がすえながく国を治められるような仕組みを作る」

 大王は、しばし黙った。

 続ける。

 「神のすえとしてのきよきみ、神に選ばれた聖い王。それが、いくさの力と、百済くだら任那みまなから招いた技芸人てひとらのわざの力で支えられていることを、幼武わかたける大王のおおきみは示してしまわれた。そうであれば新たな王のきよさがなければならぬ。そのための、礼の守り手としての王、礼の守り手としての聖い王だ。鷦鷯さざきにはそれになってもらわねばならぬ」

 「鷦鷯に!」

 姫が声を上げる。

 梅が姫のほうに顔を向けて、姫を見ている。

 そんなに声を上げる前に止めたかったのかも知れない。

 もう間に合わない。

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