第11話 夏の日に鷦鷯と(1)

 そのころよりももっと暑い夏が来た。

 宮のしとみをすべて開け放ってもまだ暑い。林を抜けて風が吹いてくれば涼しいこともあるけれど、風が止まるとすぐにまわりから暑さが迫ってきて肌から体にむ。

 絹のころもよりも麻の衣のほうがまだ涼しいので、梅に言って麻の衣を持ってきてもらった。その麻の衣に着替えてもまだ暑い。

 弟の鷦鷯さざきのところを訪ねようと思ったのは、そちらのほうが涼しそうだから。

 それがすべてではないけれど。

 思いついたときうめ石上いそのかみの神の宮に行っていて、いなかった。だから、梅に先触れをさせることもしなかったし、連れても行かなかった。また、男の鷦鷯のところに少女の御言持ちを連れていくものでもないだろう。

 鷦鷯はやがて大王の位を嗣ぐ大兄おおえなので、姫よりも大きな宮を与えられている。

 弟の宮に行き、官人かんにんに大兄様に会いたいと伝える。

 弟なのに官人には大兄様と告げなければならない。何が大兄だと思うけれど、弟がそういう位を与えられているのだからしかたがない。

 官人は麻の衣に麻の帯をめた姫の姿を上から下までながめ回したが、ふと腕を体の前に揃えて頭を下げ、そのまま殿居とのいのなかに姿を消した。

 これがあやの国のやり方らしい。この官人もあやのあたえの族なのだろう。

 暑苦しい。

 ほどなく官人が戻って来て、

「お上がりくださいませ」

と言う。

 宮の殿居に上がってみると、鷦鷯さざきの間には文人ふみひとがいた。やはりうやうやしく頭を下げて退がって行く。

 姫がここに来るのはわかっていたのだから、そんなに恭しくするなら先に退がっていればいいのに、姫が来てから退がるのは、文人がここにいることを見せたいからだ。

 姫が来て、鷦鷯の学びを半ばで止めなければならなくなった。それをこころよく思っていないと示すために。

 そんなことにはかまわず鷦鷯の間に入ってみると、鷦鷯は、高い机の前で、椅子いすというものに座っていた。

 机の上に紙のふみを置き、すずりを置き、鷦鷯みずからは細くて薄い木の板を持って、そこに文字を書いているらしい。

 姉が来たのを見て、鷦鷯は、筆とその細い木の板を机に置いた。

 けわしい目つきで見ようと顔を上げたけど、その顔に表れたものはすぐに驚きに変わった。

 「姉上、なんというお姿で」

 見ているのは、姫の顔ではなくて、姫が着ている麻の衣だ。

 麻の衣など、大王おおきみやからが着るものではない、と言いたいのだろう。

 「だって、播磨はりまにいたころは、冬でもこれを着ていたじゃない?」

 麻の衣は、夏は涼しいが、冬は寒い。せめてあしぎぬの衣で寒さを防ぎたいと思っていたけれど、あしぎぬの衣を着ることができたのは、父と母と大姉だけだった。

 それがいまは逆さになって、夏でも絹の衣を着ている。

 その答えに、鷦鷯さざきはあらためて眉をひそめた。

 「播磨にいたころとは違うのです」

と言う。

 それは違う。播磨にいたころ、姫も小さかったし、鷦鷯はもっと小さかった。たぶん鷦鷯は播磨にいたころのことはほとんど覚えていないだろう。

 でも。

 姫は言ってみる。

 「何が違うのよ?」

 鷦鷯が心もちを悪くするのはわかっていた。

 はたして鷦鷯は大きくため息をついた。

 椅子に座って、立ったままの姉を見て、言う。

 「われらは大王おおきみやからとなったのです。大王の族は、それにかなったよそおい、それにかなったいをしなければなりません。そうでなければ天下てんかは乱れます」

 「天下」って……。

 それが姫たちの言う「あめした」の、あやのことばでの言いかただ、というのは知っていたけれど。

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