第30話 月夜(3)

 うめが続けて言う。

 「あやの国も、とせより古い昔はそれで治まっていたのです。しかし、やがて、その封建ほうけんたかくらいを許されたおみたちが、おのれの尊さをたのみにして大王おおきみとうとさをおかすようになり、その尊い位の臣たちも、それに仕えるともたちにその位を冒されて、国は乱れ、その乱れはいくももとせも続いたそうです」

 姫は口に出して言ってみる。

 「幾百年」

 千年よりは短い、というのは、わかる。

 しかし、幾百年も乱れが続くとは、どういうことだろう?

 その幾百年のあいだに、生まれ、死んだひとはどれほどいるのだろう?

 そのすべてが、生まれたときも乱れた、死ぬときも乱れた世で、乱れた世しか知らない、ということだ。

 姫は首筋の後ろが震えた。

 梅が続ける。

 「封建というものは、ずっと昔、人がみな赤子あかごのようであったころ、人がまことにみないひとで、人がたがいにいつくしみあう世で成り立っていた国の成り立ちだということです。それだから、あやふみで長く久しく人の世を治めることもできた。しかし、もういくももとせの昔には、それは成り立たなくなっていた、と、大伴おおともやからに仕える文人ふみひとたちは言っていました。いまのあやの国はもう封建の成り立ちではありません」

 姫は驚く。

 「では!」

 「そのとおりです」

 姫が何も言っていないのに「そのとおり」と言うとは。

 梅は何も言わなくても姫の心がわかるのだ。

 それが、たましいを神の下に置く御言みことちの力なのか。

 「もちろん、その大伴の族に仕える文人が言うことがまことなのかどうかもよくわかりません。漢の国でも、国が乱れるたびに、その封建ほうけんを戻そうという話が出て、いくたびもそれはこころみられたとも言っていました。でも、そういうことではなく」

 梅がことばを切る。

 今度は、姫が横目で軽く梅を見た。

 それにこたえて、梅が言う。

 「大王おおきみさまはその封建をあるべき国の成り立ちと考えておられる。それを鷦鷯さざきさまにお教えしようとしておられる。しかし、大王が最も頼りとされている、物部もののべのむらじ大伴おおとものむらじやから、その主立おもだったかたがたは、それでは国が成り立たぬと、その大伴に従っている文人らに教えられているのです」

 「それは!」

と、姫は身を起こしかけた。

 大王が最も頼りにしている者たちが、大王の考えのとおりには行かないと思っている。

 大王の考えをなみしている。

 そういうことだ。

 父に。

 大王にそのことを知らせなければ!

 しかし、梅がしたまま手をすばやく横に伸ばして、姫の動きを止める。

 「大きく動かれますな」

 その鋭い動きを見せながら、梅がそれまでと変わらぬ声で言う。

 「夜は人の声が遠くまで聞こえます。それに、この宮の中にいまわたしたちと共にあるのは、神々やねずみばかりではありません」

 大王の宮であるからにはここには神様もいらっしゃるだろうし。

 森のなかだけあって、小さな鼠が多いのだが。

 それだけではない。

 たしかに。

 はしためたちは下の間で休んでいるし、ここは床が高いだけあって床の下に潜むのもたやすい。床の下にはどうしても声がれる。

 それは、播磨はりまにいたころ、宮の床の下にひそんで大人や歳上の子らの話を盗み聞きしていた姫にはよくわかる。

 そのころから梅は姫の遊び仲間だった。

 そのころの梅は御言みことちではなかったけれど、そのころから梅はいつも身近にいた。

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