第14話 母の御言持ち

 姫と鷦鷯さざきの話はやはり文人ふみひとたちに聞かれていたらしい。でなければ、鷦鷯が悔しまぎれに文人たちに母に知らせさせたのか。

 姫が姫の宮に帰ってしばらくして、ははきさき御言みことちのさきという女が、おきさきさまがお呼びです、と姫を呼びに来た。

 母の前に麻の衣を着て行くと何を言われるかわからない。

 麻の衣を着て行かなくても何を言われるかわからないけれど、わからないことは少ないほうがいいので、着替えて行く。

 姫の御言持ちのうめはまだ石上いそのかみの神の宮から帰って来ていない。また母と娘のことなので、御言持ちを連れて行くこともないだろうと思った。

 だから、幸だけにともなわれて母のところに行く。

 この幸という女が、姫にはよくわからない。

 幸は石上に来てから母の御言持ちになった娘だ。歳は、梅よりは上だが、姉姫の御言持ちの強弓よしみよりは若い。

 幸も和珥わにのおみからささげられた女だという。ただ、幸は、和珥のなかでも、母や姉の嫁ぎ先とえにしが深い春日かすがとは違うやからの出だと言っていた。

 話し好きで、だれとでも話す。そういうところは、近寄りがたい思いを抱かせる母とは違っている。

 顔は白くて目鼻立ちも美しい。けれども何か隠しているところがありそうだ。

 夜、顔の前にをともせば、顔だけは白く浮かび上がるけれど、顔のほかはすべて闇にまぎれて、見えない。顔は美しく親しげだが、ほかがどうなっているか見えない。

 そんなところがこのさきという歳上の娘にはある。

 幸は、また、嘘のつけない、たばかりごとのできない娘にも見える。

 石上いそのかみに移って間もないころ

「おきさきさまから、梅に気をつけなさい、梅は姫を悪しきかたに導く娘だからと姫に伝えなさい、と言われて来たんだけど、梅ちゃんが悪しき娘だなんて、そんなはずないよね」

と言ってはっはっはと声を立てて笑ったことがある。主人に言われたことをそのまま伝えるのが御言みことちだから、そんなことを言ってはいけないと思ったのだが、そのことばはありがたく受け取っておいた。

 でも、その裏表のなさのために、かえって、何か大きな「裏」を隠しているようにも見えるのだ。

 そのことはわかっていて、姫は幸に聞いた。

 「このお呼びは何のためです?」

 さっき姫が鷦鷯さざきを怒らせたこと、いや、その前に、あらかじめ知らせないで鷦鷯のところを訪れたことから、怒っているんだろうな、と思う。

 でも幸は考えもしなかったことを言った。

 「鷦鷯さまが平群へぐりのおみの姫に熱い恋心を抱かれ、それを大后おおきさきさまに申し上げたところ、大后さまがお怒りになって、その平群臣の姫を山背やましろまで追いやってしまわれて。それで大后さまもお怒りなら、鷦鷯さまもお怒り」

 姫の知らないあいだにそんなことがあったのか。

 顔を合わせていないわけではない。日々、朝餉あさげ夕餉ゆうげで顔を合わせている。

 だが、父が大王おおきみになってから、朝餉も夕餉も神様と共にいただく、ということになり、食べているあいだは何も話すことができなくなった。食べ終わってからは話してもよいのだが、大姉おおあね姫の高橋たかはしひめがいたころはともかく、母と、姉姫と、姫と、鷦鷯とでは軽い心持ちで話すことなど何もなく、それぞれの宮に戻ってしまう。

 たしかに鷦鷯は心が沈んでいるといえばそう見えたが、それは、文人たちに文を教わるのに疲れたからだろう、というくらいに思っていた。

 さきが続ける。

 「それで、大后さまが和珥わにやからの姫とめあわせようとなさったのだけど、鷦鷯さまとは合わなかったらしくて、大后さまもますますお怒りなら、鷦鷯さまもますます、という、そういうこと」

 それで鷦鷯は女は悪しきものとか言っていたのか。

 あやの国の文を読んで思いこみを深めたというだけではないのだ。

 「そんなところに姫が鷦鷯さまにあのような話をなさったものだから」

 そう言って、幸は、くすん、と笑った。

 この幸の笑いだけで、姫は、やっぱり女は悪しき者かも知れないと思ってしまう。

 幸とはそういう女だ。

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