第16話 大王とその娘(2)

 「ふん!」

 しかし、母は笑った。

 笑って、憎々しそうに姫を見下して笑う。

 「おまえはそのようなことを信じているの? あわれな娘だこと」

 笑いはしたが、憎らしさが余って、だろう。母のまぶたはふるえている。

 どうして生みの母がここまで姫を憎まなければいけないのだろう?

 「よいですか? おまえは、わが父幼武わかたける大王のおおきみが、いまの大王の父みこ押磐おしわのみこを狩りにおびき出して殺したなどと、愚かにも信じているのでしょう? 愚かな女め!」

 「愚か」を繰り返して姫を追い詰めたつもりかも知れないが。

 繰り返さなければ、姫が愚かだと姫に思わせることもできない、という心持ちがわかる。

 それでも母は勝ち誇って言う。

 「あれはさかさなのです、愚かな姫」

 また。

 どういう話が出て来るかはわからない。

 でも「それはどういうことです?」などとは口に出さずに姫は待つ。

 母はまたまぶたを震えさせた。

 「あれは、押磐おしわのみこが、わが父幼武わかたける大王のおおきみしいせんとして、狩りにおびき出し、殺そうとしたのです。わが父はそれでやむなく押磐王を殺された。だって、おかしいではありませんか」

 この、相手を見下したような言いかた……。

 さっき、姫が鷦鷯さざきに言ったことばも、鷦鷯にはこんなに響いたのだろうか?

 たしかに、姫はこの母の娘だ。

 母は続けた。

 「狩りに呼ばれたのは蚊屋野かやの、押磐王の名代なしろがあった近江おうみ市辺いちべのほど近くですよ。周りには押磐王の手下の兵や名代の民も多い。わが父大王が押磐王を殺したかったとしたら、なぜわざわざ押磐王の名代の近くへ行かせて殺さなければならないのです? そうですよ。そうではなく、押磐王がわが父大王を殺すために、自らの名代に父大王をあざむき招かれたのです」

 母の心はたかぶっているのだろう。言いかたも楽しげになってきた。

 「ただ、聡明な父幼武大王はそれを見抜き、謀叛むほん人の押磐王をちゅうせられた。そういうことなのです」

 言い終わって、勝ち誇ったように笑って姫を見る。

 名代なしろというのは、王を養うための田畑や倉のあるところだ。そこには王を主人とあおぐ民がいる。つわものだっているかも知れず、官司つかさだっているかも知れない。

 押磐王は、そういう地に幼武大王をおびき寄せて殺そうとした、と、母は言いたいのだ。

 だが。

 そうとも限らないのでは、と、姫は思う。

 姫のいまの名は白香しらかひめという。

 ふだんは妹姫とか播磨はりま幼姫わかひめとか呼ばれていて、この名で呼ばれることはほとんどないが、そんな名がある。

 それは、文字もんじで書くと、白髪しらか、または白香しらか部という名代なしろにちなむ。

 父や母や姫を大和にした大王おおきみ白髪しらか大王のおおきみといった。この方がその白髪部という名代を遺された。

 白髪大王が亡くなり、姫がその白髪部を継いだことになっている。だから「手白香姫」というのだが。

 では、その白髪部はどこにあり、どんな民がいるか、なんて、姫は知らない。

 だから、市辺いちべ押磐のおしわのみこだって、市辺という地を知っていたとは限らない。そこに王をしたう民がいて、つわもの官司つかさもいた、とは限らないのでは?

 姫が何も言わないので、だろう。

 「見なさい。答えられぬのですね、愚かな姫!」

と母は高ぶった声で言う。

 答えられぬ、というより、答えないだけなのだが。

 話が長くなりそうだから。

 それでも、姫が泣きもせずに黙っているのが、母の心にさわるらしい。

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