第17話 大王とその娘(3)

 母が言いつのる。

 「そうです。奸佞かんねいなる押磐おしわのみこのたくらみがうまく行っていたら、どうなっていたことか。想像するだけで、心が寒くなります。いいですか? この大和やまとの国は、わが父、幼武わかたける大王のおおきみがいらしたからこれだけの大きな国になることができたのです。これだけのかがやかしき国になることができたのです。幼武大王がいらしたから、東の毛人うみしの国、西の隼人はやとの国、うみのきたからの国までが大和に服したのです。海の果てのくれの国のきみも認めるほどの、大きな国を造ることができたのです。それを、おまえという女は! おまえは、わが子でありながら、わが父の血を受け継がず、しき押磐王の」

 「止めぬか!」

 大声が大宮おおみやの内にとどろいた。

 雷かと思うほどの恐ろしい声だった。この身を切るような母の鋭い声には少しも心を動かされなかった姫が縮み上がった。

 「おまえにとっては幼武わかたける大王のおおきみが父であろうが、押磐おしわのみこは私の父君だ。しかも、天の下の民にとっても、幼武大王は先の大王だが、押磐王は大王の父だ。悪しく言うことは許されぬ。しかも、大宮の内で」

 父大王おおきみだった。

 後ろに控えているのはさき、それに小さいうめもいる。

 母に下がっているように言われた幸が大王を呼びに行ったのだろう。梅が来たのはたまたまか、それとも幸が梅も呼んでくれたのか。

 「そのようなことを言って」

 そういう母は、声が震えていた。

 声が震えるのは、体が震えているからだ。

 「この小娘が、鷦鷯さざきの学びをさまたげ、わが父の」

 「小娘」って?

 たしかに、とうとやからの「小娘」だから「姫」なのだけど。

 「だから」

と父大王は母のことばを止めた。

 「姫には私からよく言い聞かせておく。それに、仮にも姫はおまえが産んだ子ではないか。御身の父君をうやまえと言っておいて、この姫とも血のつながった夫の父をさげすむようなことを言っていては話にならぬ。下がっていなさい」

 その「下がっていなさい」のことばに、母は目をむいた。

 「こっ、……ここは大宮ですよ。大后おおきさきが大宮から下がれと言われるなど!」

 「ここは泊瀬はつせではない」

 父が落ち着いた声で言う。母は息をのんだ。

 泊瀬というのは、あの三輪みわの山の向こう、その幼武わかたける大王のおおきみの宮のあったところだ。

 母はそこで育ったのだろう。

 泊瀬ならば、その幼武大王の娘であるははきさきの言うとおりにもなろうが、ここはそうではない、ということだ。

 母はいっそう打ち震えた。けれども父大王は取り合わない。

 「ここは石上いそのかみの神様から私がお借りしているところだ」

 つまり、母の大后ではなく、父大王が。

 「私が姫に言って聞かすあいだだけ下がっていてくれと言っているだけだ。下がっていなさい」

 「さあ」

 父大王のことばに答えるように、さきが言った。

 鋭い声だった。

 あやまたず母だけを刺す。そんな鋭さがその声にある。

 母は憎々しげに姫をにらみつけ、またまぶたを震えさせる。

 でも、父に言われ、幸にうながされては、逆らえなかったらしい。

 母はもう姫を振り返ることもせず、幸に従って出て行った。

 梅は残る。

 梅は顔をうつむかせて、上目で姫を見ている。

 「梅も下がりなさい」

 父大王が柔らかい声で言う。

 「いいえ」

 答えたのは姫だった。

 「梅はわたしの御言みことちです。わたしについていてもらいます」

 もしそれでも強いて梅を下がらせるというなら、姫も帰るつもりだ。

 しかし、父は、さっきよりもさらに柔らかい声で言った。

 「そうか。ならば共に残るがよい」

 梅がふっと息をついた。

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