第18話 幼武大王の影(1)

 神の殿居とのいとばりを開いたり、神酒みきたまったりして、神様の前で話すとなると大ごとだと思っていたが、父大王おおきみはそのどちらもしなかった。

 姫と梅を座らせると、向かいに腰を下ろす。

 神の前では、いや、ほかの臣たちや、まして民の前でもしない斜め座りだ。

 播磨はりまにいるころ、この父はよくこういう座りかたをしていたものだった。

 ひとつ息をつく。

 「その、幼武わかたける大王おおきみの話の前に」

と言い、探るように目を上げて言う。

 「鷦鷯さざき平群へぐりのおみの姫に言い寄っていた話は?」

 姫が答えるよりも早く

「私が姫に申し上げました」

うめが言う。

 いつわりだ。姫に告げたのはさきだ。

 おそらく、梅が告げたことにするように、あらかじめ話ができていたのだろう。

 幸と。

 もしかすると、姉姫の御言みことちの強弓よしみとも。

 父大王は梅に向かってまゆをひそめて見せた。梅もそれに答えるように眉をひそめる。

 まだ子どもの梅が姫にそんなことを話すわけがない、と、父は思っているのだろうか。

 姫がかまわず言う。

 「きみき ながくなりぬ」

 父がいぶかしげな顔で姫に目を移す。

 姫がなぜそんな歌を歌い出したか、わからないからだろう。

 姫は続ける。

 「おお鷦鷯さざきのみこと大后おおきさきであられた葛城かつらぎ磐之姫のいわのひめのみことの歌ですよね」

 石上いそのかみの神の宮で聞いてきた。心に残ったので覚えて帰って来た。

 「君が行き 日長くなりぬ やまたずね むかえかかむ ちにかたむ」

と続く。あなた様がいなくなられて多くの日が経ちました。山をたずねて迎えに行きましょうか、それともずっとお待ちしていましょうか。そんな歌だ。

 大鷦鷯命が、ゆかりのある娘を次々にきさきにしようとするのがいやになった大后の磐之姫命が、大王の宮を出て、山背の筒木の宮というところに移られた。大鷦鷯命とゆかりを断とうとなさったのだ。

 しかし、それでもの大鷦鷯命が恋しくて歌ったのがこの歌だという。

 父大王おおきみは黙っている。

 姫が言う。

 「平群へぐりと言えば、その磐之姫いわのひめのみこと葛城かつらぎと同じおみやからですよね」

 葛城、巨勢こせ、平群はもとは同じ臣の族だという。

 「大鷦鷯命が葛城臣の姫を大后になさったのです。その葛城とは同じ族の平群臣の姫をめとるならば、それがむしろ鷦鷯さざきの名をみこにはふさわしいのでは?」

 「そうはいかぬのだ」

 父大王は答えた。繰り返す。

 「いまの世では、そうはいかぬ」

 なぜそうなのかは姫にもわかる。

 父大王は、葛城の族に頼るのをやめて、物部もののべのむらじ大伴おおとものむらじに頼ることを決めたからだ。

 しかし……。

 どうして、そう決めたのだろう?

 だから、わからないふりで、父大王に首をかしげて見せる。

 大王は取り合わずに

「そんなところに、大后おおきさき和珥わに春日かすがの姫など連れて来るから、話がややこしくなる」

と言って、斜めに、いたずらそうに、姫を見る。

 「まあ、和珥の姫そのひとは、落ち着いた、おだやかそうな姫ではあったがな。しかし、そんなことをされては、鷦鷯が心穏やかでないわけだ」

 笑って見せる。父大王が姫にそんな顔をして見せたのはひさしぶりだ。

 「その春日の姫というのは、おまえの大姉おおあねの妹だから」

 つまり、姉姫の上の姉が高橋たかはしひめで、高橋姫は和珥臣の族に嫁いだ。そのの君の妹、ということだ。

 「鷦鷯さざきがその姫をめとるならば、和珥の春日の族は大王の族と固いえにしで結ばれるということになる」

 ということは?

 葛城臣の族に替えて和珥臣の族を取り立てたい?

 しかし、いま和珥の族を取り立てて、何かよいことがあるのだろうか?

 葛城かつらぎのおみらのやからは多くのつわものを率いている。物部連や大伴連は、多くの兵に加えて、多くの技芸人てひとを率いている。葛城臣の族はその力で大王に取って代わろうとすることがあるので、父大王は物部連や大伴連を重く用いたい。

 しかし和珥臣の族にはそれほどの勢いもない。古い族として敬われてはいるが、動かすことのできる兵は葛城臣の輩や物部連や大伴連ほどではないし、まして官人かんにん技芸人てひとは多くない。

 まさか。

 だとしたら、ここのところ心持ちのよくない母大后おおきさきを喜ばすため?

 それでは、そのあやの国の幽王ゆうおうという大王おおきみと同じことになってしまう!

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