第19話 幼武大王の影(2)

 「大后おおきさきとしては」

 父大王おおきみはそれまでより低く抑えた声で言った。

 「その受け継いだ血筋が消えて行くのが耐えられぬのだな」

 言って、耳の下のところを軽く指でく。

 「幼武わかたける大王のおおきみ和珥わにの血筋が、消えるのが、な」

 姫を斜めに見て、言う。

 「幼武大王の大后は大王と好き合って大王にめとられた方だったが、お子をお産みにならなかった。上のきさき葛城かつらぎのおみの娘、次の妃は吉備きびのおみの娘で、どちらも、好き合ってめとったというより、葛城のやから、吉備の族が大王のもとにれた妃だ。まあな」

 父大王は声をにごらせた。

 「吉備の妃のほうは、幼武大王がよこしまな恋心を抱いて、夫を任那みまな官司つかさに追いやってそのあいだに奪った、ってうわさはあるが、あの幼武大王がそんなことをするはずがない」

 姫が問う。

 「賢いかただからですか?」

 もちろん、姫はそう思ってはいない。

 それは、父も知っているだろう。

 「自分をうらむかも知れない相手を、好きこのんで、海の向こうの任那にったりするはずもない」

 姫の問いには答えず、言う。

 「向こうで謀叛むほんを起こされたらそれまでだ。任那が大和やまとの手から離れてしまう。何かややこしいことはあったかも知れないが、やっぱり吉備の族がいろいろとわかったうえでれたんだ」

 つまり、「あの幼武大王」は、自分が好きな女を妃に娶ることよりも、大和の国の勢いが遠くまで及ぶことをより強く願っていた、そういうひとだった、ということだろう。

 吉備臣もそれがわかっていた。

 父大王おおきみが続ける。

 「幼武わかたける大王のおおきみが恋し、女も大王に恋し、という相手は幾人いくたりか伝わっておるが、そのなかで大王の宮に妃として迎えられたのはただ一人、和珥わに春日のかすが弘杼うぉどひめだけであった」

 父大王は目もとに笑いをたたえた。

 「それがおまえの母の母だ。たいそうお美しい方だったという」

 それが、和珥わにのおみやからからささげられて大王の宮にいたという姫なのだろう。

 「しかし、和珥臣でもひくい姫となると、大后おおきさきでないのはもとより、妃ともなかなか認められなかった。宮づかえのはしため扱いだ。むらじが幼武大王に勧めて妃にしてくださったのだがな。しかし、その娘となると、とつぎ先が、そのころ播磨はりまにいて、大王の位にはきわめて遠い、そういう王の族ということになってしまった」

 「きわめて」を強めて「きわぁめて」のように父は言った。

 その「大王の位にきわぁめて遠い王の族」とは?

 言うまでもない。父大王そのひとのことだ。

 「それが母大后おおきさきだ。しかし大后になったのは後の話。幼武大王が亡くなると、幼武大王の、葛城かつらぎから入った妃から生まれた兄が大王おおきみになった」

 それが、その白髪しらか大王のおおきみという大王だ。

 「もし、その白髪大王に王子が一人でもいれば、この父も、弟の弘計うぉけのみこも大王にはなれなかった。播磨に住むきみやからのままで、そのすえはやがて民のなかにまぎれて行ってしまっただろう」

 それはそうだ。

 王の族であったころでさえ、娘が冬にあしぎぬの衣すら着られなかったのだから。

 「それは、母大后としては、ねたむさ。葛城臣の族も、葛城臣の娘の子であられた白髪大王も、それから」

 ちらっ、と、父大王は姫を見た。

 「その白髪しらかを継いだおまえも、だ」

 そんなわけで母は姫を憎んでいるのか!

 しかし。

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