第20話 幼武大王の影(3)

 姫は口をとがらす。

 「べつにわたしがそのを継ぎたかったわけでは!」

 その白髪しらかという名代なしろか何かを。

 父は怒るかな、と思った。

 姫がこれからずっと心やすく生きて行けるように、その名代を姫につけてくれたのだろうから。

 しかし、父は、怒りもせず

「そういうわけにはいかぬのだ」

と言う。

 葛城かつらぎのおみやからの姫を鷦鷯さざきめとらせるわけにもいかなければ、姫に白髪部という名代を継がせないわけにもいかなかったと言う。

 大王おおきみなのに?

 うめ主人あるじのその心がわかるのか、唇を結んで、軽く突き出して姫に見せている。

 よい御言みことちだ。

 父大王が続ける。

 「白髪しらか大王のおおきみが亡くなって、この父と弘計うぉけとは、名代を、みつところ、継ぐことになった。白髪大王の白髪部と、朝津間あさつま大王のおおきみ朝嬬あさつまと」

 雄朝津間大王は幼武わかたける大王のおおきみの父君だった。

 父大王は、唇をきゅっと結んで姫を見上げる。

 「それと、幼武大王がお持ちになっていた泊瀬はつせと。それで」

と父大王は短くため息をついた。

 「上の姉姫は和珥わに高橋たかはしところと民を継いで和珥に嫁に行ったから、名代なしろを継ぐ話にはかかわりがなかったが、大后おおきさきがどうしても幼武大王の遺した泊瀬部を鷦鷯さざきに継がせたいと言う。だから、弘計うぉけと話して、朝嬬あさつまはおまえの姉のたからひめに、白髪しらかはおまえに継がせたのだ」

 何、それ、と思う。

 名代なしろにいるのは民だ。その民に関わりのないところで、この民はきみやからのだれのものにする、この地は王の族のだれのものだ、と決めている。

 でも、そんなものなのかも知れない、とも思う。

 民のなかで育ち、いきなり大王の大宮に連れて来られ、いまは大王の娘として生きる姫には、大王の族の思いも民の思いもわかるといえばわかる。

 わからないといえば、わからない。

 「泊瀬部を継いで幼武大王を嗣ぎ、和珥臣のやから、それもできれば和珥のなかでも春日の族から大后を取って母をぎ、その弘杼うぉどひめを嗣ぐ。母大后は鷦鷯をそういう大王にしたいのだ」

 だから、って、好きな娘と別れさせて、しかも、その平群へぐりの姫を平群から遠い山背やましろに追いやったりして、いいわけがない。

 父大王が続ける。

 「明日香あすかからここ石上いそのかみに移れば和珥のむらはすぐそこだ」

 たしか、この石上から大和やまとの野に下りて少し北が和珥というところだと姫は聞いた。

 訪れたことはない。

 和珥の族は、この和珥の邑から北、那羅ならやまふもとまで、その勢いを拡げている。

 しかし、それは、さかさから見れば、この石上よりも南は、葛城かつらぎのおみやから物部もののべのむらじ大伴おおとものむらじの勢いが強いところで、和珥の勢いは及ばない、ということでもある。

 「宮居みやいが和珥の邑近くに移って大后おおきさきはやっとその族のところに近づいたと思ったのだろうが、いくら近くてもここは物部の族の地だ。幼武わかたける大王のおおきみの血を継ぐ者もおまえたちを残すのみ。そのなかで大王おおきみになれるのは男の鷦鷯さざき一人、そして、財姫たからひめもおまえもその幼武大王をきらっている。このままでは和珥の血も幼武大王の血も衰える。だからおまえたちの母はああなるのだ」

 つまり、姫を憎み、父をなみし、弟に幼武大王のようになることを強いる。

 「認めよとは言わぬ。だが、わかってやってくれ」

 姫は何を言っていいかわからない。

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