第8話 大鷦鷯命(1)

 強弓よしみうめも桃を食べ終わったところで、姫は姉に訊いた。

 「それで、その、かまどの煙の話って何なのですか?」

 「ああ。おお鷦鷯さざきのみことの話?」

 「うん」

 姫は軽く上目づかいで姉姫を見る。姉姫はふっと笑った。

 「やめなさいよ。そうやってうかがうように人の顔を見上げるのって」

 姉姫と並んで座る強弓よしみが口の端を引いて姫を見る。もっと心もちを緩くして、と言いたいのだろうか。

 「だって、わたしは妹で歳も小さいし体も小さいんだから、しかたないじゃありませんか」

と言うと、姉が笑った。

 強弓も軽く笑った。

 梅まで笑った!

 姫の御言みことちならば、姫といっしょに怒ってくれるべきなのに。

 「そう。あなたはいまよりまだ小さかったから、覚えてないかな?」

 姫がむくれているのには取り合わず、姉姫は言った。

 「播磨はりまからここへ来るとき、草香くさかというみずうみを通ったでしょう?」

 「覚えてない」

 こんどは窺うようにならないように、姉の顔をはっきり見て姫は答える。

 「小さい」を繰り返す姉が腹立たしくもあった。

 姉はやっぱり笑った。

 「でも、船で来たのは覚えてるよね?」

 「うん」

 大和やまとに来るまで住んでいた播磨の明石は海に近いところだった。そこから船に乗った。海の流れの激しい明石の瀬戸を抜け、穏やかな海を進んで、いつしか四方よもを丘に囲まれた湖に来た。湖のまわりは見渡すかぎりの葦原あしはらだったのを覚えている。

 そこから川に入り、また流れの激しい瀬を通り、龍田たつた大社おおやしろというところにもうでて、休んだ。龍田からまた船に乗り、こんどは広瀬ひろせの大社というところに詣でて、こんどは休まずに磐余いわれのいけという湖まで来た。

 磐余池で陸に上がり、衣笠きぬがさをさしかけてもらいながら、そのころの大王おおきみの宮までゆっくりゆっくりと歩いたのだが。

 疲れ果てていた。歩くのはもう少し速くていいから、早く着かないかな、と、そればかり思っていたのを覚えている。

 「そのとき通った大きな湖が草香くさかというところ」

 「ふうん」

 窺うようにならないように声を立てる。姉姫はまたくすんと笑った。

 姫が何をしても姉姫は笑うのだ。

 でも姫が何をしても怒る母上よりはましだと思う。

 「その草香の津と海とをつなぐ堀江ほりえの堀を開かれたのがそのおお鷦鷯さざきのみこと。それに、北の大川っていう川があってね、その北の大川の水が草香の津に暴れこまないように、って、茨田まんだつつみという堤も築かれてね。でも、それは、この大和で言えば、小佐保おさほのあたりから龍田たつたの近くまで川沿いに堤を築くほどの大仕事だったわけ」

 「はいっ?」

 こんどは声色こわいろよそおう間もなかった。

 あの、大和の野を北から南へつらぬいて流れる川に沿って、ずっと大きな堤を築く。それと同じ大仕事だというのだが。

 そんなことができるのだろうか?

 神様ではなく、人に。

 たとえそれが勢いのある大王おおきみであったとしても。

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