第5話 民の竈(2)

 鷦鷯さざきの答えが遅いのでいらいらし始めていた父は顔をほころばせた。

 「よいところに気がついた」

 姉の財姫たからひめは姫の顔をちらりと見た。姫は口をつぐんだまま同じように姉の顔を見、そのまま空へと目を向ける。

 娘たちのそんなそぶりには気づかないまま、父大王は続ける。

 「きみまつりごとが悪ければ、たみかまどに火をくこともできぬ。食らう米がなくては、竈に火を入れても何の役にも立たぬからな」

 「いや」

 姫がいきなりことばをはさんだ。

 「貧しい民は麦を食えばよいのでは?」

 父より先に母が姫を振り向いてにらみつけた。横で姉がくすんと笑うと、母はその姉をもにらみつける。

 「食う麦も、あわひえもないのだ」

 父大王は早口でつけ加える。

 「そうならないように民を治めるのがきみのなすべきことだ、と言っている」

 いや。

 作るのに手間のかかる米や麦はともかく、稗なんか勝手に生えてくるわけで、それは大王おおきみの力というよりは土地の神様のおかげだろう。ひでりや寒さやみずきでそれも生えないとなると、それは天の神様地の神様がお怒りなのだから、そちらをおまつりしたほうがいい。

 でも、けなげな弟はそうは考えないらしい。

 「はい」

 鷦鷯が幼い声で答えて、父大王の顔をうかがう。

 父は満足そうにうなずいた。

 「そのために、わが家の高祖たかつおやは、三年のあいだ、民にみつぎをかけるのをめられたそうだ」

 姫がまたすばやく訊く。

 「高祖って、父上の? 母上の?」

 「やめなさい」

 母が声を出してしかりつけた。

 「大王がお話になっているところです」

 姫は恐れ入ったように小さくうなずいて見せた。姉はどちらも耳に入らなかったという澄まし顔でいるが、口もとが笑っている。

 「どちらもだ」

 その大王である父はいら立たしげに答えた。

 「この父の父の血筋も、その」

とことばを切ってから、続ける。

 「幼武わかたける大王のおおきみの父の血筋も、その高祖のみことから始まっているのだ」

 幼武大王は、母の春日かすがのきさきの父だ。

 そして、父や叔父様の父君、市辺いちべ押磐のおしわのみこを殺した人。

 父はその幼武大王の名を口にするのをためらった。それが姫にははっきりとわかった。

 母がその父のほうを鋭く振り向いたことも。

 父大王がどうしているか、いまはその母にさえぎられて、姫からは見えない。

 父はしばらく黙ったままだ。

 やがていかめしい声を作って言う。

 「その高祖の命はそれで民にしたわれた。その名を」

 父はここでひとつ息をついて、間を取る。

 「おお鷦鷯さざきのみこととおっしゃった。おまえはその名を継いでいるのだから、同じように民をいつくしみ、民をたいせつにする大王にならねばならぬ」

 鷦鷯はわずかのあいだだけ眉をひそめた。でも、すぐにけなげに

「はい」

と答えた。

 それが言いたいために、父大王は子たちをここに連れてきたのか。

 姉の財姫が、姫を見て、くすん、と笑って見せた。

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