第30話 再会・拒絶
星の涙が降ってしばらくが過ぎた。太陽は未だ沈まず、燦々と眩しく輝いている。
明るい夜空はまだ無数の流星群が鮮やかな星の軌跡を描き、母なる海と大地に落ちた。
星の涙は隕石となって地球に落ちて、星空が閉じ込められた美しい湖を作り上げていった。血の雨を浴びて意識を失った人々の体は徐々に星の涙に浸かっていく。だが動く人間は誰もいなかった。
リアは死竜を愛おしく撫でながら声を掛けた。
「新婚旅行は北と南どっちにしようか」
死竜は死の果実を食べ終えると死竜は突然、隣にいたリアの左腕を噛み千切った。呆然とするリアの千切れた腕からは噴水のように血潮が飛び散った。
後退りをしてリアは死竜から距離をとる。
「なんで……」
リアの腕を死竜はもしゃもしゃとよく噛む。とても愛しそうに食事をする死竜の研ぎ澄まされた淀みのある黄金の瞳がリアを捉えた。
「誰?」
目前の死竜がさっきまでと別物のようにリアは漠然と感じた。試しに動くなと命令を送ってみる。しかし、死竜はリアの腕を噛む顎を止めない。美味そうに食べている。死竜の意識に誰かが乗っている予感がした。
静かに唸る死竜はゆっくりとリアに歩み寄る。
リアはすぐに魔女の塔にこびり付いていたゾンビたちを呼び寄せた。十二体のゾンビが死竜に食らいつく。しかし、死竜の膂力で枯れ葉のように吹き飛んだ。
「そこに誰がいるかは知らないけど、出て行ってもらえるかな」
リアは上ってこられるだけのゾンビを死竜にけしかける。肉に飢えた屍たちが一斉に死竜の硬質な骨に齧り付いた。いくら振り払ってもハイエナのように集って、数の力で死竜は押された。リアへの好意と嫌悪という矛盾で十三使徒の意識は均衡を保っていた。復讐心だけで死竜は乗っ取れない。
全くの予想外が起こっている。
リアは死竜との繋がりから誰が死竜を操作しているか探った。そして澄んだ黄金の瞳孔が開く。犬のように忠実で知性のカケラも感じないまだまだ青さの残る一人の少年。見るからにリアに惚れていた馬鹿な男の気配がした。
「ソバ君……」
十三番目の白夜の使徒。彼が他の十二の使徒を踏み倒して死竜の全権を手にしていることがわかった。
「どうして死竜を乗っ取れているかわからないけど、私の邪魔をしないで」
退場させたはずの彼が死竜を乗っ取るなんておかしかった。だが、死竜はリアの命令を何度も無視し続けて暴れている。
リアの澄まし顔がわずかに不機嫌になった。
ゾンビの波が勢いを増し、死竜は塔の端まで追い詰められる。押し出されそうになる寸前で踏ん張り、死竜は尾を振り払ってゾンビたちを下へ叩き落とす。だがそれでもゾンビは蛆虫のように湧いてきた。
死竜の後ろ足が端からはみ出る。
「魔女の血の力の使い方も知らない君に死竜は扱えない。もう君に興味も無い。とっとと落ちて」
死竜の下半身が端から落ち始めた途端、突如魔女の塔が爆発して足元から倒壊した。
根本から崩れ始めた魔女の塔は這い上がっていたゾンビたちを吹き飛ばし、土煙をあげて大崩壊した。
瓦礫とともに宙を漂うリアは一瞬、何が起きたかわからなかった。茫漠とする彼女の前に死竜が現れた。二つの黄金の眼が交錯する。『死』を食した神をも恐れぬ顎が開き、血に濡れた牙が妖しく光る。死竜はリアを食らった。
○
崩壊した魔女の塔に向かって一人の男がよろよろと歩いていた。
「嘘だ……あり得ない。こんなことで終わるはずがない」
リアと死竜を心から崇拝する寺田だった。彼は血の雨が降った時、建物の陰に隠れた状態で気絶していたのだ。
遠くてよくは見えなかったが、死竜とゾンビが戦っている姿が見えた。とても信じられないことだが、何かリアにとって不測の事態が起きているのかもしれない。そばに落ちていた拳銃を拾って手錠を壊す。死竜が落下した場所まで寺田が歩いて行くと、崩れた魔女の塔の足元から人影が見えた。土煙から出てきたのは片腕を失っている長谷川だ。
寺田は自分の目を疑った。
「長谷川、隊長……」
長谷川も寺田の存在に気づいた。
「寺田……無事だったか」
寺田は歯が砕けそうなほど強い力で奥歯を噛み締めた。
「なんで……」
「キリエはどうした。一緒じゃねえのか」
「なんでだよ!」
憤然と唾を撒き散らす寺田に、長谷川の歩みが止まった。寺田の様子がおかしいと感じた長谷川は「どうした?」と訊ねた。
「どうして生きているんだ。あの爆発で生きているはずがない」
幽霊でも見ているかのように、信じない寺田を見て長谷川は漠然と察した。
「そうか。橋を爆破したのはお前だったのか」
リアにいいようにやられていた理由がここではっきりした。長谷川は自身がもう禄していたかと今さらになって顧みた。だが裏切り者が寺田だと知っても、長谷川は浩然と落ち着いていた。
激昂する寺田は長谷川に銃を突きつける。
「隊長が塔を倒したのですか」
「ああ、電気室とガス管を爆破してな。それで上官に向かって銃を向けるってのは、どういう了見だ?」
寺田は引き金を引いた。あっさりと躊躇いのない銃弾が長谷川の腹に命中し、ドサッと倒れた。
「神を超える存在に不敬を働いた。死んで償え」
血を吐く長谷川は鈍く光る眼光で睨んだ。
「……何が、神を超えるだ。そんなもんはいねえんだよ」
今度は太ももに銃弾を撃ち込んだ。
額に大量の汗を浮かべる長谷川は痛みに身を震わせて悶絶した。
「何も空想の話をしているんじゃないですよ。あなたが傲慢にも手を出した死竜は目の前に存在しているんです。いい加減、認めて信じてくださいよ。目の前の事実から目を逸らさないでください。それさえしてくれれば、あなたを殺すのはやめます。これは元部下だった私からの慈悲です」
長谷川を見下ろす寺田は苦悶の表情を浮かべる。この偉大な奇跡がたかだか一人の年寄りに邪魔されるわけにはいかなかった。この状況は人間の手から離れてもうどうしようない段階に来ている。地震や津波をどうにかできないのと同じだ。全てはリアの予定通りにしなければならない。寺田は自身の胸にある信仰の炎に心の奥底から誓った。
長谷川は朦朧としそうな意識で必死に舌を回す。
「いらねえよ」
口の端から血がさらさらと流れた。
「せっかく生き残ったのに……馬鹿な人ですね」
寺田は銃口を長谷川の頭に向ける。
「無力な人にできることは何か、ご存じでしょうか? 他人から奪い、殺し、信じること。それが無力な人にできることです。そんな醜い世界が今変わろうとしている。あれは私たち、人類の救世主です。もう我々は、奪い奪われるこの呪いから、ようやく脱却できる。リアと死竜が人類を幸福に導くんだ」
血を滴らせる長谷川は寺田の顔を見た。超然と言い放ち、本当に信じきっている盲信者の顔をしていた。長谷川は寺田に軽蔑の目を向ける。
「この惨状を見て、そんなことが言えるお前は本物のアホだな。奪って、殺して、信じるから人は無力なんだよ。タコがっ……」
「自分のことをどう言おうが勝手ですが……あなたも可哀想な人だ。言い残すことはありますか?」
寺田はゆっくりと引き金に指をかける。
「やっぱり、お前にはユーモアが足りねえな」
火薬が破裂した一発の銃声が白夜の下で響いた。
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