第8話 朝焼けの推理
魔女祭のゾンビ事件から一夜が明け、さらに一週間が経過した公安機動捜査一課のデスクに眩い朝日が射し込んだ。
埃がキラキラと反射し、床やソファに倒れる隊員と散らかった資料が彼らの惨状を照らした。
長谷川は般若の目というデザインのアイマスクをつけて大きないびきをかく。彼のデスクの上にある灰皿は底が見えないほど吸い殻でいっぱいだった。
誰もが爆睡する中で、キリエは目を凝らしながら山積みになった『白夜教に関する調査書』や彼らが信仰する『死竜の文献』を読み漁っていた。
「あまり根を詰めすぎると体に障りますよ」
無我夢中に没頭していたキリエにやんわり声をかけたのは寺田だった。ネクタイは緩み、顔も少しやつれ気味で、身なりに気を付ける彼にしては珍しい姿である。
「寺田副隊長も目の下にクマができてますよ」
「流石にほとんど寝てませんから」
微笑む寺田はコンビニで買ってきた水を手に取り、固い蓋を開け易いよう緩めてからキリエに渡した。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「一度も帰られてないんですか?」
「はい。署にはシャワーもありますし、着替えも持ってきてますから。皆さんもほとんど家に帰ってないし、長谷川隊長なんて席から立ってませんよ。あんなに熱心な方とは思いませんでした」
キリエの言葉に寺田は苦笑した。
「今まで白夜教は尻尾らしい尻尾は見せなかったので、三年前の羽田空港事件以来、捜査もあまり進んでいなかったんですよ。でもここに来て魔女祭や博物館、さらに民間の研究施設を襲ってきた。長谷川さんも気合が入って当然です」
「そうなんですね……」
どこか浮かない顔をするキリエはわだかまりも一緒に飲みこむように水に口をつける。
そんな彼女に、寺田は気になったことを聞いた。
「彼のことが気になりますか?」
「顔に出てましたか?」
乾いた笑みを浮かべるキリエに、寺田は穏やかな口調で続けた。
「ええ。確か、幼馴染みでしたか?」
「はい。昔、彼が近所に越してきた時があって、弟みたいな子なんですけどね」
キリエは懐かしい思い出に頬を緩ませた。六年ぶりの再会が、まさかこんな形になるとは思いもしなかった。幼馴染みがテロ組織に巻き込まれるなんて、どんな目に遭っているか気が気でなかった。
しかし、寺田は朗らかに温かく励ました。
「大丈夫ですよ。連れ去ったということは人質か、彼が何かに必要だったんでしょう。無闇に殺害をするような組織でもありませんし、きっと生きていますよ」
「ありがとうございます」
笑って応えるとキリエは神々しい朝日の光も相まって、森の精霊のようにひどく美しかった。励ますつもりが、不覚にも寺田の心も癒されて彼は慌てて視線を逸らした。
「じゃ、じゃあ私は長谷川隊長の代わりに上の方々に報告してきます。どこまで調べがついてるのかって催促が止みませんから」
自分のデスクに置いてあった報告書を持って、寺田は部署を後にした。
森閑とする部署でキリエももう一度、コピーされた報告書に軽く目を通してみた。簡潔に書かれた報告書は、昨夜に雑務を嫌った長谷川が寺田へ押しつけて完成させたものだ。
『八月十三日、二〇時九分。新東京で開催された魔女祭に突如ゾンビが出現。魔女祭会場に数十体のゾンビが現れ、会場は混乱。同時刻、演説のため壇上に登壇していた魔女局局長が何者かの発砲により左肩を被弾。幸い命に別状はない。現在は都内の病院にて治療中。
その後もゾンビは増加し続け、殲滅した数は五十体を超える。
この事件が起きる四日前に白夜教から魔女局局長の殺害予告が警視庁にメールで届いた。
またゾンビとなった市民を検体したところ、血液に微量であるが変質したS因子を発見。魔女の血によってゾンビとなったことが判明した。噛まれた人間はゾンビに感染する模様。ゾンビになった人間が元に戻る様子はなく、戻す方法は現在も不明。また、ゾンビが大多数発生する直前、菫色の甘い煙が祭会場とその付近に充満していたとの報告があり、この煙が原因でゾンビ化が起きたと推測される。魔女や魔血持ちは感染しておらず、何らかの条件があると思われる。
出現したこのゾンビの特徴は、三年前の羽田空港ゾンビ事件と同様のものであると推測され、今回の事件と何らかの関係性がある模様。
なお、今回の事件には白夜教が関与している可能性が高いとみて捜査を進める方針である』
以上のことでまとめられている報告書だが、肝心なことは何もわかっていない。ただ白夜教が死竜という御伽噺のような存在を信仰していることと、ゾンビを生み出し被害を与えることしか掴めていなかった。
「もし私が名探偵とかならズバッと解決できるのにな」
頬づえを突いて、目が痛くなりそうな白い蛍光灯を見つめながらぼやいた。
事件の真相も気にあるが、キリエの片隅にはあの日の光景がどうしても離れなかった。
ソバを連れ去ったやけに綺麗な顔の嘘女である。
キリエは相手が嘘を吐いた時、頭に掃除機のような音が響くのだ。
「っていうかあれ未成年誘拐じゃない」
「そいつはわからねえな」
「うわっ!」
椅子から転げ落ちそうになったキリエは背後の男、長谷川を睨んだ。
「ちょっと! 脅かさないでくださいよ」
「朝から元気で大変よろしい」
寝起きの枯れた声が普段より一段と重く聞こえる。
「俺はまだあの小僧が白だとは思ってねえ」
「まだ言ってるんですか?」
執拗なほど容疑者を追いかけ、時には違法捜査も厭わずに敢行する豪胆さと安易に断定せず疑い続ける生粋の猜疑心の持ち主。それが公安の鬼。署内には前時代的と揶揄する人もいるらしいが、その捜査力は本物で切れ味も健在だ。
配属されて間もないキリエは公安の鬼の実力に驚嘆しているが、雑務のほとんどを部下に押し付けることだけは軽蔑していた。
「あらゆることを疑い続けるのが捜査官の資質であり、国を守るために何でもするのが公安だ」
「……もちろん、わかってますよ」
口を尖らせて白夜教の調査書を読み始めたキリエの横で、長谷川は煙草に火をつけた。
「あの、煙草やめてもらいます? ここ禁煙ですよ」
「俺が吸ってる間はいいんだよ」
長谷川の傲慢な態度にキリエは察しろと言わんばかりの嫌な顔を作る。
「服に臭いがつくんですよ」
「なら最初っからそう言え。禁煙を言い訳にするな」
むすっとするキリエから少し離れて空いている椅子にドスっと粗雑に座った。
「でも、禁煙であることは事実です。いくら隊長でも自分勝手な行動はやめてください」
もうもうと薫る向こうにいる長谷川の表情は岩のように微動だにしなかった。
「許可があればいいのか? 誰かの許しがあれば勝手じゃなくなるのか?」
「そうですよ。ルールは守ってこそ、その意味が生まれるんです。禁煙と言われたら禁煙です」
幼児に諭すようなに言うキリエの言葉を長谷川は真っ向から受け止める。
「その日々の盲信の積み重ねが重要なことを見落とさせちまうんだ。白夜教については頭に入れたのか?」
試すような口ぶりで言った言葉がキリエの琴線に触れた。当たり前だ。捜査対象のことを調べてないわけがない。
「はい。構成員の九割が魔女でその規模は百人余り。リーダーは元公安魔女の冴島サヨリ。魔女の血の力は記憶の操作。主に関東圏で活動する死竜信仰の過激派です」
はっきりと言い切ったキリエ。その後、長谷川はすかさず疑問を投げかける。
「じゃあ、あいつらは何のために魔女祭とその他の施設を襲撃した?」
「……魔女局局長の殺害でしょうか。未遂で終わってますが」
犯行声明まで出して起こした事件だ。それ以外に何があるのだろうか。
しかし、長谷川はキリエを虫けらのように見つめた。
「それじゃあ他の施設を襲った理由になんねえだろ。本当に殺害が目的なら狙撃か、相打ち覚悟でナイフで仕留める。もしくは自爆テロ。もっと確実な方法がある」
長谷川は煙草を消してもう一本吸い始めた。キリエは眉を吊り上げて、そわそわと落ち着かない様子になる。
「納得のいく答えが出るまで吸い続けるからな。服に臭いつけたくなきゃ、頭回せ。嘘がわかってツラが良くても脳みそ使えねえ木偶はいらねえぞ」
掃除機の音が響かない。明らかに本心から舐められていると感じたキリエは、沸いた苛立ちを抑えて必死で事件のことを考える。
「魔女祭50周年記念で建設された魔女の塔が、気に食わなかったとか?」
「違うな。腐ってもテロ組織。ガキの集まりじゃねえ。もっと根本に目を向けろ」
「ゾンビによるパニックを起こしたかった」
「それだけで動くほど愉快な奴らじゃねえ。根本ってのは、詰まるとこ白夜教が切望していることだ」
キリエはもう一度、落ち着いて考えを巡らせた。
何故、魔女祭をゾンビで襲い、魔女局局長を撃ったのか。何故、同時刻に複数の施設を襲ったのか。それにゾンビはあの日の夜、複数の機動隊と共に掃討したが、ゾンビは魔女祭の会場にしか現れなかったのは何故なのか。
その沈黙は長谷川が四本目の煙草を吸い出すまで続いた。そしてキリエは徐に柔い口を開く。
「白夜教は、死竜という人の死を食らうという伝説の生き物を信仰しています。黒の魔女が創造した世界に祝福の涙を落とすというもの。何か、それに通ずる目的があった……」
長谷川は静かに訊いた。
「その目的は?」
「もしかして、その死竜を創って星の涙を落とす……とか」
うんともすんとも言わない長谷川を見て、自信なさげなキリエは苦笑いを浮かべた。
「そんな子どもみたいな目的なわけありませんよね?」
長谷川は煙草を灰皿に押し付けた。
「……俺の反応を見たからマイナス百点だが、合格だ」
きょとんとするキリエは目を白黒させた。
「本気で言ってます? 普通に言ってみただけなんですけど」
「馬鹿野郎。こういうのはな、直感が肝心なんだ。死竜を信仰しているから死竜を創る。シンプルでじつに目的らしい。あいつらが切望していることだ」
「でもだからってゾンビが現れた理由は? 他の件とどう関係があるんですか?」
前のめりになるキリエに長谷川は厳かな顔で言った。
「お前が言った通り、死竜とやらを創るのに必要だったからだろ。それ以外で動く理由がない。襲われた施設の博物館は恐竜の骨が奪われ、民間の研究所はハイテク電子機器などが奪われた。魔女局や公安の対魔女課の奴らの見立てじゃあ奪われた物品と適した魔女の血があれば死竜の素体は作れるらしい」
その情報は初耳だった。キリエは公安魔女だが、捜査や尋問が主な役割の彼女はそうした知識に疎かった。
「じゃあ、彼らは本気で星の涙を落とす気なんですか?」
「だろうな。資料を見ればわかることだ」
そうは言うが、キリエにはまだわからないことがあった。
「そもそも『死』を食べるとか、星の涙って何ですか? 文献も抽象的なことしか書いていませんし……」
首を傾げてキリエは目を細めた。魔女局から送ってらもらった死竜の資料だが、その内容は綿飴のように曖昧模糊としていた。中には星の涙は地球の自然を再生させるエネルギーの結晶であり、それを源とした生の大樹を生み出すと書かれた『星の正常化説』という子どもが考えたような眉唾なモノもあった。
魔女学会の歴史学者たちには死竜信仰の人間もいる。過激派ではないが、話を聞こうとすると興奮して訊いてもいないことを長々と口にするから鬱陶しいのだ。
「さあな。祝福とか宣ってるが、平気でゾンビをけしかける奴らだ。ロクでもねえことは間違いないだろ」
窓の外から街が起き始めた光景を眺める長谷川は煙草を咥え、箱をくしゃくしゃに潰した。
「なに吸おうとしてるんですか?」
じとっとした目を向けるキリエだが、長谷川は遠慮なく火をつけた。
「納得のいく答えだったら吸わないって言いましたよね?」
「マイナス百点のどこが納得のいく答えだ?」
まんまと騙されなと勝ち誇った笑みを貼り付ける長谷川に、キリエは声を荒げて噛み付いた。
「ずるいですよ! 合格って言ったじゃないですか」
「俺の言うこといちいち真に受けてるようじゃあ一生警部補だぞ」
騙された気になったキリエは拳を握り、やり場のない思いで震えながら顔を赤くした。翻弄され丸めこまれた悔しさで頬を膨らませる。
そこへ汗をかいた寺田が乱暴に部署へ入って来た。
「大変です。長谷川隊長……ってなに煙草吸ってるんですか。禁煙ですよ」
疑念に満ちた目で長谷川のところまで近づいて行く。
「そんなもんは犬にでも食わせろ」
「ダメなものはダメです」
寺田は強引に咥えていた煙草を掴んで灰皿で押し潰した。
「全く、お前にはユーモアってもんが足りてねえな」
「そんなことより、白夜教に繋がる手掛かりを手に入れました」
長谷川は灰皿からしわくちゃになった煙草を拾い、先っぽを伸ばして火をつけた。
「詳しく話せ」
「……だから吸わないでくださいって」
寺田は呆れてため息を吐いた。
彼が持ってきたものは、長谷川が記憶していたミニバンのナンバーが都内の監視カメラに映っている映像だった。寺田は映り込んだ黒いミニバンを指差した。
「車は東京湾沿いに向かったあと、コンビニの向かい側のビルの前に停まります。画面が見切れて運転手は見えませんが、これは深夜二十三時四十五分に横浜に向かいました。翌日の十時三十七分。これは横浜から新東京に向かう高速道路の監視カメラです。また同じビルに停まっています」
画質は荒かったがそこには確かにあの日のミニバンが何度も映っていた。
「このビルは今どうなってる?」
「五階と十二階、十五階から二十八階は中小企業のオフィスとなっています」
長谷川は険しい顔つきで映像を睨んだあと、叩き起こしたばかりの部下たちに指示を出した。
「このオフィスビルの管理人に連絡をして監視カメラの映像を入手しろ。あとローテーションを組んで張り込みだ。横浜の警察署にも連絡して不審な車や人物がいないか訊け」
長谷川の指示に捜査官たちは迅速に行動を起こした。
捜査の展望が見えたことで事態はゆっくりと、しかし確実に動き出していた。
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