第7話 絶対俺のこと好きじゃん

 ソバに用意された部屋は簡易ベッドが一台と二リットルの水が五本、六つのカップ麺が入った段ボールと着替えだった。

「ここがあんたの部屋よ。綺麗に使えよ」

「な〜んもないじゃん。暇すぎるぜ」

「文句言わないで。白夜教はテロ組織扱いされてんだから我慢しろ」

「オレは我慢とか嫌いだ」

「ワガママ言うな」

 上から押さえつけてくるようなユリノに、ソバは鋭く噛み付いた。

「ああ? あんただって便所とか我慢しねえだろ」

「そんなんと一緒にすんなっ!」

 こんな荒涼とした無機質な部屋で過ごすのは本当に辛い。なんでも良いから何か寂しさを埋めてくれるモノが欲しくてたまらなかった、

「何か映画とかでいいからよー。用意してくれよ」

「無理に決まってるでしょ」

「なんでもいいから暇つぶしがないと過労死しちまうよ」

「あんた過労死の意味わかって言ってんの?」

「頼むって」

 ソバが手を合わせてヘラヘラする態度と鬱陶しさに苛つくユリノは考えた。

「ほんとに何でもいいわけ?」

 こくこくと頷くソバ。ユリノはわずかに頬を赤らめて、お尻のポケットを漁る。中から出てきたのは一冊のコミックだった。

「……これでいいなら、貸したげる」

「なーんだ、あんじゃ〜ん。オレ漫画は超好きですよ」

 受け取ったコミックの表紙に、思わずソバは息をするのを忘れた。スーツがはだけた艶かしい二人のイケメンが薔薇の花と共に描かれていたのだ。ソバはパラパラと軽く目を通してみる。

「……これって、どんな話なんすか」

 ユリノは帽子を目深く被り、表情を隠して消え入りそうな声で言った。

「あ、愛の物語よ……」

 火傷したように耳が火照ったユリノは足早に部屋を出て行く。

「じゃ、じゃあ私はやることあるから……」

 一人になったソバは妙な気まずさのまま立ち尽くした。

「愛の物語……」

 やることもないソバは唯一の漫画のページを開くと、そこには二人の男が愛おしそうにキスをするシーンがあった。情熱的な描写に思いのほか魅入ってると、また部屋の扉が開いた。

 ユリノが戻って来たのかと思い、顔を上げる。やって来たのはリアだった。

「やあソバ君」

「リアさんっ!」

 狼狽えるソバにリアはにっこり笑って近寄った。

「さっきユリノが赤くして出ていってたけど、何かあったの?」

「暇だって言ったらこの漫画を貸してくれて」

 リアに見せると納得したように「ああ」と頷いた。

「ユリノは好きだからね。こういうの。私も読んだことあるけど保証するよ。これは面白い」

「……どうも」

 借り物だが、好きな人に自分が読もうとしている漫画を見られるのは少しだけ照れ臭かった。

 リアは部屋をぐるりと見回した。

「不満はない?」

「テレビがないことぐらいですね」

「負担をかけてごめんね。ところで私にしてほしいお礼は決まった?」

 魅惑的な微笑みが真っ直ぐソバに向いた。潤んだ黄金の瞳にまるで手を引かれるようにまた呑み込まれる。

「いや、まだ……」

 視線を逸らしたソバにリアはソバの手を握った。

 思わぬことに驚いたソバは全身の毛穴が開いて体内に痒くなるような熱を感じた。玉のような汗がソバの額から頬に伝う。

「私にできることなら何だっていいんだよ」

 白く細い彼女の指がソバの指の間に艶かしく絡む。さらさらとしたリアの柔肌が、何度もソバの指の隙間を撫でた。胸の中で鼓動がこれでもかと響き、ソバの手は段々と薄い汗で湿ってきた。

「何か買って欲しかったり、どこか遊びに行ってもいい。美味しいものを食べに行くのも、映画やゲームをしたって」

「あっ、ああ……」

 互いに手を介して繋がる。不意打ちの一撃にソバは当惑した。その隙にリアは鼻息が当たりそうなほど距離をグッと縮めてきた。

「この漫画に描いてあることでもね」

 咄嗟にたじろいだソバの足が後ろに退がる。ガッと簡易ベッドに引っ掛かったソバの体はベッドの上にそのまま倒れて、開き切った視界の全ては逆光の影で覆われたリアの顔で蓋がされた。

「君はどうしたい?」

 彼女の言葉が脳髄に浸透しすぎたせいで、ソバの頭はぐわんぐわんとミキサーにかけられたみたいになっていた。

「リアさんに、して欲しいことがありすぎて! なんも決められません!」

 リアは半分ほど瞼を下ろし、健気な子どもを前にしたように見下ろす。

「それじゃあ、死竜が完成するまでに決めておいてね」

「は、はい……」

 リアは人差し指を口に近づけて、ガリッと白磁の皮を噛んだ。そこから粒子の一つまで赤く澄んだ鮮やかな血が静かに流れて、ソバの頬に滴り落ちる。

 困惑するソバにリアは水面に映る白い月のような透徹な声で言った。

「飲んで」

 赤い血が流れる指をソバの口元まで寄せた。固唾を飲み、恐る恐る暖かい彼女の指を舐める。口の中に広がる鉄の味とわずかな塩っ気。舌先が感じ取るのは細やかな指紋の凹凸と滑らかな爪。口を通して、リアの肉体の情報が雨水のように体内へ落ちていった。

「あの、これって」

「死竜を創るには私の魔女の血が必要なの。ソバ君には私の血を飲んで早く体に馴染ませておきたかったんだ。死竜には君という存在が必要だから」

 唖然と口を開けたまま、ペンギンのように硬直する。ソバの頬に落ちた血をリアが親指で丁寧に拭き取った。

「期待してるよ」

 親指を舐めて小悪魔的に微笑んだリアは最初と全く同じ様子で部屋を出て行った。

 しばらく、ソバは冷たい天井を見上げ続けた。死竜のことや、自分が何をするのかとか、大いに気になることはあるにはあるが、

「絶対オレのこと好きじゃん」

 今はそれしか考えられなかった。

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