第14話 連れ去られたソバ

 警察病院にいるソバは頭の傷以外は目立った外傷はなくほぼ完治していた。

 せっかくの個室なのに、ソバは警官に交代で見張られている。

「あの、オレっていつここから出られるんですか?」

 ソバは蕁麻疹が出そうなくらい、もう軟禁には懲り懲りだった。

 しかし、警官は「上の許可が出たらな」の一点張り。テニスの壁打ちをしているような気分だ。まだ読み腐った漫画があった地下の方がマシかもしれない。だがここは地下と違い、窓から外が見える。それだけで開放的な気持ちをいくらか味わえた分、やはりこっちの方が気は楽なのかも。

 無窮の暇に弄ばれても、ソバの頭にいつもあるのはリアのことだった。目を瞑れば、いつも彼女がソバの脳の上に立ち微笑みかけてくれる。

 今彼女は何をしているのか。よくよく思えば、何故リアはキリエたちに追われているのかあまり理解できなかった。

 ゾンビに襲われた時、彼女は助けてくれたし、優しくしてくれた。山岡ゾンビを撃ち殺しただけで何も悪いことなどしていない。ユリノも風当たりが強いことが罪だが、あの巨乳で全て許される。それに漫画を貸してくれた面倒見のいい女だ。白夜教だって、死竜を創る以外、何をしている集団かはわからないが冴島は悪人には見えなかった。

「謎だ」

 白夜教もキリエのいる公安たちも、何のために何をやっているのかソバは知らなかった。死竜のため、白夜教を捕まるため、星の涙を落とすため。どれもソバにはどうでもいいことだ。

 ——リアさんに会いたい。

 心から切に願ったソバを監視していた警官が鬱陶しそうに咎めた。

「独り言をぶつぶつ呟くな」

「は〜い」

 ソバの舐めた返事に警官は苛立ちを隠さず舌打ちをする。すると病室の扉がノックされた。

 もう交代かと思った警官は扉を開ける。警官の体は大きいため、ソバは誰が来たのかよく見えなかった。

 しかし、警官は糸が切れたように音もなく、いきなり顔から床に倒れた。

 目を見開いたソバは扉の前に立った人を見て愕然とした。

「やあソバ君。元気そうだね」

「リアさん……」

 何度も黒い眼に焼き付けた彼女が血濡れたナイフを持って立っていた。

「なんで? どうして……」

 当惑するソバにリアは温もりに満ちた微笑みを向ける。

「君を助けに来たんだ。時間がないからすぐにここを出よう。ついて来て」

 リアが手を差し伸べる。魔女祭で出会った時と同じ目、同じ表情で。

 しかしソバは自然と倒れた警官に目がいった。彼の腹の下には大量の血溜まりができていて、漂白の床の上に広がる赤が強く目立った。

「どうしたの?」

 手を取らないソバは、引き攣った笑みを作った。

「この人、死んでます?」

 声が動揺で震える。ソバの目が彼女に訴えかけた。これは何かの冗談ですよね、と。

「大丈夫。このくらいの出血じゃ死なないよ」

 リアは全てを理解した目でソバを見た。輝きを失わない黄金の瞳に魅入られたソバはまた彼女の虜になる。リアは優しい人であると、自分に言い聞かせた。

 一度躊躇ったソバだったが、再びリアの手を強く握る。彼女がもたらすものは何もかも安心感があった。わざわざ自分を迎えに来てくれる人を信じないなんておかしい。それも好きな人が危険を冒してまで。ここで応えなければ、一生後悔する。何より……リアからお礼が貰えるのだからっ!

 二人は病室を出た。裸足のソバは警官の血溜まりを踏んだ。リアの靴底にも血がついた。

 人工的な白さを誇る廊下に目を引く真っ赤な足跡ができる。誰もが避けたくなるような不気味な血の足跡。そのなんとも言えない赤さが綺麗で怖い。リアが助けてくれた。あのチクチクと刺してくるような警官を傷つけて、その上を歩くソバは下を見れなかった。

 人が作った真っ白なこの廊下が、足裏にべっとりとついた鮮やかな血でできているように思われた。自分の立っている場所は、この病院ほど綺麗で清らかな毒の無いものなのだろうか。

 そう思ったあと、手を引いてくれるリアの後ろ姿を見る。

 彼女がソバの前にいるというだけで、そんなシリアスな思考は風に吹かれたように飛んで行った。どうでもいいや。今はリアと手を繋げているし、カワイイ彼女といられる。気分が落ちることを考えても気分が落ちるだけだ。

 廊下を歩き進み二人は警察病院を出た。そしてリアとソバは駐車場に向かい、ワーゲンの黄色いビートルに乗った。

「リアさんの車ですか?」

「そうだよ。お気に入りなんだ」

 ソバの脳内リアメモにリアは黄色がお気に入りと書き留める。

「いい色ですもんね」

「黄色は幸せの色だからね」

 黄色い車が駐車場を出るのと入れ違いで、一台のサイレンが鳴った黒い覆面パトカーが警察病院に入って行った。


     ○


 キリエは急いで警察病院内に入ると突然、女性の悲鳴が病院内を駆け巡った。

 鼓膜に劈くそれは明らかな異常を示していた。キリエはすぐに悲鳴がした方に行くと、ここ最近で何度か目にしたゾンビが白衣の男を食っていた。女性は恐怖のあまり目の前で尻もちをついている。

 リアはホルスターから拳銃を取り出し、貪り食うゾンビに向けて銃弾を撃った。三発目で脳天を貫いたゾンビは絶命した。

「大丈夫ですか?」

「あ……は、はい……」

 彼女はどうやら噛まれた様子は無いようだ。

 涙目で震える看護師の女性を立たせながらゾンビの男を見る。そいつは交代でソバを見張っていた警官だった。

「まさか……」

 女性看護師を外に出した後、ソバの病室へ走って向かう。真っ白な廊下には血と思われる赤黒い血の足跡があった。

 足跡はソバの病室に続いていた。予感しつつも病室へ入るとソバの姿はなく、見張りの警官が出血して倒れている。脈拍を確認するが、彼は息絶えていた。

 キリエは長谷川に電話をかける。

「すいません。長谷川隊長。出し抜かれました」

「何?」

「ソバを、連れ去られました」

 奥歯を噛みしめるキリエの口の中には苦渋の味が広がった。

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