第15話 手のひらの上

 車内にはカフェで流れるような音楽がかかっていた。

「無事でよかった。服は後ろにあるから後で着替えて。靴もあるから」

 リアが運転する横顔を見つめながらソバは顔を綻ばせた。

「ありがとうございます。リアさんが助けに来てくれるなんて、嬉しいです」

「まさかこんな事態になるなんて思ってもみなかったから。公安の力量を見誤っていたよ」

「ユリノとか、白夜教の人たちもみんな捕まってるんですか?」

 結構な数の白夜教が捕まったとキリエに言われたソバは他の人のことが気になった。

「ユリノは公安が突入する前に私のところにいたから無事。冴島も、横浜行きの道がダメって途中で気付いたから今は第二基地に隠れてる。捕まった他のメンバーも必ず助け出すよ」

 それを聞いてソバはほっとする。

「ところで、どうしてオレの場所がわかったんですか?」

 ソバ本人ですら自分が病院にいたぐらいしかわからなかった。

「前に私の血、飲んだでしょ。それでソバ君の居所は大体わかるんだ。だから君が迷子になることはないよ」

 彼女はにこりと蠱惑的な笑みを向けた。簡単に胸の奥底を掴むリアはとてもズルかった。心に温かな光が射し込まれたような気持ちになってソバは密かに悶えた。

「じゃあ冴島さんのいるところに向かってるんですね」

「いいや。公安の対応が予想よりも早い。このまま山間部にある私の秘密基地に向かいます。そこで死竜の完成を急ごうか」

 二人を乗せた車は都内の山間部に向かって走った。

 警察病院から二時間ほど走り、山々が連なる都内の山間部へとついた。車で登った先に林に隠れるように一つの古びた建物があった。コンクリートで造られた大きな作業所のような場所だ。

 車から降りて建物の中に入る。だがそこには目を疑うような光景が広がっていた。建物の中には縄で縛られたユリノがおり、彼女の頭に冴島が銃口を突きつけていた。

 ソバは状況が上手く飲み込めなかった。

「ようやく来たか」

 冴島の鋭利な赤い目がリアを睨みつける。

「これはどういうこと?」

 リアは慌てる様子はなく、むしろ楽しんでいるように弾んだ声で訊いた。

「それはこっちのセリフだ。よくも我々を裏切ったな」

 怒気を孕んだ声が静かな建物内に強く響いた。

「裏切り? なんのことかさっぱりだ」

「シラを切れると思ってるのか? お前だろ。ユリノに指示して第一基地の場所がわかるようわざと公安に追わせたのわっ!」

 鮮血の赤い目がリアを睨みつけた。けれど彼女の不敵な笑みは崩れるどころかさらに得意になっていく。リアはこの状況をこれでもかと楽しんでいた。

「記憶操作の力でユリエの記憶を断片的に見たのか」

「お前がわざわざあんなことしなければ……足止めにビルの社員たちをゾンビにする必要はなかった。同志が公安に捕まることもなかった。死竜の頭も、奪われることはなかった!」

 荒れた声は全てを切り裂くような鋭さがあった。

「冴島が怒ったとこ、初めて見たよ」

 だがリアの瞳は珍しいものを見るような好奇に満ちたものだ。

 冴島の声に戸惑いの色が出る。

「……ふざけてるのか? 我々は犠牲を厭わない。星の涙を落とし、この狂った世界を浄化するためなら、それで多くの人が今よりも幸せになるなら命だって賭ける。だが、いたずらに犠牲を出したいわけじゃない!」

 肩で息をして憤りを吐き出した。煮えたぎる冴島の思いに、リアの表情は何も変わっていなかった。誰をも魅了する微笑みは薄氷のようだった。

「冴島がみんなを思う優しい子なのは私も知ってる」

「じゃあなんでこんなマネをした!」

 焼き尽くさんとする黒い炎を前に、リアはつらつらと理屈を並べた。

「公安の捜査は思ったよりも進んでる。いずれあの基地はバレていたよ。むしろ捕まった約三十人の尋問や放棄した第三基地の捜索で向こうは人手が足りない状況なの。ここまで捜査の手が伸びるには時間がかかる。ここで残りの作業をすれば、公安を出し抜くことができる。彼女たちのおかげで死竜を創る時間ができた」

 淡々と語るリアに、冴島の瞳は信じられないといった不穏で揺れた。メンバーたちに対して、まるで使い捨ての部品の話でもしているかのように薄情だった。

「お前には……情はないのか? 三年間、ずっと準備を共にしてきて、死竜を創造しようと誓った仲間を切り捨てて」

 深い黄金の双眸が見据えているものは、人質になったユリノでも憤怒に燃える冴島でもなかった。

「私の目的は死竜を創ること。それだけだよ。情で完成するなら私は海よりも深い情だって持つ」

 単純明快のリアの言葉が、一瞬だけ理解ができなかった。

「何を言ってる……」

 冴島の口から本音が小さく溢れる。

 リアは冴島を無視するように透徹な声で言った。

「死竜を創るのに情はいらない。早く麓に待機させてる素体を持って来させて」

 冴島の目が驚愕の色に染まる。

「何故それを知っている?」

「君がここにいるのに、無い理由を探す方が無理だよ」

 リアの得体の知れなさに冴島は戦慄した。現代に再来した黒の魔女。それは冴島にとって何か重要なところが欠落した得体の知れない化け物に映った。リアが必要だったから協力したのに、今はこの魔女に、白夜教は蝕まれている。

「ダメだ。お前は信用ならない。完成場所だって被害が出ない無人島のはずだ。許可できない」

 冴島は己と白夜教の理念のために抵抗する。この悪魔のような女を好き勝手にさせられない。

「無人島へ行くのはもうバレてると思うよ。少なくとも船を大量に用意していたことは」

「何故そう言い切れる?」

「公安にいた冴島の方がよくわかってるんじゃないかな。便利な力を持った公安魔女くらいいること」

 公安魔女たちの能力は優れたものが多い。リアの言うことは確かにその通りだった。それでも救済するために、他の人間たちに犠牲を強いては本末転倒だ。これ以上、あの第一基地のようなことがあってはならない。

「……だがそれでもお前に死竜の素体は渡せない」

「私が信用できず、死竜の素体を渡さないなら悲願は永遠に夢の中だよ。それでもいいの?」

 全ての流れが渦のようにリアに収束していく感じがした。まるで手の平で転がされる石ころのような道化師の気分に、冴島の疑心は途轍もなく膨れて破裂しそうだった。

 どれだけ考えてもリア抜きにして死竜の完成、星の涙を落とすことはできない。それがわかっている分、冴島は胸を喰い破られたように悔しかった。

 電話を掛けるしかない無力感で心が苛立ちで染まる。

 冴島は麓にいる部下へ渋々指示を出した。

「命令だ。素体をここに運び、ここで死竜を完成させる。リアは私が監視する。どこまでもな」

「話がわかる子は好きだよ」

 児戯を見下ろす大人のような余裕の態度に、冴島は遣る瀬ない思いで胸が焼けそうだった。リアに監視はつけていたのに、その時までは一切怪しい動きはなかった。監視していれば何があっても対処できると思い込んでいた己の浅はかさに嫌気が差した。

 冴島はリアは射殺すように睥睨する。しかしリアが怯むことは微塵もなかった。

 殺伐とした二人をソバは後ろから化石になったように眺めていた。

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